剣客商売八 狂乱 [#地から2字上げ]池波正太郎   目次  毒婦  狐雨  狂乱  仁三郎の顔  女と男  秋の炬燵   解説 常磐新平     毒婦 「先生は、おぼえていらっしゃいましょうか、ほれ、私が橋場《はしば》の不二楼《ふじろう》におりましたころに、おきよ[#「おきよ」に傍点]という若い座敷女中が……」 「おお、おぼえているとも。若いくせに口の重い、愛嬌《あいきょう》もない、取っつきにくい……」 「ええ、そうなんでございますよ」 「あの女中は、不二楼へ出入りの大工と夫婦《いっしょ》になったのではないのかえ」 「そうなんでございます」 「それが、どうした?」 「いま、階下《した》へ来ているんでございますよ」 「おきよが?」 「いえ、亭主のほうが……」 「だから、どうした?」 「どうも、あの人[#「あの人」に傍点]の様子を見ていると徒事《ただごと》ではないような気がしたものですから……いえ、夫《やど》も板場で庖丁《ほうちょう》をつかいながら、どうも気がかりでならない、なぞと申しまして……」 「その大工がかえ?」 「はい」 「どう、気がかりなのじゃ?」 「どうも、あの人、おきよちゃんを殺すつもりじゃあないかと……」  いいさして、おもと[#「おもと」に傍点]がはっ[#「はっ」に傍点]と口を噤《つぐ》んだ。  秋山小兵衛《あきやまこへえ》も、おもわず、口へはこびかけた盃《さかずき》の手をとめ、傍《かたわ》らのおはる[#「おはる」に傍点]と顔を見合せた。  ここは、浅草・駒形堂《こまかたどう》の裏河岸《うらがし》にある小体《こてい》な料理屋〔元長《もとちょう》〕の二階座敷だ。  元長は、小兵衛がひいき[#「ひいき」に傍点]にしている橋場の〔不二楼〕にいた料理人の長次と座敷女中のおもとが夫婦になり、ひらいた店である。 「おだやかでないのう」 「そうなんでございますよ」  大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をのぞむ窓から簾《すだれ》ごしに川風が吹き込んできて、まだ、夕明りが微《かす》かに残っている。 「たまには、元長へでも行ってみようか」  と、夕餉《ゆうげ》の仕度にかかろうとするおはるをとどめ、二人して、つい先程、この二階座敷へあがった秋山小兵衛なのだ。  長次は先《ま》ず、下ごしらえをした莢《さや》いんげんと茄子《なす》を、山椒醤油《さんしょじょうゆ》であしらったものを出しておいてから、鯔《ぼら》の細《ほそ》づくりを小兵衛の前へ運ばせた。 「あたしは後で、煮蛸《にだこ》へ黒胡麻《くろごま》の味噌《みそ》をまぶしたのが食べたい」  などと、おはるが上機嫌《じょうきげん》でいうと、 「それほどに、お前は台所仕事がいや[#「いや」に傍点]かえ」  と、小兵衛にいわれた。 「でも、たまに、こうして外へ出て食べると、気が清々《せいせい》とするんですよう」 「そんなものかのう」 「毎日じゃあ、困るけれど……」 「どうして?」 「お金《たから》が、つづかないもの」  いったん、階下へ降りて行ったおもとが、小海老《こえび》に焼豆腐の吸物を運んで来た。 「どうした、おもと。階下《した》の大工は?」 「飲んでいるんでございます。まだ、明るいうちからやって来て、まるで浴びるように飲んでいるのでございますよ、先生」 「ふうん……」 「やど[#「やど」に傍点]も、気が気じゃあないんでございます」  おもとは、蒼《おお》ざめていた。  大工の由次郎《よしじろう》は、浅草・元鳥越《もととりごえ》の大工の棟梁《とうりょう》で〔大喜《たいき》〕とよばれる喜兵衛《きへえ》の右腕だとか片腕だとかいわれるほどの腕をもってい、三十を二つ三つすぎるまで独り身でいたのを、不二楼の主人《あるじ》の口ききで、座敷女中のおきよを女房にもらったのが、一昨年のことであった。  おもとは、不二楼にいるときから、何かと、おきよの世話をやいていたようだ。それというのも、おきよが早くから両親を亡《な》くしており、身寄りもない境遇だったからであろうか。  不二楼の座敷女中の中でも古顔だったおもとだけに、客にも朋輩《ほうばい》にもなじめないでいたおきよを、 「不幸な生い立ちだから、ああなってしまうのだねえ」  と、あわれにおもい、親切にしてやったのである。  それにしても、いまこのときのおもとの様子こそ、それこそ徒事でないと小兵衛は看《み》た。 「それで何かえ、二人が夫婦|喧嘩《げんか》でもしたというのか?」 「そんなことなら、何も、こんなに心配をせずにすむのでございますけれど……」 「それなら、どうしたというのだ。じれったいのう」 「あの……先生ですから申しあげますが……」 「うむ、うむ」 「おきよちゃんに情夫《おとこ》ができたんでございます」 「ほう……」 「それがまた、たち[#「たち」に傍点]のよくない浪人なので……」 「浪人か……」 「そうなんでございます」 「ふうむ。それで?」 「いま、長次と私が逃げて来たおきよちゃんを匿《かく》まっているんでございますよ」 「この家《うち》にかえ?」 「いいえ、あの……別の場所に……」  そのとき、階下から、男の怒鳴り声が聞えた。  皿小鉢《さらこばち》の割れる音。  小女《こおんな》の悲鳴。  こうなっては、小兵衛も捨ててはおけぬ。 「ここを、うごくなよ」  おはるとおもとにいうや、小兵衛は階下へ降りて行った。      一  大工の由次郎《よしじろう》は、階下の、十坪ほどの入れこみの座敷の一隅《いちぐう》で酒をのんでいたのだが、突然、板場へ飛びこんで来て、 「やい、長次。おれの女房を何処《どこ》へ隠しゃあがった。いわねえと、ただじゃあすまねえぞ」  つかみかかったものである。  長次は、つづけざまに撲《なぐ》りつけられた。  腕力の差は、どうしようもなかった。  子供のころから大工仕事で鍛えぬいてきた由次郎の体には、筋金が入っている。何しろ、そのころの大工の修業は、十二か十三の子供のころから、一日に松板を三十枚も五十枚も削ることからはじまるというのだ。 「あっ……ら、乱暴はよしてくれ」  せまい板場の中を逃げまわる長次へ、由次郎が皿小鉢を投げつけてきた。  秋山小兵衛が足音もたてずに、二階から下りて来たのは、このときであった。  素早く、小兵衛は夏羽織をぬいで、これを頭からかぶり、腰を屈《かが》め、するすると板場へ入って行った。 「野郎。女房を何処へやった。女房を返せ。返しゃあがれ!!」  喚《わめ》きつつ、狂乱の態《てい》となった由次郎が俎板《まないた》の上の庖丁《ほうちょう》をつかみ、 「畜生め……」  振り向いた、その目の前へ羽織をかぶったままの小兵衛がひょい[#「ひょい」に傍点]とあらわれた。 「な、何だ……?」  由次郎も、これにはびっくりしたらしい。  顔も頭も羽織にくるまれた小さな人……を、由次郎は何と見たろう。  いや、見た瞬間に、由次郎は気をうしなっていた。  羽織の下から突き出された小兵衛の拳《こぶし》に、ひ[#「ひ」に傍点]腹を撃たれたからである。 「むうん……」  と、一声。  くずれるように由次郎が倒れ伏した。 「これ、長次……長次や」 「へ、へい、へい……」 「どうした、青い顔をして……」 「だって大《おお》先生。たまったものじゃあございません」 「魚をあつかうようにはまいらぬと見える」 「あたり前でございますよ」 「山之宿《やまのしゅく》の駕籠駒《かごこま》まで、こやつを背負って行ってくれぬか」 「ど、どうなさるんでございます?」 「どうなさるって……どうにかせぬと、お前たち夫婦が困るのではないのかえ?」 「へえ、もう。まったく、いったい、どうしたらいいものかと……」  長次が何やら、いいわけがましく、 「うちの女房《やつ》が、よけいなくちばし[#「くちばし」に傍点]を突っこんだおかげで、とんでもねえことになってしめえまして……」 「だから、わしがいうようにすればよいのじゃ」 「はい。はい……」  長次の店から、〔駕籠駒〕までは目と鼻の先であった。  何をおもったのか小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]に「今夜は此処《ここ》に泊めてもらえ」と、いいおき、失神したままの由次郎を背負った長次と共に、元長の裏口から出て行った。  まだ宵《よい》ノ口のことで、階下には由次郎のほかに客がいなかったのがさいわいだ。  小兵衛は駕籠駒の顔なじみの駕籠|舁《か》きにたのみ、由次郎を町駕籠に乗せ、 「これ、長次。もう、帰ってよい。今夜、店を仕舞《しま》ったら、この大工の女房を何処に隠してあるのか、うち[#「うち」に傍点]のおはるにつたえておけ」 「これから、何処へ、おいでなさいますんで?」 「わしにまかせておけ。それよりも動転して、刺身なぞを切り損うなよ」  それから小兵衛は駕籠につきそい、大川橋(吾妻《あずま》橋)を東へわたった。  そして、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の自分の隠宅の傍《そば》の土手道まで来ると、駕籠舁きに、 「よし。ここで、中に入っている奴《やつ》を下ろして行っておくれ。なに、かまわぬ。あとは、わしが始末をするから……」  たっぷりと、こころづけ[#「こころづけ」に傍点]をやって駕籠を返した。  駕籠駒の駕籠舁きは、秋山小兵衛が何者であるかを、よく心得ている。 「それじゃあ、大先生。ごめんなせえやし」  駕籠は、たちまちに夜の闇《やみ》の中へ消えて行った。  小兵衛が駕籠駒から借りてきた提灯《ちょうちん》を、倒れている大工の由次郎の顔へさしつけると、意識がもどったらしく、 「う、うう……むう……」  由次郎が微《かす》かに呻《うめ》いた。 「おい。これ、これ……」  小兵衛に強くゆさぶられて、由次郎が両眼《りょうめ》をひらき、 「あ……」 「どうしたのじゃ?」 「え……へ、へい……」  由次郎は、あたりを見まわし、狐《きつね》につままれたような顔つきになった。  いうまでもなく、自分に当身《あてみ》をくわせた得体の知れぬものが、いま、目の前にいるおだやかそうな老人だとはおもってもみない。 「や……」  と、小兵衛が、さらに提灯をさしつけ、 「お前は、橋場の不二楼《ふじろう》へ、よく来ていた大工ではないのかえ?」 「へ、へい……」 「どうも、見たような顔だとおもった。わしはな、不二楼へはよく出かけるし、お前が、あそこの仕事をしているのを見たことがある」 「さ、さようで……」 「わしは、秋山小兵衛というものじゃが……」 「秋山先生でございますか……」  由次郎も、小兵衛のことを不二楼の主人の口から耳にしていたと見える。 「どうして、こんなところに倒れていたのじゃ。酒の飲みすぎかえ?」 「ここは、どこなんでございます?」 「鐘ヶ淵の傍じゃよ」 「へえつ……」  と、由次郎がおどろいた。 「いったい、どうしたわけなのだ?」 「ち、ち、畜生め、畜生め……」  大工の由次郎が口惜《くや》しげに土手道の土を拳で叩《たた》き、むせび泣きをはじめた。 「よし、よし……」  小兵衛は、由次郎の背中を撫《な》でさすってやりながら、 「通りかかって、お前を見つけたのも何かの縁《えにし》だろう。何か心配事があるなら、わしにはなしてごらん。よし、よし……わしの隠居所は、すぐ近くじゃ。いっしょにおいで。ゆるりとはなしを聞こうではないか。ちから[#「ちから」に傍点]になれるものならなってやろう。さ、立てるか……よし、手を貸してやろう。さあ、よし。歩けるかえ? まあ、そう泣くな。よしよし。わしをな、お前の父親《てておや》だとおもって、何も彼《か》もはなしてごらん。お前ほどの立派な腕をもっている大工はめった[#「めった」に傍点]にないと、不二楼のあるじもわしにいうていたぞ。さ、こっちだ。あぶないぞ。大丈夫かえ……」      二  翌朝も、遅くなって……。  元長に泊ったおはる[#「おはる」に傍点]が、おもと[#「おもと」に傍点]につきそわれて、鐘《かね》ヶ|淵《ふち》の隠宅へ帰って来た。 「昨夜はねえ、たん[#「たん」に傍点]と御馳走《ごちそう》になってしまって、もう身うごきができないくらいに食べて食べて……」  いいかけるおはるへ、小兵衛が、 「それなら、これから一年がほどは、毎日毎日、すっぽり[#「すっぽり」に傍点]飯でもかまわぬのう」 「いや。また、行きたい」 「しようのないやつじゃ」  たまりかねたように、おもとが口をさしはさんだ。 「先生。昨夜、あれから、どうなったんでございます?」 「ふむ。昨夜はなあ……」  小兵衛が苦笑を浮べ、煙草盆《たばこぼん》を引き寄せた。  すでに、大工・由次郎《よしじろう》の姿は隠宅から消えていた。昨夜あれから、小兵衛が由次郎を隠宅へ連れて来たとするならば、である。 「お前が来てくれたのなら、ちょうどよい。先《ま》ず、あの大工の女房のほうのはなしを聞こうではないか」 「ですが、先生……」 「なあに、亭主のほうは、わしにまかせておけ」  すると、おはるが、 「おもとさん。うち[#「うち」に傍点]の先生にまかせておけば、大丈夫ですよう」 「これ、お前は早く台所へ行って、わしの空腹《すきばら》を何とかせぬか」 「アレ、朝飯はまだですかよう」 「当り前じゃ。こんな老いぼれ亭主に、飯まで炊《た》かせる気かえ」  おはるが台所へ飛び込んで行くのを見送った小兵衛へ、おもとが、 「おきよ[#「おきよ」に傍点]ちゃんに逃げ込まれて、しかたなく匿《かく》まっているんでございますけれど……昨夜のように、商売をしている店の中で暴れられてはたまったものじゃございません。おきよちゃんには気の毒ですけれど、いったん、由次郎さんのところへ帰ってもらおうかとおもっているんでございます」 「だが、由次郎は、お前たちがおきよを匿まっていることを、どうして知ったのかな……?」 「だって先生。身寄りもないおきよが来るところといえば、うち[#「うち」に傍点]よりほかにないんでございますから……」 「その、密通をした相手の、浪人のところへ、どうして逃げ込まなかったのかな、おきよは……」 「そんなこと……私どもには、わからないんでございます」 「それで、お前たちは、おきよを何処に匿まっているのじゃ?」 「下目黒村に、やど[#「やど」に傍点]の伯父が住んでおりまして、そこに……」 「下目黒の何処じゃ?」 「お百姓なんでございますが、伯母のほうが、近くの大鳥神社《おおとりさま》の境内に茶店を出しております」 「なるほど……それで、おきよは何故、密通なぞをしたのであろう?」 「それなんでございます。おきよのはなしを聞いてみると、なるほど、むり[#「むり」に傍点]はないような……」  いいさして、おもとがなぜか、顔を赤らめた。 「どうして、むり[#「むり」に傍点]はないのじゃ?」 「あの……何と申しましたらいいんでございましょうか。つまり、その、由次郎さんと夫婦になってから、一度もその、夫婦らしいこと[#「夫婦らしいこと」に傍点]が、無いというんでございますよ」 「ほう……夫婦のまじわり[#「まじわり」に傍点]をせぬというのかえ?」 「はい。まあ、そういうことだと、おきよが申すのでございます」 「ふうむ……」  煙管《きせる》を置いて、小兵衛は腕を組んだ。  昨日、大工の由次郎から小兵衛が聞き取ったはなしの中には、一言も、そうしたことがふくまれていなかったのである。もっとも、三十をこえた男が、自分の肉体の秘密を簡単に打ち明けられるものでもあるまいが……。  おきよも子供ではない。そうした男と夫婦になっていることに満足が得られるわけのものではない。男女のまじわり[#「まじわり」に傍点]そのことより、女が女房になったからには、先ず、子を生みたいと願うものだ。正常の夫婦でいながら、子が生れぬというのならいたしかたもあるまいが、由次郎とおきよの場合は、 「これはもう、名のみの夫婦なんでございますから……」  と、おもとがいうとおりなのである。 「おもとや。その相手の浪人は、おきよの隠れ場所を知っているのかえ?」 「とんでもない。おきよだって、そんな浪人さんと添いとげるつもりはございません」  おきよは、おもとへ、 「魔がさして、ついつい、あんなことに……」  これから当分は、男のことなぞを忘れて、できるならば、不二楼《ふじろう》のようなところで、いま一度はたらいてみて、行く行くは女でもやれる小さな商売をしてみたいと、いったそうな。 「先生。由次郎さんは、今夜もまた、うち[#「うち」に傍点]へ来て暴れるつもりなんでございましょうか?」 「今夜は来ないよ。わしが、うまくいいきかせておいた」 「さようでございますか……」  おもとの顔に、生色がよみがえってきた。 「だが、おもと。このままにしておくわけにもゆくまい」 「いったい、どうしたらいいのでございましょう?」 「他人の夫婦のもめ[#「もめ」に傍点]事に、喙《くちばし》を突っ込むこともあるまいが、お前と長次が困っているのを見すごしているわけにもゆくまい」 「おねがいでございます、先生。後生でございます。何とかして下さいまし。このとおりでございます」  おもとは両手を合わせ、小兵衛に何度も頭を下げた。  おはるは台所で、おもとが桶《おけ》に入れてきた鯔《ぼら》をさばき、血ぬきをしている。  うす曇りの雲間から、夏の日が活《かっ》と庭先へ射《さ》し込んできて、裏の木立から蝉《せみ》の声がわき起った。 「一度、その、いまのおきよを見てみたいのう」  と、小兵衛がつぶやいた。      三  つぎの日の朝餉《あさげ》をすませてから、秋山小兵衛は、 「おはる[#「おはる」に傍点]。今日は、あまり遅くはならぬよ」  いい置いて、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を出た。  うす曇りの空からの日射《ひざ》しも鈍《にぶ》く、それでいて冷んやりとした微風がながれ、夏の外出《そとで》には絶好であった。  小兵衛は帷子《かたびら》に夏羽織を重ねた着ながしの姿で、脇差《わきざし》一つを腰に帯び、いつもの竹の杖《つえ》をついている。  涼しい所為《せい》か、大川《おおかわ》沿いの土手道には、長命寺や木母寺《もくぼじ》などに詣《もう》でる人びとの姿が、いつもよりは多い。  小兵衛は、長命寺の前をすぎ、尚《なお》も土手道を南に行く。  その、すこし前から、 (だれかが、わしの後をつけて来る……)  と、小兵衛は感じていた。  すぐれた剣客《けんかく》である小兵衛の勘ばたらきは、老いて尚、いささかもおとろえていなかった。  だが、一度も振り向かぬ。  三囲稲荷《みめぐりいなり》の前まで来て、小兵衛の足がわずかにとまったとおもったら、つい[#「つい」に傍点]と、土手道に面した一ノ鳥居をくぐり、社《やしろ》の方へ歩みはじめた。  一ノ鳥居から、松並木の細い参道が田圃《たんぼ》の中を通っており、途中に二ノ鳥居がある。  この小梅《こうめ》村にある三囲稲荷社は、田中稲荷などともよばれているそうな。  別当は天台宗の延命寺と号し、神像は弘法《こうぼう》大師の作で、同大師の勧請《かんじょう》によるものだそうな。  後年、三井寺の源慶僧都《げんけいそうず》がこれを再興したという。  門を入った右手の大黒堂《だいこくどう》の蔭《かげ》に、小兵衛は身を寄せた。  と、間もなく……。  小兵衛の後から、境内へ入って来た男がある。  小兵衛は、ひそかにこれを見て、 (おや……?)  と、おもった。  男は元長の亭主の長次ではないか……。 (長次が、わしの後をつけて来たのか……おかしな奴《やつ》じゃ。何故、こんなまね[#「まね」に傍点]をするのか……?)  であった。  長次は身を屈《かが》め、境内の何処《どこ》かにいる小兵衛の姿を、そっと探しているようだ。  長次の顔は、蒼《あお》ざめている。  両眼のふち[#「ふち」に傍点]に隈《くま》が浮いていた。  小兵衛が大黒堂の蔭から音もなくあらわれ、長次の背後へまわり、 「おい……」  長次の肩を、ぽんとたたくや、 「ひえっ……」  長次め、飛びあがるようにしておどろいたものだ。 「お、大《おお》先生……」 「お前、何で、わしの後をつけたりなぞする?」 「も、申しわけもございません」  おどろきもし、あやまりもしたが、小兵衛に見つけられても、長次は疚《やま》しいところがないように見えた。 「いまどき、こんなところをうろついていて、今日の店の仕込みはどうするのじゃ?」 「いえ、あの、店はやすんだのでござんす」 「また、あの大工が暴れ込んで来るからかえ?」  すると、長次が、 「はい。女房には、そういってありますんで……」  と、こたえた。 「………?」  長次のこたえには、何やら、ふくみ[#「ふくみ」に傍点]がこもっている。 「わしの後をつけて、お前は……」 「もう、そいつをおっしゃらねえで下さいまし」 「だって、そうじゃないか」 「いえ、今朝方から御隠居所の前を往《い》ったり来たりして、何度も中へ入ろうとおもったのでございますが……」 「ふうむ。それじゃ、何ぞ、わしに用があったのか?」 「そ、そ、そのとおりなんで……」 「では何故、入って来ない。妙なやつじゃな」 「まったくその、妙なんでございます」  長次が、泣き出しそうな顔つきになった。 「いったい、どうしたのじゃ?」 「へ、へい……」  参詣《さんけい》の人が入って来るのを見て、小兵衛が、 「ま、ついて来い」  ともかくも、社殿へぬかずいたのち、南の門から、境内を出た。  ここも田圃の中の小道が、水戸家の下《しも》屋敷のあたりまでつづいており、その途中に、老婆《ろうば》がやっている掛茶屋《かけぢゃや》がある。  小兵衛は、ここへ入り、茶をたのんで奥の腰掛けへ腰をおろし、腰の煙草《たばこ》入れを抜き取った。 「あの大工、昨夜は、やって来なかったろう?」 「おかげさまで……大先生が、よくよく、いい聞かせて下さいましたとか……」 「おもと[#「おもと」に傍点]が、そういっていたかえ」 「はい」  老婆が茶を運んで来て、去った。 「さ、はなしてごらん。どうしたというのじゃ?」 「へ……」 「煮え切らぬ男だのう」 「も、申しあげます。おもいきって、申しあげます」 「うむ、うむ……」 「実は……」 「実は?」 「由次郎の女房のおきよ[#「おきよ」に傍点]が、うち[#「うち」に傍点]の女房《やつ》と同じ不二楼《ふじろう》におりましたことは、大先生も御存知で……」 「ああ、知っているよ。それがどうした?」 「私も、へい……不二楼で長いこと、庖丁《ほうちょう》を取っておりました」 「そんなことは百も承知だ。かんじんのことを早くいいなさい」 「へ、へい……それで、その、実は、私がその、おきよに手を出したことがございますんで……」 「何じゃと?」  小兵衛にとっても、これは実に意外なことであった。 「いえ、大先生。これは、うちの女房とできる[#「できる」に傍点]前のことなんでございます」 「当り前だ。それでなくては、わしがゆるさぬ」 「そう、お怒りにならないでおくんなさいまし」  うつ向いた長次の体が、わなわな[#「わなわな」に傍点]とふるえている。  しずかに、小兵衛が煙草を吸いつけて、 「で、このことを、おもとは知っているのかえ?」 「いえ、知ってはおりません、へい……」 「ふうむ……」  煙草のけむりを吐き、田の面《も》へ視線を移した秋山小兵衛へ、 「お、大先生……」  たまりかねたように、長次がこういった。 「あの……あの、おきよという女は、とんでもねえ女なんでございます」 「ほほう……」 「ひどい目[#「ひどい目」に傍点]に合っているのは、私だけじゃあございません」  白鷺《しらさぎ》が一羽、ゆっくりと田の面へ舞い下りて来た。  ぽんと灰吹きへ煙管《きせる》を落した小兵衛が、 「長次。さあ、すっかり泥《どろ》を吐いてしまえ」 「大先生。お助け下さいまし。どうか、助けてやっておくんなさいまし」  恥も外聞もなく、長次が泣き声を出した。      四  大鳥明神の社は、有名な目黒の不動尊の北方二町ほどのところにある。  こんもりとした杉の木立に包まれた藁屋根《わらやね》の拝殿も、まことに鄙《ひな》びたもので、ここには泉州《せんしゅう》大鳥の御神を勧請《かんじょう》してある。  物の本に、 「……当社は目黒村の鎮守《ちんじゅ》にして、祭礼は五月と九月の九日を例とす。  このあたりを、すべて目黒と名づけ、上中下とわかれて、|広こう[#「こう」は「口+廣」第4水準2-4-47]《こうこう》の地なり」  とあるように、現代のビルや高層マンションがたちならぶ風景から想像もつかぬ田園地帯であった。  筆者が少年のころには、まだ、そうした景観が目黒には残ってい、名物の筍《たけのこ》もずいぶんと採れたのである。  元長の長次の伯父で、下目黒村に住む百姓・喜十は、雨が降ると、大鳥神社の鳥居の傍《そば》に小さな茶店を出している女房おきね[#「おきね」に傍点]を手つだいに行くのがならわしであった。  この日も、雨が降り出してきたので、喜十は雨仕度をし、程近い大鳥神社へ出かけた。  出るときに喜十は、物置小屋の方を白い眼《め》でにらみ、いまいましげな舌打ちを洩《も》らしたようだ。  その物置小屋には畳が入っており、おもと[#「おもと」に傍点]と夫婦になる前の長次が月に一度は訪ねて来て泊るために、喜十夫婦が改造したものである。  長次は一人っ子で、両親もすでに亡《な》い。  喜十夫婦も、女の子を二人、病気で死なせてしまっており、そのためか、甥《おい》の長次が、まるで我が子のように可愛《かわい》いらしい。  なればこそ、長次とおもとがやって来て、 「実は、これこれこういうわけ[#「これこれこういうわけ」に傍点]で、まことにすまないが伯父さん。なんとか、はなしのつくまで、この女《ひと》をあずかっておくんなさい」  しきりに、たのむものだから、亭主の許《もと》から逃げ出して来たというおきよ[#「おきよ」に傍点]をあずかったのである。  それが、どうだ。  目黒へ来て、ものの[#「ものの」に傍点]五日もたたぬというのに、物置小屋へ隠れているおきよのところへ、情夫らしい浪人者が入り込み、昼日中《ひるひなか》から戸を閉ざしたきり、もう、二日も出て来ない。 「婆《ばあ》さまよ。おらあ、明日にでも長次のところへ出かけてみるつもりだ」  と、古女房の茶店へやって来た喜十が、たまりかねたようにいった。 「あのおきよという女……おとなしそうな、妙に、哀《かな》しそうな目つきをして、しょんぼりとしているものだから、おらも可哀相《かわいそう》になり、あずかる気になったのだがよ。まあ、あんな顔をして空おそろしい。昼日中から情夫《おとこ》を引っ張り込んで、飯も食わずに乳繰り合っていやがる」 「そんなところを爺《じい》さま、見たのかね?」 「ばか[#「ばか」に傍点]をいうでねえ。見たわけじゃねえが、飯の仕度が出来たと知らせに行っても返事しねえし、戸も開けねえ……となれば、中の様子は、およそ知れるわい」 「困ったものだねえ、爺さま……」 「ともかくも、明日は長次を引っ張って来て、あの女を引き取ってもらうつもりだ」 「それにしてもどうして、おきよさんは、あの浪人さんに自分の居所を知らせたのかねえ?」 「わかんねえ。そういうとこがあの女[#「あの女」に傍点]、油断できねえだ。おらが畑へ出ている隙《すき》に道へ出て、通りがかりの者に金やって、手紙でもことづけたのじゃねえだろか……。こんなことが、土地《ところ》の人たちに知れたなら、おらの顔が丸潰《まるつぶ》れになる。ああ、どうも、女という生きものは化物《ばけもの》だよう」 「あれ、そんなことねえよ、爺さま」 「うんにゃ、化物だ、化物だ。あんなにしおらしい[#「しおらしい」に傍点]顔をしていても、腹ん中では何を考えているか知れたものじゃねえ。女の顔も体も言葉《くち》も、みんな嘘《うそ》だ、女は嘘のかたまりだと、いつかだれかに聞いたことがあるけれど、ほんとうにそうだわい」 「女、女というが爺さま。このわしも女だがよ」 「婆さま。お前は別だ、お前が化物だったら四十年も一緒に暮していられるわけがねえ」 「そんなら、いいがよ。うふ、ふふ……」  にっこりとして、おきねが白髪《しらが》を掻《か》きあげた。  六十をこえても、この夫婦は仲がよい。  この日は、長次が秋山小兵衛へ意外な告白をした翌日にあたる。  客もいない茶店で老夫婦が語り合っている、ちょうど、そのころに……。  秋山小兵衛は傘《かさ》に高下駄《あしだ》という雨仕度で、大工・由次郎《よしじろう》の住居《すまい》へ姿を見せた。  下谷《したや》の山伏町に、仙竜寺《せんりゅうじ》という寺がある。その裏手の五軒長屋の一つに、由次郎は住んでいた。  雨なので、由次郎は大喜の仕事にも出ず、家に引きこもっている。 「あ……秋山先生……」  飛び立つようにして小兵衛を迎えた由次郎が、 「野郎。帰《けえ》っております」  と、いった。 「そうか……」 「先刻《さっき》、向うの井戸端で、顔を洗っておりました。今朝の暗いうちに帰って来やがったにちげえねえ」 「昨夜は……?」 「明け方まで、灯《あか》りがついておりませんでした」 「ふうむ……」 「野郎。おきよのところから帰って来やがったに違《ちげ》えねえ。畜生め。元長の夫婦は、おきよを何処《どこ》へ隠しゃあがったのか……」 「これ、そう熱《いき》り立つなよ」 「ですが、先生……」 「いま、しばらく辛抱をしていろ」 「とにかく、私ぁ、一時も早く、此処《ここ》から出てえので……だって先生。となり近所でも、私が、あの野郎に女房を寝取られたってことを、みんな知っているんですから、見っともねえの何のって……たまったものじゃありません」  由次郎が口惜《くや》しげにうったえるのを見ていると、この男が女房を抱いても、男女のまじわり[#「まじわり」に傍点]ができぬような男だとは、 (どうしても、おもえぬ……)  小兵衛であった。  五軒長屋の前は空地になってい、夏草が茂るままにまかせてあった。この空地は仙竜寺のもので、一隅《いちぐう》に小屋が一つ建っている。  以前、空地が仙竜寺の菜園だったころ、これを管理させるために百姓を雇い、小屋に住まわせておいたのだ。  その小屋に、いまは、由次郎の女房おきよを寝取った浪人・大野作兵衛《おおのさくべえ》が住んでいる。仙竜寺でも、ちかごろは大野に出て行ってもらいたいらしいのだが、借り賃はきちんと入れているし、六尺に近い大男で、いかにも膂力《りょりょく》の強そうな大野作兵衛を見ると、何もいえなくなるという。  空地の小屋の前に、仙竜寺の石井戸があって、それが由次郎の住居の小窓から見える。 「よし。それでは、いますこし待ってみて、その浪人の顔を見ておいてやろう」 「ごらんになって、何とかしておくんなさいますか?」 「何とかするつもりじゃから、こうして此処に来たのじゃないか」 「へい、へい」 「酒はあるか?」 「ございますとも」 「何も威張ることはない。仕度をしておくれ」 「承知いたしました」  雨は、七ツ(午後四時)ごろにあがった。  大野作兵衛が小屋から出て来て空を見上げ、いったん中へ入ったが、すぐに大小の刀を帯びてあらわれた。 「あの浪人かえ?」 「さようでございます」 「お前は此処をうごくなよ。よいか、よいな?」 「へい」 「ちょっと、出て来る」  小兵衛は、すかさずに由次郎の住居を出て、大野の後をつけて行った。  ちょうど、そのころ……。  大鳥明神の茶店の後片づけに女房を残し、一足先に下目黒村の家へ帰って来た喜十が、 (よし。女だけを外へよんで、明日、おらが長次のところへ行くことを念押ししてやろう)  そうおもって、物置小屋の戸口へ近づき、 「もし……もし、おきよさん……おきよさん、ちょっと、出て来ておくれなさい」  何度も声をかけたけれども、返事がない。 (あんまり、人を虚仮《こけ》にするもんでねえ)  憤然となった喜十は、 「もし、おきよさん。返事をしたらどうだね!!」  大声によびかけたが、尚《なお》も返事がないので、たまりかねたように戸へ手をかけると、何とこれが、するり[#「するり」に傍点]と開いたではないか。 「これ、おきよさん……」  と、土間へ足を踏み入れた喜十が、 「あっ……」  立ちすくんだ。  血に塗《まみ》れたおきよが、仰向《あおむ》けに倒れ、息絶えているのを見たからである。  浪人の姿は何処にも見えなかった。  まだ、あたりが明るいうちに、喜十が浅草の元長へ駆けつけて来て、おきよ殺害《せつがい》の事を告げ、こういった。 「お上《かみ》へとどけ出るのが順当だが、長次。そうなって、もしも、お前の身に面倒が起きてはとおもい、先《ま》ず第一に、お前に知らせておこうとおもい、婆さまを残して、駆けつけて来ただよ」 「な、何だって……ほ、本当かね、伯父さん」 「嘘ついて、何になる」  入れこみの座敷で、いま、盃《さかずき》を手にしたばかりの秋山小兵衛が立ちあがった。  小兵衛はあれから、大野作兵衛が坂本三丁目の飯屋で酒をのみ、腹ごしらえをしたのち、何処へも立ち寄らず、仙竜寺の小屋へ帰ったのを見とどけてから、大工の由次郎へ、 「いますこしの辛抱じゃ。かならず血迷ったまね[#「まね」に傍点]をするなよ」  いい置いて、隠宅へもどる途中、元長へ立ち寄ったばかりなのである。  元長は、今日、店をやすんでいた。  おもとは、小兵衛があらわれるすこし前に、魚を桶《おけ》に入れ、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へとどけに出たそうな。 「長次。駕籠駒《かごこま》へ行き、二|挺《ちょう》たのんで来い」  と、小兵衛がいった。      五  翌朝も、まだ暗いうちに、 「おい、起きろ。戸を開けておくれ」  戸を叩《たた》く音に目ざめた大工の由次郎《よしじろう》が、 「どなた?」 「わしじゃ」 「あっ……秋山先生……」  飛び起きて戸を開けた由次郎が、 「せ、先生。こんなに早くから、どうなさいました?」 「ばかもの!!」  小兵衛が叱《しか》りつけた。 「どうしたもないものじゃ。こんなに、朝も暗いうちから、年寄りのわしが駆けずりまわっているのも、みんな、長次とお前たち夫婦のためではないか」 「へっ……まったく、もって……」 「こいつめ。寝呆《ねぼ》けたのか」 「も、申しわけございません」 「どうじゃ。向うの浪人の様子は?」 「まだ、よく眠っておりますんで……」 「何をいう。ろく[#「ろく」に傍点]に見張りもしておらぬくせに……」 「へっ……あんまり先生、おどかさねえでおくんなさいまし。先生の、その光る目つきが、私ぁ、恐ろしい……」  由次郎は頭を抱え込んでしまった。 「よし。もうよい。早く飯の仕度をせぬか」 「へ……?」 「腹がへっているのじゃよ、わしは……」 「へい、へい……」  小兵衛は、下目黒村の長次の伯父の家から、まっすぐに此処《ここ》へ来たことを由次郎に告げていない。  したがって、物置小屋の中の、むごたらしいおきよ[#「おきよ」に傍点]の死体についても、まだ、由次郎には語っていない。  女房が殺害されているとも知らず、由次郎は土間へ下りて飯を炊《た》きはじめた。  その後姿を見やりつつ、めずらしく秋山小兵衛が、沈痛の面《おも》もちになっている。  昨夜、長次と共に下目黒へ駆けつけた小兵衛は、おきよの死体を充分にあらためたのち、 「かまわぬ。そっと埋めてしまえ」  と、決断を下した。  ほんらいならば、お上へ届け出て、検屍《けんし》を待ち、検視がすんでから葬《ほうむ》るべきなのだ。  それを、小兵衛の独断で、喜十の家の、裏手の竹藪《たけやぶ》の土中へ深く埋め込んでしまったということは、小兵衛自身が、この殺人事件を、 「裁いた……」  ことになるのである。  いま、小兵衛はそのことを、あらためて我が胸に問うている。 (一介の隠居にすぎぬわしに、それだけの権限があるはずもない……)  からであった。  すべては、目をかけている長次夫婦の身をおもえばこそ、おもいきって仕てのけたのだ。  お上へ届け出れば、当然、長次夫婦から喜十夫婦にまで調べが行きとどき、どちらにせよ災難はまぬがれない。現代とちがって、当時の刑罰は、すべて連帯の責任《せめ》によっておこなわれるからである。 (こいつは、むずかしいぞ)  何やら、胸が重苦しい。 (ばかなやつどもばかり、そろっていて、こんな事件《こと》を引き起した……)  小兵衛は舌打ちをした。  その音を聞いた由次郎が、土間でくび[#「くび」に傍点]をすくめた。  炊きたての飯に、実《み》なしの味噌汁《みそしる》と梅ぼしだけの朝餉《あさげ》を小兵衛が終えたとき、あたりは、すっかり明るくなった。  快晴である。今日は暑くなることであろう。五軒長屋の人びとが目ざめて、裏の井戸端が急にさわがしくなってきた。 「あっ……せ、先生。野郎、出て来ました」  窓の障子の隙間《すきま》から、向うの仙竜寺の小屋を見張っていた由次郎が小兵衛にいった。 「どれ……」  見ると、浪人・大野|作兵衛《さくべえ》があらわれ、石井戸の水を汲《く》みあげ、顔を洗い、口を濯《すす》ぎはじめた。  色の浅黒い、堂々たる体躯《たいく》の大野浪人は三十を五つ六つは出ていよう。身ぎれいにしているし、なかなかの男振りであるが、目つきが、いかにも鋭い。その鋭さを隠し切れぬところに、この男の生活が看《み》て取れた。  間もなく……。  大小を帯した大野浪人が小屋を出て、坂本の方へ向った。いつも行く飯屋で朝餉をするつもりなのであろう。  このとき、すでに、秋山小兵衛の姿は大工の家から消えている。  大野は、入谷田圃《いりやたんぼ》を前方にのぞむあたりで、左へ曲った。  両側は、寺院の塀《へい》である。  この細道を抜けると坂本の大通りへ出るのだ。  と、左側の長松寺《ちょうしょうじ》の土塀へ向って放尿をしている小さな老人を大野は見た。  別に、めずらしい景色ではない。  大野は、老人の背後を通りぬけようとした。  実に、そのときであった。  老人……秋山小兵衛が、ひょいと振り向いた。  放尿を終えて振り向いたのではない。放尿の途中で振り向いたのだ。  当然、小兵衛の股間《こかん》から勢いよく土塀の裾《すそ》へそそがれていた液体が大野作兵衛の腰の下から脚へかけて、もろ[#「もろ」に傍点]にあびせかけられた。 「ああっ……」  飛び退《の》いたが、間に合わなかった。 「老いぼれ。な、何をする!!」  怒鳴った大野へ、小兵衛が、 「何をされたのか、わからぬのか、ばかものめ」  にやり[#「にやり」に傍点]と笑った。 「うぬ!!」  これが怒らずにいられようか。  大野作兵衛が腰をひねって抜き打ってきた。  びゅっ……。  意外に凄《すさ》まじい刃風が小兵衛を襲った。  これを燕《つばめ》のごとくかいくぐった小兵衛へ、 「や、えい!!」  すかさずに大野は追い打ちをかけた。  裾をまくりあげ、股間の一物《いちもつ》をさらけ出したままの小兵衛が、 「しっかり来い!!」  叫びざま、地を蹴《け》って躍りあがった。 「う……」  宙に飛んだ小兵衛へ、大野の一刀はついて行けなかった。  よろめいた大野の頭を、小兵衛の足がしたたかに蹴りつけた。 「あっ……」  のけぞる大野作兵衛のひ[#「ひ」に傍点]腹へ、飛び下りて来た小兵衛の拳《こぶし》が強烈に突き込まれた。 「むうん……」  わずかに呻《うめ》き、手から大刀を落した大野が、くずれるように倒れ伏し、気をうしなった。  しばらくして、大野作兵衛が気づいたとき、通りがかりの人びとが遠巻きにして、大野をながめていた。  小さな老人の姿は何処《どこ》にも見えぬ。  寺の木立から、蝉《せみ》が鳴きはじめている。  大野は、まだ、夢の中をただよっているおもいがして、きょろきょろと、あたりを見まわした。      六  浅草御門外の大通りを浅草寺《せんそうじ》の方へ向って少し行くと、両側が浅草・茅町《かやちょう》二丁目の町すじになる。  その西側の、瓦町《かわらまち》との境の角地に〔浦島蕎麦《うらしまそば》〕という小ぎれいな店があり、ここの太打ちの蕎麦はなかなかにうまいという評判だ。  この日の午後に……。  あれから隠宅へもどって、昨日からの汗と埃《ほこり》にまみれた衣類を着替え、風呂場《ふろば》で汗をながし、さっぱりとなった秋山小兵衛が、浦島蕎麦へあらわれた。  この店へ入るのは、今日がはじめての小兵衛であった。  小兵衛は、しゃれた造りの二階座敷へあがってから、小女《こおんな》にこころづけ[#「こころづけ」に傍点]をわたし、 「ほれ、そこの福井町の柏屋《かしわや》さんへ行き、若旦那《わかだんな》の駒太郎《こまたろう》さんへ、直《じか》に、この手紙をわたしておくれ」  一通の手紙をもたせてやった。  それから、小兵衛は酒をたのみ、ゆっくりとのみ終えてから蕎麦を食べた。  小女は、もどって来て、 「たしかに、若旦那さんへおわたしいたしました」  と、小兵衛に告げたのだが、およそ半刻《はんとき》(一時間)がすぎても、柏屋駒太郎は顔を見せぬ。 〔柏屋〕は、雛人形《ひなにんぎょう》や高級|玩具《がんぐ》の問屋で、当主の利兵衛《りへえ》には男子がなく、養子を迎えて、むすめのお幸《こう》と夫婦にしたのが四年前のことだそうな。  若旦那とよばれている養子の駒太郎は当年二十八歳で、妻お幸との間に男の子を一人もうけている。  秋山小兵衛は、柏屋利兵衛方のだれとも面識がない。それなのに、若旦那の駒太郎へ手紙をとどけ、この浦島蕎麦へ、 「呼び出しをかけた……」  のであった。 「はて……来てはくれぬか、な……」  つぶやいた小兵衛が、あきらめかけて腰を浮かせたとき、小女があがって来て、 「柏屋さんの若旦那さんが、お見えでございますよ」 「おお、そうか。すぐに、これへ……」 「はい」 「それから、わしが呼ぶまでは何もかまわぬでよいぞ」 「はい」  小女が去ってから、重い足取りが階段をのぼって来るのに、小兵衛は聞耳をたてた。  柏屋の駒太郎である。  長身の、男らしい顔《おも》だちだが、顔色は蒼《あお》ざめ、両眼《りょうめ》は血走ってい、 「私が、駒太郎でございますが……」  膝《ひざ》をついて、小兵衛にいった。 「お前さんかえ……」 「お手紙をいただきましたが、何のことやら、さっぱりわかりませぬ」 「もと不二楼《ふじろう》の座敷女中、おきよ[#「おきよ」に傍点]のことについてはなしがあると、したためておいたはずじゃが……」 「存じません、そのような女は……」 「ふうむ、そうかえ。それならば何故、わしの呼び出しに応じて此処《ここ》へ来たのじゃ?」  駒太郎はこたえず、目を伏せるようにして、 「あなたさまは、どちらさまでございますか?」 「おきよはな、昨日の朝か一昨日《おととい》の夜に、殺害されてしまったよ」 「…………」  上眼づかいに凝《じっ》と、こちらをにらむ駒太郎へ、いささかもかまわず、小兵衛が、 「わしはな、どうも性質《たち》のよくない浪人者の仕業《しわざ》だと、はじめはおもっていたのだが、どうもちがったらしい。その浪人者なら、わけもなく、まるで鶏《とり》のくび[#「くび」に傍点]でもしめるように女を殺せたろう。ところが、おきよは逃げようとして、ずいぶんと暴れたらしい。まるで見られたものではない。めちゃくちゃに頭を叩《たた》き割られ、十何ヵ所もの手傷を負っていた。死体の傍《そば》には、血だらけの薪割《まきわ》りが落ちていたがのう」  駒太郎の体が、烈《はげ》しくふるえはじめた。 「あの浪人者は剣術も相当につかう。あんな不様《ぶざま》な殺し方はすまいと、わしはおもう」 「あ、あなたさまは、いったい……」  悲鳴のような声で問いかけてきた駒太郎をじろり[#「じろり」に傍点]と見やった秋山小兵衛が、 「お前が殺したのじゃな」  と、いったものだ。  低い声でいったのだが、その呼吸は、抜き打ちの一刀を浴びせかけたかのように寸分の隙《すき》もなかったので、 「う……」  柏屋駒太郎が喉元《のどもと》へ棒切れをさし込まれたような顔つきになり、絶句してしまった。 「やはり、そうだったのか……」 「う……いえ、あの……」 「お前さんが以前、不二楼へよく出かけていたころ、おきよと徒《ただ》ならぬ間柄《あいだがら》になっていたことは、わしもよく知っている。その後、おきよは大工の女房になったわけじゃが……以前、自分と体の関《かか》わり合いをつけた男どもから、相変らず、金をせびり取っていたようじゃな」 「そ、そんなことまで……」 「あの浪人めが、おきよの代人《だいにん》となり、男どもに強請《ゆすり》をかけていたらしいのう」 「う……」 「おきよは、二百両に近い大金が入った胴巻を白い腹に巻いて息絶えていたわえ」  柏屋駒太郎が、がっくりと肩を落した。  秋山小兵衛は立ちあがって、 「いまのところ、わしがすることといえば、これまでじゃ。お前さんも養子の身で、おきよに金をゆすられるたびに、さぞ、辛《つら》いおもいをしたことだろう。ひどいといえばひどい女よのう」  出て行こうとするのへ、駒太郎が、 「もし、お待ちを……」 「何だえ?」 「あなたさまは、お上の……?」 「わしが役人ならば、このままではすむまいが……」  いい捨てるや、小兵衛は駒太郎を残し、階下へ去った。  三囲《みめぐり》神社の茶屋で、長次が、 「ひどい目に合っているのは、私だけじゃあございません」  と、小兵衛に告げた、その別の男が柏屋駒太郎だったのだ。  翌日の午後。  長次が、小兵衛の隠宅へ駆けつけて来た。 「大《おお》先生。た、大変なことに……」  と、台所にいるおはる[#「おはる」に傍点]へは聞えぬように、長次が声をひそめ、 「柏屋の若旦那の死体が、大川《おおかわ》にあがりましたんで……」 「大川へ身を投げたのかえ?」 「そうとしか、おもえません。こ、こいつはいったい、どうなっているんでございましょう」 「わしは知らぬよ。長次。それよりも、下目黒の伯父夫婦の身柄は大丈夫だろうな?」 「へい、それはもう……不二楼の旦那があずかっていておくんなさいますから……」 「女房はどうした?」 「おもと[#「おもと」に傍点]のやつは、もう、おろおろしております」 「事が落ちつくまで、店を開けるな。開けたところで、客をもてなす気にもなれまい、どうじゃ?」 「ま、まったく、そのとおりなんで……」 「ところで、お前は、あのおきよに、どれほどの金をせびり取られたのじゃ?」 「へ……二両、三両と、ゆすられまして……合わせて二十五両ほどでございました」 「女房に気づかれていないのじゃな?」 「へい。へい……」  長次のところへは、さすがにおきよも、浪人の大野|作兵衛《さくべえ》をさしむけてよこさなかった。  なればこそ、大野は元長へ姿を見せぬのであろう。  しかし大野は、あれから、おそらく下目黒の喜十の小屋を訪れたにちがいない。  ところが、おきよの姿も見えぬし、喜十夫婦も家の戸を閉ざして不在だ。  おきよがいた小屋の中の血痕《けっこん》などは始末をしておいたけれども、何となく異様なものを大野は感じ取ったにちがいない。 「長次。早く帰れ」 「へ、へい……」 「そうじゃ。わしも、いっしょに出よう」 「どちらへ、おいでなさいますんで?」 「ちょいと、な……」 「ちょいと……?」 「うむ」  小兵衛は、おはるに夕餉《ゆうげ》は外でするといい、例のごとき外出《そとで》の姿で、長次と共に隠宅を出て行った。      七  坂本の通りに〔鮒宗《ふなそう》〕という飯屋がある。  蜆汁《しじみじる》を売り物にしているこの店[#「この店」に傍点]は、朝早くから店を開けるかわりに、夜は五ツ(午後八時)に店を閉めてしまう。  坂本の通りは、日光・奥州《おうしゅう》両街道への道すじにあたるところだし、人馬の往来もにぎやかで、鮒宗とは反対に、日暮れから店を開け、翌朝まで酒や飯を売る店もあるのだ。  秋山小兵衛が鮒宗へあらわれたのは、まだ明るい時刻であった。小兵衛はひとりきりで、入れ込みの板敷きへあがり、先《ま》ず、酒を注文した。  細い通路をはさんだ両側には薄縁《うすべり》が敷きつめてあり、合わせて十坪ほどにもなろうか。  あたりが暗くなると、安価で美味な酒食をよろこぶ人びとの姿が、この十坪の板敷きに充満するわけだが、いまは、小兵衛のほかに三人ほどの客がいるのみだ。  小兵衛は、気長に盃《さかずき》をなめ、泥鰌鍋《どじょうなべ》をつつきながら、約|一刻《いっとき》(二時間)をすごした。  しだいに、客が立て込んでくる。  外の夕闇《ゆうやみ》が、夜の闇に変りつつあった。  そのとき……。  無頼浪人の大野|作兵衛《さくべえ》が鮒宗へ入って来た。  小兵衛は知らぬ顔で盃をなめていたけれども、大野浪人が小兵衛を見るや、さっ[#「さっ」に傍点]と顔色を変えた。  そして、顔なじみの小女が、 「あら、先生。今日は遅いんですねえ」  と、声をかけるのへ応じようともせず、くるり[#「くるり」に傍点]と身を返し、外へ出て行ってしまった。  小兵衛の口もとに、うすい笑いが浮んだ。  間もなく、小兵衛は勘定をはらって鮒宗を出た。  通りを突っ切って、小兵衛は寺院に囲まれた細道へ入った。  このあたりは日中でも人通りが少ないところゆえ、日が落ちると全く人影が絶えてしまう。  曲りくねった細道を東へぬけると、眼前が豁然《かつぜん》とひらける。入谷田圃《いりやたんぼ》へ出たのだ。  突然、小兵衛は背後にせまる殺気を感じた。  振り向いた小兵衛の真向《まっこう》から、 「たあっ!!」  必殺の一撃を打ち込んだのは、大野作兵衛である。 「む!!」  右足を引いて、顔面すれすれに大野の一刀をかわした小兵衛の左手が大野の帯へかかった。 「ぬ!!」  大野は、振り放そうとしたが、細くて小さな老人の腕には磐石《ばんじゃく》のちからがこもっているばかりでなく、身を捩《よじ》る大野の体へぴたり[#「ぴたり」に傍点]と密着している。 「おのれ、くそ!!」 「おとなしゅうしていれば、見逃してやらぬものでもなかったに……」 「放せ!!」 「この老いぼれに手込めにおうたが、それほどに口惜《くや》しかったか……」 「むう、放せ、放せ!!」 「こうかえ……」  ぱっと、小兵衛が大野の帯から手を放した。  逃げるかとおもった大野作兵衛が向き直りざまに、 「やあ!!」  横なぐりに、小兵衛を切り払った。  切り払って、そのままの姿勢で、大野浪人がうごかぬ。  秋山小兵衛は背を見せて田圃道へ入って行きながら、懐紙で脇差《わきざし》の刀身をぬぐい、鞘《さや》におさめ、ゆっくりと遠ざかって行き、闇の中へ溶け込んでしまった。  大野作兵衛の巨体が、地ひびきを打って転倒した。  くびすじから喉《のど》のあたりにかけて、おびただしい血汐《ちしお》が噴き出し、道へこぼれた。  すでに、大野は息絶えている。      ○  それから七日目の昼下りに、元長の長次が見事な鯉《こい》を桶《おけ》に入れて、小兵衛の隠宅へあらわれた。  折しも、おはる[#「おはる」に傍点]は関屋村の実家へ出かけている。 「どうじゃ、長次。すこしは落ちついたかえ?」 「へえ、なんとか……」 「目黒の伯父夫婦は、どうしている?」 「元気でやっておりますが、竹藪《たけやぶ》の中に、おきよ[#「おきよ」に傍点]の亡骸《なきがら》が埋めてあるとおもうと、あんまり、いい気もちはしないそうでございます」 「殺したのは、お前たちではない。柏屋《かしわや》の駒太郎《こまたろう》じゃよ」 「はい。それは、よくわかっておりますが……」 「折を見て、わしが、あの女の骨を、どこぞの寺へでも移してやろう」 「ほ、本当でございますか?」 「うむ」 「それを聞けば、伯父さんたちも、どんなに安心をするか知れません、へい」 「今度の事件《こと》では、みんながそれぞれに、自分のしたことの始末をつけてくれたようなものじゃが……長次。お前だけはそうではないぞ」 「大先生。御恩は、もう決して……」 「恩を着せているのじゃない、毒をもった女に気をつけよというているのじゃ」 「は、はい」 「それにしても長次。あのおきよという女……あの女の、どこがよかったのかのう。何人もの男が現《うつつ》をぬかすほどの美形でもなし、陰気で無口で、酒の相手にもなるまいし、抱いて寝たところで、つまらぬような……」 「大先生。ですから、その陰気なところが、たまらねえのでございますよ、男には……」 「ふうん……」 「子供のころに、両親《ふたおや》に死なれて、親類のおじさんとか何とかいうのに手ごめにされたのが、あの女の苦労のはじまりなんで……」 「ほんとうかのう……?」 「いえ、そんなはなしを、妙に湿っぽく、ぼそぼそ[#「ぼそぼそ」に傍点]と打ちあけられてみると、もう、こっちはたまらなく、あの女が可哀相《かわいそう》におもえてきて……」 「ほう……」 「そんなとき、あの女が……おきよが、哀れっぽい目つきで、凝《じっ》とこっちを見つめてきたら、大先生だって、どうにかなってしまったかも知れません」 「何を、ばかな……」 「いえ、大先生は、あの女を知らねえから、そんなことをおっしゃるので……」 「何を知らぬというのじゃ?」 「へえ……」  と、長次は、庭先に群れ咲いている弁慶草の小さな白い花を、まるで、夢でも見ているような目つきでながめていたが、 「深くなってからの、おきよの体ときたら、男を盲目にさせてしまいますよ」  と、つぶやいたものである。 「ふうん……」  畳に寝そべって、煙草《たばこ》を引き寄せた小兵衛へ、長次が、ぼんやりとした声で、 「大先生は、お笑いなさるでございましょうねえ」 「いや、笑わぬよ」 「え……?」 「わしだって、この年齢《とし》になって、まだ、女のことはちっともわからぬのさ」 「へへえ……?」 「うち[#「うち」に傍点]のおはるのような女でも、ときどき、こいつ、肚《はら》の中で何を考えているのかと、おもうことがあるわえ」 「やっぱり……?」 「お前だって、女房のことをそうおもわぬか?」 「おもいますとも、おもいますとも」 「女の嘘《うそ》は男の嘘と、まったくちがうものらしいのう」 「嘘を嘘ともおもわないのでございますからね」 「そのことよ。だから、女の嘘は、女の本音なのじゃ」 「へへえ……?」 「おきよという女、小さいころから、ずいぶんと、ひどい苦労をしたのであろうよ。なればこそ、あのように、金だけをたより[#「たより」に傍点]にしたものか……」 「腕のいい大工の亭主なぞ、たより[#「たより」に傍点]にならないというわけで?」 「しかも、由次郎《よしじろう》は夫婦のことができぬそうな……」 「ほんとうでございましょうかねえ」 「あいつ、もう、お前のところへ怒鳴り込んでは来ぬかえ?」 「女房を寝取った浪人が殺されてからは、瘧《おこり》が落ちたようになって、毎日、仕事に出ているようでございますよ」 「そりゃ、よかった」 「ですが、大先生……」 「うむ?」 「あの浪人は、だれに殺されたのでございましょう」 「知らぬなあ、わしは……」 「まさか、由次郎が殺せるわけはねえし……」 「うむ……」  長次は縁先へ出て、空を仰ぎながら、 「それにしても、由次郎のやつ、ほんとうにあのこと[#「あのこと」に傍点]ができねえのかなあ……」 「…………」 「そうは見えませんがねえ……」 「…………」 「大先生。ごらんなさいまし。なんだかこう、空が急に高くなったようじゃございませんか。何だかその、風も冷んやりとしてきて汗もかかねえ。ねえ、大先生。今日はまったく気もちがいい日和《ひより》でございますねえ。え、どうでござんす。ひとつ、お酒の仕度でもいたしましょうか、大先生……」  と、振り向いた長次が、 「おや……大先生。お昼寝でございますか」  秋山小兵衛の、こころよげな寝息が、それにこたえた。     狐雨《きつねあめ》 「虫が知らせた……」  とでもいうのだろうか。  その日の午後……。  いつもよりは早目に、田沼屋敷での稽古《けいこ》が終り、神田橋《かんだばし》御門外へ出て来た秋山|大治郎《だいじろう》は、ふと、杉本又太郎の顔をおもいうかべた。 (そうだ。もう半年近くも顔を見ておらぬし……いや、又太郎も顔を見せぬ。どうしていることか?)  立ちどまった大治郎は、つき従っている飯田粂太郎《いいだくめたろう》に、 「私は、これから団子坂《だんこざか》の杉本道場へまわる。もしやすると向うへ泊ることになろう。三冬《みふゆ》に、そうつたえておいてくれ」 「承知いたしました」 「お前、私のかわりに夕餉《ゆうげ》を食べてくれぬか」 「はい」 「それから御中《おなか》屋敷へ帰ってくれ」 「心得ました」  いま、飯田粂太郎は、浜町にある田沼家の中屋敷内の長屋で、母と共に暮している。  若妻の三冬が、たった一人で夜を過すことに、夫の大治郎も門人の粂太郎も、まったく不安を抱いていない。  大治郎の父・秋山|小兵衛《こへえ》が夜ふけの留守居をおはる[#「おはる」に傍点]一人にさせないのは当然であろうが、おはると同じ年齢でも三冬ならば、たとえ五人組の強盗が入って来たところで、 「びく[#「びく」に傍点]ともせぬ」  はずであった。  飯田粂太郎と別れた秋山大治郎は、めっきりと秋めいてきた空の下を、本郷の団子坂にある杉本道場へ向った。  杉本道場の先代は、杉本又左衛門《すぎもとまたざえもん》といい、これも無外流《むがいりゅう》の剣客《けんかく》であったが、去年の梅雨《つゆ》の最中《さなか》に五十五歳の生涯《しょうがい》を終えた。  ゆえに、又左衛門の長男で、二十四歳になる又太郎が、いまは杉本道場の当主になっている。  亡《な》き杉本又左衛門は同流の剣客だが、秋山|父子《おやこ》の恩師であった辻平右衛門《つじへいえもん》に剣をまなんだわけではない。  江戸へ来て、団子坂に道場をひらいたのは二十年ほど前のことだそうな。  同流のよしみ[#「よしみ」に傍点]もあって、秋山小兵衛も大治郎も、杉本又左衛門をよく見知っている。  人柄《ひとがら》が練れていて、門人たちへの教導が上手なので、道場は、かなり栄えていたといってよいだろう。  又左衛門は、病床にあって余命がないと知ったとき、一人息子の又太郎をよびよせ、 「わしの跡をつごうなどと、決しておもうなよ」  と、遺言をしたそうな。  つまり、又太郎には剣客として、一国一城の主《あるじ》になるだけの力量も資格もないということなのだ。  そのときまで、杉本又太郎は、目白台に屋敷を構える二千石の大身《たいしん》旗本・松平|修理之助景則《しゅりのすけかげのり》の家来だったのである。  生前、杉本又左衛門は諸方へ運動もし、金もつかって、松平家へ息子を奉公させることができた。  それだけの配慮をしたのも、又太郎の将来をおもえばこそであった。  それでいて、尚《なお》も、自分の跡をつぐなと遺言をしたのは、その懸念《けねん》があったからなのだろう。  むろん、又太郎は少年のころから、父によって剣術の手ほどきを受けており、ちかごろの、腰の刀が重くてならぬなどと放言してはばからぬ侍たちにくらべれば、 「まだしも、増《まし》であろうよ」  と、秋山小兵衛が洩《も》らしたこともある。その程度の〔腕前〕なのだ。  数年前に、杉本又左衛門が小兵衛を訪ねてきて、 「いや、せがれの剣術は、いわゆる下手の横好きと申すもので……」  苦笑まじりにそういったというが、又左衛門が見込みなしと見きわめをつけて、又太郎への教導を絶ち切ったのちも、又太郎は他の道場をめぐり歩き、剣術をやめようとはしなかった。 「又公め、意地だけは強いらしい」  小兵衛も、その執念には感心をしたものだ。  ともかくも、ここ二年ほどは、父の強引なすすめ[#「すすめ」に傍点]によって松平屋敷へ奉公をするようになったので、剣術のみへ身を入れるわけにはまいらぬはずの又太郎であった。  ところが……。  父の又左衛門の遺言にもかかわらず、父|亡《な》きのち、又太郎は松平屋敷から暇を取り、団子坂の道場の主《あるじ》となってしまったのである。  そのとき、秋山父子のところへ挨拶《あいさつ》にあらわれた又太郎へ、 「そうかえ。そこまで、おもいつめたのなら、やってみるがよい」  小兵衛は、そういった。  以後、半年を経て、又太郎は一度も秋山父子の許《もと》へ姿を見せぬ。  うわさに聞くと、杉本道場は、 「寂《さび》れるいっぽう……」  だとのことである。 「あは、はは。そりゃそうだろう。おそらく、二代目の先生が、先代の門人にぽんぽん打ち込まれているのだろうから、道場の成り立つわけがないわえ」  小兵衛は、腹を抱えて笑った。  ひたむきで巨体のもちぬしで、若くて意地っ張りの杉本又太郎に、大治郎は好感を抱いている。 (どうしているか、な……?)  団子坂へ近づくにつれて、秋山大治郎の足が速くなった。  もしも、いま一足《ひとあし》、大治郎が杉本道場へ到着するのが遅れていたら、おそらく、杉本又太郎は、 「この世[#「この世」に傍点]の人ではなくなっていた……」  に、ちがいない。      一  杉本道場は、団子坂《だんござか》の中程の北側にある。  板倉摂津守《いたくらせっつのかみ》の下《しも》屋敷の横道を入った左側に、道場の門があり、その正面に茅《かや》ぶき屋根の小さな母屋《おもや》。母屋の右手に板屋根の大きな道場があるのだ。  母屋は、古い百姓家を改造したもので、道場は、のちに建てたものであろう。  道場の背後は、竹藪《たけやぶ》と畑であった。  秋山大治郎が、杉本道場の門前に立ったとき、すでに夕闇《ゆうやみ》が濃くたちこめていた。  門は、開け放したままになっていた。大治郎は、かまわずに前庭へ入って行き、正面の母屋へ向った。  母屋には、まだ灯《あか》りも入っていない。  しばらく来て見ぬうちに、まるで、無人の廃屋のような、荒涼としたものがあたりにただよっている。  眉《まゆ》をひそめた大治郎の頭上を、蝙蝠《こうもり》が飛び交っている。 「又太郎殿……」  よびかけようとした大治郎が声をのみ、いぶかしげに右手の道場を見やった。  道場の入口の戸も開いているのだが、そのとき道場の中で、何か異様な物音がしたのを、大治郎は聴き逃さなかった。  高い物音ではない。  鈍《にぶ》いが、妙に重苦しい……何か、人の体が叩《たた》きつけられたような物音であった。 (はて……?)  音もなく、道場へ踏み込み、戸の隙間《すきま》から中を窺《うかが》った大治郎が愕然《がくぜん》となった。  十五坪ほどの板敷きの片隅《かたすみ》へ、仰向《あおむ》けに倒れている杉本又太郎へ、いましも一人の侍が白刃を突き入れようとしているではないか……。 「曲者《くせもの》!!」  叫びさま、大治郎は中へ躍り込んだ。  突然、叱咤《しった》されておどろいたそやつ[#「そやつ」に傍点]が、振り向いて大治郎を見るや、飛び退《しさ》って大刀を構え直した。一語も発しない。 「何者だ?」  曲者は、こたえぬ。  曲者は、覆面をしていた。  曲者は、するどい舌打ちを鳴らした。  杉本又太郎は倒れたまま、身じろぎもせぬ。あきらかに彼は、気をうしなっている。 「これは、杉本又太郎に意趣あってのことか?」 「…………」 「名乗れ」  大治郎は、まだ抜刀していなかったが、曲者の構えを見て、その力量が相当なものであることを知った。 (手捕りにはできまい……)  そこで、ついに、大治郎も大刀を抜きはらった。  曲者が身をひるがえして、道場の奥へ逃げ込んだのは、このときだ。  すかさずに追って、大治郎は片手打ちの一刀を送り込んだ。 「あっ……」  よろめいた曲者は、母屋へ通ずる渡り廊下へ、身を投げるようにして逃げた。 「待て!!」  尚《なお》も追おうとしたとき、杉本又太郎が呻《うめ》き声をあげた。 (やはり、又太郎は斬《き》られていたのか?)  ともおもえたし、大治郎が一瞬ためらった隙に、曲者は渡り廊下から裏庭へ飛び下り、竹藪の中へ姿を消してしまったのである。  道場へ引き返してみると、又太郎が半身を起し、 「おのれ……」  と、こちらを睨《にら》んで身構えたが、すぐに大治郎と気づいたらしく、 「あっ……あなたは……」 「秋山大治郎だ。どうなされた?」 「私は、いま……?」 「怪しい男が、あんたを殺害《せつがい》しようとしていた。そこへ、私が……」 「さ、さようでしたか……」 「怪我《けが》はないか?」 「だ、大丈夫です」 「いったい、これは、どうしたことなのだ?」 「はあ……」  巨体をすくめた又太郎が、返事をためらっている。 「身におぼえ[#「おぼえ」に傍点]がありなさるのか?」 「ないことも、ないのです」 「それは、何かね?」 「私が、一人で、ここで居合をつかっておりましたら、あの覆面の男が、いつの間に入って来たものか、其処《そこ》に立っていたのです」  なるほど、すっかり暗くなった道場の板敷きの向うに、はね[#「はね」に傍点]飛ばされたらしい又太郎の刀が青白く光っている。又太郎は、真剣をもって居合の形《かた》を稽古《けいこ》していたのであろう。 「それで?」 「振り向いて、私が、どなたですと、声をかけたとたんに……」 「ふむ……」 「うしろから、頭のあたりを打たれ、気をうしなってしまったのです」 「うしろから?」 「はあ……」 「すると、もう一人、別の曲者がいたことになる。ちがうかね?」 「そ、そうかも知れません」  いずれにしても、無外流の道場を構えている剣客が、このようにたよりなくては、 (どうしようもないではないか……)  大治郎は、顔を顰《しか》めた。  これが師匠だというのだから、門人も寄りつかなくなるわけだ。 「ああ……実に……」  と、杉本又太郎も、おのれのたよりなさを、はっきりと自覚したらしく、 「実に、これでは、どうしようもありません。私は、やはり、だめ[#「だめ」に傍点]なのだ」  自分で自分を慨嘆しはじめた。  六尺の巨体の肩を落した又太郎が、 「鐘《かね》ヶ淵《ふち》の大《おお》先生には、内証にしておいて下され」 「わかっている。だが又太郎殿。そのかわりに、あんたが一命を狙《ねら》われていることに、おぼえがあるといった、そのことを聞かせてもらいたいな」 「たぶん、そうです」 「たぶん、とは?」 「私を殺して、むすめを取り返しに来たのです」 「むすめ? 此処《ここ》にいるのか?」  すると又太郎は、不敵に笑って、 「そのような手ぬかり[#「手ぬかり」に傍点]はしません」  と、いう。 「むすめを、あんたが……?」 「引っ攫《さら》って来たのです」 「どこから?」 「松平|修理之助《しゅりのすけ》の屋敷から……」 「松平というと、あんたの、もとの主人《あるじ》ではないか」 「はい。その、旧主人のむすめ・小枝《さえ》を引っ攫って来たのです」  二人が道場から母屋へ入って見ると、三間《みま》の部屋の戸棚《とだな》、押入れなどの戸が開け放たれたままになってい、行燈《あんどん》に火を入れると、少なくとも二人の足痕《あしあと》が入り乱れていた。  これは、杉本又太郎を刺殺しようとしていた覆面の曲者の他《ほか》に、別の曲者たちが母屋の家捜しをしたことをものがたっている。  だが、何も盗《と》られたものはない。  すると、やはり、杉本又太郎が、旧主家から、 「引っ攫って来た……」  という松平家の息女が、屋内の何処《どこ》かに隠されていると看《み》て、あわただしく家捜しをしたにちがいない。  その家捜しと、又太郎殺害が同時におこなわれようとした。 「ばかなやつどもだ」  と、又太郎が、吐き捨てるように独り言《ご》ちた。 「おれを殺してしまったら、小枝どのの居所もわからぬままになる。ばかめが……」  曲者たちは、松平修理之助の密命をうけて、かならず、小枝が杉本道場に隠されていると見きわめをつけていたことになる。 「又太郎殿……」 「はあ?」 「松平家の息女は、あんたに同意の上なのだな?」 「むろんのことです」 「では、松平修理之助様が、あんたと息女とのことをゆるさぬ?」 「はい。ゆるす道理がありません」  それはそうであろう。  松平修理之助には、亀太郎《かめたろう》という嗣子《しし》がいるけれども、むすめは小枝ひとりきりで、それだけに修理之助が小枝を可愛《かわい》がることは、ひととおりではなかった。  そのむすめと、こともあろうに自分の元家来との間に〔恋〕が生れたというのでは、修理之助も捨ててはおけなかったろう。  元家来であるばかりでなく、剣客としても、 「門人から見捨てられる……」  ような男に、二千石の家のむすめを与えるのは、父親としてよろこべるものか、どうかだ。  よろこべぬにきまっている。  ゆるさぬのが、当然というべきであろう。  ゆえに、杉本又太郎が強引に小枝を引き攫った。おだやかでない。  現代ならばさておき、二百年前の当時にあって、又太郎がしたことは一つの犯罪といってもよい。  そこのところが、いま一つ、秋山大治郎にはのみこめなかった。  いざとなれば、大身《たいしん》旗本の松平|修理之助《しゅりのすけ》には、司直の手を借りても、又太郎から小枝を取りもどすことができたはずなのだ。  しかし、松平修理之助は、あえて事を公《おおやけ》にせず、密《ひそ》かに刺客《しかく》を放って又太郎殺害を計画したことになる。  それにはそれで、何かの理由があるのだろうが、杉本又太郎は大治郎に、くわしい事情を何故か語ろうとはせぬ。  そればかりか、ともかくも「今夜は泊る」という大治郎へ、 「大丈夫です。御心配下さるな」  又太郎は頑《かたく》なにいい張るのである。  また、肝心の小枝を何処に隠しているのか、それも語ろうとはしない。  しまいには大治郎も、 (勝手にするがよい)  と、腰をあげた。 「大治郎殿。おかげをもって、この一命を助けていただきました。かたじけのうござる」  両手をつき、このときだけは素直に、又太郎が頭を下げた。 「では、私は帰るが、今夜にでも、また、曲者どもが此処へ押し寄せたときは、どうなさる?」  大治郎が尋《き》いたら、又太郎は即座に、 「逃げます」  と、こたえたものだ。 「なるほど。又公め、いう[#「いう」に傍点]のう」  翌朝。鐘ヶ淵へ来た大治郎から、すべてを聞いて、小兵衛は笑い出した。 「父上。これから、団子坂《だんござか》へ行って見てこようかとおもいます」 「よせ」 「ですが、昨夜、あれからのことが気になります」 「だって、逃げると申したのだろう?」 「はい」 「ならば大丈夫だ。又公、逃げるのはうまいだろうよ」 「ですが、何やら案じられます」 「なに、剣術はだめ[#「だめ」に傍点]じゃが又公は、まんざら莫迦《ばか》でもない。逃げ仕度ぐらいはしていようさ」 「そうでしょうか……」 「放《ほう》っておけ、放っておけ」      二  その日の朝早くに……。  杉本又太郎は、団子坂の道場を出ていた。  どこかで、だれかが自分を見張っているような気もするし、暁闇《ぎょうあん》の道を歩むうちにも、尾行者がついて来るような気がした。  又太郎は、小道へ入ったり、雑木林をぬけたりして、 (これなら大丈夫……)  と、見きわめがつくまで、大分に、まわり道をしたようだ。  日が高くなってから、又太郎は、駒込《こまごめ》の富士浅間《ふじせんげん》神社(祭神は木花開耶媛《このはなさくやひめ》)の裏手にある百姓・庄右衛門《しょうえもん》宅へあらわれた。  団子坂の道場から此処《ここ》までは、半里に足らぬ近距離なのだが、又太郎は二刻《ふたとき》(四時間)もかけて、到着している。  尾行者を警戒しての行動なのだが、こういうところは又太郎、実に慎重をきわめているのだ。  百姓の庄右衛門は、女房おかね[#「おかね」に傍点]と二人暮しで、共に五十二歳のこの[#「この」に傍点]夫婦には二人のむすめがいたのだが、いずれも病歿《びょうぼつ》していた。  女房のおかねは、又太郎の亡母ふじ[#「ふじ」に傍点]の実家に長らく奉公をしていた女なのである。  ふじは武家のむすめでもなく、剣客のむすめでもない。  神田明神《かんだみょうじん》下の、刀の研師《とぎし》・佐兵衛《さへえ》のむすめで、おかねは其処《そこ》に少女のころから十年余も奉公をしていたという。  いまは、又太郎の祖父母にあたる佐兵衛夫婦も亡《な》くなり、研師の家も一代で終ったが、京都のほうには遠縁の人もいるらしい。  それはさておき、二十五、六になってから、おかねは生家の近くに住む百姓・庄右衛門と夫婦になった。これはふじが杉本|又左衛門《またざえもん》の許《もと》へ嫁入って間もなくのことだ。  おかねは、それからも団子坂の杉本家へ出入りをしており、ふじが重病にかかったときは、ほとんど泊り込みで看病に当ってくれたし、又太郎が幼少のころは、よく面倒を見てくれた。  こうした縁《えにし》があって、又太郎は、松平家から引き攫《さら》って来た小枝《さえ》を、庄右衛門夫婦の家へ隠したのである。  さいわいに、夫婦ふたりきりの暮しで、冬になると庄右衛門夫婦は、近くの富士浅間社の夏の祭礼に売り出す麦藁細工《むぎわらざいく》の蛇《へび》を造るのにいそがしい。  小枝は、庄右衛門宅の屋根裏の部屋に隠れていた。  そこへあがって来た杉本又太郎が、 「小枝どの。ついに昨日、やって来ましたぞ」  と、すべてを語った。  小枝の顔色が、たちまちに変った。 「それで、どうなさいました?」 「折よく、秋山大治郎殿が見えて、追いはらって下された」  正直にいうところをみると、小枝も又太郎の腕前の程をわきまえているらしい。  松平家のむすめといっても、小枝は又太郎と同年の二十四歳になっている。  当時の、この年齢の女といえば、子供が二人三人いてもふしぎはない。  大身旗本のむすめが、何故、この年齢まで嫁入りをしなかったのか……。  小枝は、松平|修理之助《しゅりのすけ》の血をわけたむすめではない。  松平家の家来・磯野儀助《いそのぎすけ》の次女を、修理之助が〔養女〕にしたのである。これは磯野|父娘《おやこ》にとって大変な出世といわねばなるまい。  事実、松平屋敷における磯野儀助の羽振りは、用人の荒木新十郎をしのぐものがあった。 「又太郎どの。団子坂におられては危ない。早く此処へ……この家《や》へ来て、私と共に潜み隠れて下され」  と、小枝が又太郎の胸へ取りすがった。  むすめというよりも、体つきは女ざかりの妻女といってよい。  耳朶《みみたぶ》のあたりから襟《えり》もとへ、さらには頸《くび》すじから胸のあたりへかけての肌《はだ》の照りといい、重く脹《は》った乳房の量感といい、すでに小枝は俗にいう〔年増《としま》〕なのだ。  杉本又太郎が、はじめて、小枝とまじわったのは、父亡き後の道場へ帰ってからのことだから、まだ半年にもならぬ。  それにしては、小枝の肉体が熟れすぎている。 「もうかまわぬ。こうなれば、小枝どのといっしょに、いつ死んでもかまわぬ」 「ほんとうに?」 「ほんとうですとも」 「うれしい……」  泣きむせぶ小枝を抱き倒して、 「ああ、小枝どの……小枝どの……」  又太郎は剣術も何も忘れ果てたかのように、小枝の乳房へ顔を埋めた。 「又太郎どの……又太郎どの……」 「うむ……」 「なれば私も、団子坂へおつれ下さい。そして、共に、松平の討手を迎え、いさぎよう死にましょう」 「小枝どの……小枝どの……」 「ああ……又太……」 「さ、小枝……」 「うれしい……」  だが結局、日が暮れてから、庄右衛門夫婦に諫《いさ》められ、又太郎は此処に泊ることになった。  翌日の午後。  又太郎は、庄右衛門の着物を借りうけ、百姓の姿《いでたち》となり、菅笠《すげがさ》をかぶり、団子坂の道場へ向った。  庄右衛門夫婦は、 「二人の子を死なせた私どもには、もう、これより先の浮世に何のみれん[#「みれん」に傍点]もありませぬ。だれが来たとて、おどろくものではない。いざとなれば、いっしょに逃げて行く先のことも考えております。ともかくも、いますこし、此処に隠れて様子を見たがようございます」  たのもしく、いってくれたのである。  又太郎も、まさかに、松平修理之助が刺客をさしむけて来ようとはおもわなかった。  修理之助には、自分と小枝に対して、 (おのずから、憚《はばか》るところがある……)  と、又太郎は考えていた。 (考えが、あまかった……)  わけだが、それにしても、自分の剣術の劣等を、一昨日はいまさらながら、おもい知らされた。  父が在世のころの門人は、五十をこえていたものだが、いまは、わずかに七人である。  それだけでもよいから道場をまもって行こうという意地も、昨夜から、くずれかかってきた。  又太郎の剣術に対する意地は、父の又左衛門から、きっぱりと、 「お前は、剣の道に向かぬ」  と、きめつけられたときに発した。  体も巨《おお》きく、腕力も強い又太郎なのだが、いかに修行をつづけても、他人を教えるだけの卓抜さに到達しないのだ。  現に、一昨日の不様《ぶざま》な失神のありさまを亡父が見たら、何というだろうか……。 (ああ……もう仕方がない。おれに残されたものは、小枝どの一人きりだ)  と、ついに又太郎は、おもいきわめるにいたった。  百姓姿になって団子坂の道場へ近づき、見張りの者がいなければ、中へ入って最小限の荷物を持ち出すつもりの又太郎なのだ。  金も、いささかはあるし、亡父の形見の刀剣や品物だけでも持ち出しておきたい。  駒込《こまごめ》の表通りを避け、又太郎は畑道を駒込の千駄木《せんだぎ》のあたりへぬけるつもりで歩いていた。 「おひとりで、大丈夫でござりますかよ?」  と、庄右衛門夫婦は心配をしたが、 「なに、危なかったら、すぐ逃げて来る」  と、又太郎はこたえた。  勝手を知った道場内へ、だれの目にもふれずに入ることはわけもないことだし、いざとなっても、逃げる気ならば抜け道をいくらも知っている。  朝は、よく晴れていたのだが、昼すぎから雲が出て来て、風が妙に生ぐさく、生あたたかい。  前方に鬱蒼《うっそう》とした木立が見えてきた。木立というよりも広大な林といったほうがよい。  これは、上野・寛永寺の御料林であって、その中を縦横に道が通じている。  又太郎の後をつけている者は一人もいない。  そのとき突然、雨が叩《たた》いてきた。  驟雨《しゅうう》である。 「あ……いかぬな」  又太郎は、畑道から御料林の中へ走り込んだ。  松の老樹の下へ走り込むと、じゅうぶんに雨が避けられた。  どれほどの間を、又太郎は其処《そこ》で雨を避けていたろう……。  雨勢がおとろえたようなので、 (もう、大丈夫か……)  木蔭《こかげ》から歩み出そうとした、その瞬間であった。 「もし……もし……」  何処《どこ》かで、女のような声がした。 (おれを、呼んでいるのか?)  あたりを見まわしたが、何も見えぬ。 「もし、杉本又太郎さま……」  今度は、あきらかに自分の名前をよばれたので、 「どなただ?」  声をかけたが、何も見えぬし、だれも姿をあらわさぬ。 「杉本さま……又太郎さま」 「だれだ。出て来い!!」 「出ておりますが、あなたさまには、私の姿が見えませぬ」 「な、何……?」 「私は、あの……あの、私めは、あなたさまとわりない[#「わりない」に傍点]仲となられました小枝さまに大恩をうけたものにござりまする」 「………?」  又太郎は、きょろきょろと、あたりを見まわした。  声は、すぐ近くで聞えているのに、何も見えぬ。  その声が、また異様な声なのだ。  たしかに人の言葉なのだが、その音調が、この世の人のものとはおもわれぬ。何か夢の中にでもいて、女の亡霊にでも出合ったような心地がするのだ。 「だ、だれだ。名乗れ!!」  いつの間にか、杉本又太郎の総身《そうみ》に脂汗《あぶらあせ》がふき出してきている。  又太郎は、ふところに忍ばせてあった短刀《あいくち》を引き抜いた。      三  百姓姿の杉本又太郎が団子坂の道場へもどって来たのは、それから二刻《ふたとき》ほど後のことだ。  まわり道をしたにせよ、時間《とき》がかかりすぎている。  すでに驟雨《しゅうう》は熄《や》み、夕空は晴れわたっていた。  又太郎は、表の門から悠々《ゆうゆう》と、道場の前庭へ入って来た。  あたりの気配を窺《うかが》う様子もなく、胸を張り、大手を振って帰宅したのである。  母屋《おもや》へ入った又太郎は、急いで亡父の形見の品や金子《きんす》を出し、これを荷物にし、すぐさま駒込《こまごめ》の庄右衛門《しょうえもん》宅へ引き返したかというと……そうではない。  先《ま》ず、行燈《あんどん》に火を入れ、それから台所へ行き、竈《かまど》の火を熾《おこ》し、米を磨《と》ぎはじめたではないか。  その、ゆったりと落ちついた態《さま》は、これまでの、巨体に似合わぬ又太郎の性急な動作を見知っているものが見たら、 (人がちがったか……?)  と、おもったに相違ない。  又太郎は、駒込へもどることを忘れたのであろうか。  ともかくも、これから、此処《ここ》で夕餉《ゆうげ》をしたためるつもりらしい。  飯を炊《た》き、味噌汁《みそしる》をつくり、梅干を膳《ぜん》の上へ出した又太郎が、これを居間へ運びかけたときに、またしても刺客《しかく》が襲って来た。  又太郎が帰って来たのを、見張りの者が気づき、これを刺客たちへ急報したのであろう。  刺客たちは、おそらく、この近くに待機する場所を設けていたにちがいない。  五人の刺客が、台所口から飛び込んで来て、又太郎を取り囲んだ。  彼らは、いずれも覆面をし、裾《すそ》を高々と端折《はしお》り、足拵《あしごしら》えも厳重にしてあり、いっせいに白刃を抜きはなって殺到して来た凄《すさ》まじさに、ひとたまりもなく又太郎は斬《き》り刻まれたかというと……そうではない。 「無礼者め!!」  叱咤《しった》した又太郎は膳の上の茶わんを把《と》って、真先に斬り込んで来た曲者《くせもの》の顔へ叩《たた》きつけた。  たかが茶わん一つが命中したからといって、大の男がどうするわけもないのだが、よほどの急所へ当ったものか、 「わあっ……」  悲鳴をあげ、そやつ[#「そやつ」に傍点]が又太郎の前に置かれた膳の上へ、のめり込むように倒れてきた。  早くも、そのとき、杉本又太郎の巨体が宙に舞い上っている。  天井へ頭がつくまでに躍りあがった又太郎を見て、曲者どもが、 「ああっ……」  あわてふためき、四方に散ったが、此処は戸外ではない。又太郎の亡父・杉本|又左衛門《またざえもん》が居間にしていた八畳の間だから、散開したつもりでも限度がある。  曲者たちは戸障子に打ち当ったり、台所との間にある小廊下へ飛び出した者もいた。  そこへ……。  杉本又太郎の巨体が、唸《うな》りを生じて落下してきた。 「うわ……」 「ぎゃあっ……」 「むうん……」  と、どこをどうされたものか、三人の刺客が刀を投げ出し、ばたばた[#「ばたばた」に傍点]と転倒し、気をうしなった。  辛《かろ》うじて、小廊下へ逃げた一人が、無言で追いせまる又太郎へ、 「たあっ!!」  捨身の突きを入れた。  ところが、こやつが刀を突き入れたのは、小廊下の突き当りの板戸であって、 「あ……あっ……」  あわてて振り向き、差し添えの脇差《わきざし》の柄《つか》へ手をかけたが、ぬっ[#「ぬっ」に傍点]と近寄って来た又太郎の手が、こやつの頸《くび》すじあたりを叩いた。 「う、うう……」  がっくりと膝《ひざ》をつき、覆面の中の両眼《りょうめ》を白く剥《む》き出し、こやつもたちまちに気をうしなって倒れ伏した。  又太郎は、にやり[#「にやり」に傍点]と笑った。  又太郎の両眼が、針のように光っている。  台所から細引縄《ほそびきなわ》を持って来た又太郎が、気をうしなっている五人の刺客の両手両足を、またたく間に縛りあげてしまった。  それから、短刀を抜いて、刺客どもの衣類をすべて切り裂き、はぎ取ってしまった。下帯までもである。文字どおりの全裸だ。むろん、覆面もはぎ取った。  五人とも、見たところは浪人のようである。  彼らが、息を吹き返したとき、杉本又太郎は膳に向って飯を食べていた。  全裸の刺客を、前に並べてである。  この刺客の中には、一昨日、又太郎を襲ってわけもなく料理した三人がまじっている。  それだけに、刺客たちの驚愕《きょうがく》と恐怖は大きかった。 (ふ、二夜《ふたよ》のうちに、同じ人間が、このように強くなるものだろうか……?)  信じられぬ。とても信じられぬ。 「こら……」  と、又太郎が箸《はし》をもって刺客どもを指し、 「おのれどもは、松平|修理之助《しゅりのすけ》にたのまれたのか?」  と、いった。  五人は、一様にうなずいた。  うなずくつもりではなかったのだが、わけもなくうなずいてしまった。そのことに彼らはびっくりした。  又太郎の帰りが遅いのを心配して、百姓の庄右衛門が恐る恐る様子を見にあらわれたのは、このときであった。  庄右衛門も、このありさまを見て瞠目《どうもく》した。 「ま、又太郎さまは、お強いのでござりますなあ……」 「うん、うん」 「この連中を、どうなさいますので?」 「うん。ちょっと、おもいついたことがあるゆえ、庄右衛門どのは一足先に駒込へ帰っていなさい」 「大丈夫でござりますかよ?」 「これを見たらわかるだろう。私は、昨日までの私ではない。大丈夫にきまっている」 「さようで……」 「帰って、小枝《さえ》どのに、このありさまを物語り、安心をさせて下され」 「はい、はい……」 「たのみましたぞ」  といって、杉本又太郎が目を細め、 「うふ、ふふ、ふ……」  と、笑った。  その笑いが何ともいえぬ不気味なものなのだ。庄右衛門が知っている又太郎の笑い声は「あは、はは……」である。声も大きい。ふくみ笑いなどをしたことがない又太郎であった。  庄右衛門は、まるで夢を見ているような心地で、駒込へ帰って行った。  そのあとで、又太郎は、厳しく縛りつけた五人を前庭へ引き出し、いきなり裾をまくりあげた。  そして、又太郎の股間《こかん》から迸《ほとばし》り出た、あたたかくて臭い液体が、五人の刺客の頭へ、順番にふりそそがれたのである。      四  翌朝。  杉本道場の前を、いちばんに通った土地《ところ》の者が、 「うわ……こりゃ、大変だ」  道場の門前へ目をやり、根津権現《ねづごんげん》門前に住む御用聞きの万七の許《もと》へ駆けつけて、異変を知らせた。  万七が杉本道場へ駆けつけて見ると、全裸の五人の浪人刺客が、それぞれ、土中へ埋め込まれた太い杭《くい》に縛りつけられているではないか。  その傍に、大きな札が立てられてあった。  札に、こう書きしたためられてある。 [#ここから1字下げ] この者どもは昨夜、当家へ乱入なし、狼《ろう》 籍《ぜき》をはたらき、不埒《ふらち》の段々許しがたく、 よって、かくのごとく手捕りにいたし、 世の見せしめにいたし候《そうろう》            杉本又太郎 [#ここで字下げ終わり]  むろん、根津の万七も捨ててはおけぬ。  万七は、土地の御用聞きとして、お上《かみ》の御用をつとめること十八年になる。  故杉本|又左衛門《またざえもん》をよく知っているし、又太郎とも顔見知りの間柄《あいだがら》であった。 「若先生……若先生……」  門内へ駆け込んで声をかけると、杉本又太郎が玄関からあらわれ、 「おお。根津の親分か……」 「御門前の、あれ[#「あれ」に傍点]は……いったい、何事なので?」 「見たかね」 「はい」 「昨夜。ここへ乱入して来て、私を殺害《せつがい》せんとしたのだ」 「へえ……」 「ゆえに、叩《たた》き伏せ、数珠《じゅず》つなぎにしておいた。ああしておけば、いずれ、親分の耳へ入るとおもったのでな」  淡々としていう又太郎の顔を見あげ、根津の万七は、 (ふしぎでならない……)  といった顔つきになっている。 「先代とはちがい、腕前が鈍《なま》くらだものだから、弟子たちに愛想をつかされてしまった……」  と、土地《ところ》でも評判の杉本又太郎が、屈強の男を五人も、あのように料理したとは到底おもえなかった。  だが、万七をともなって門外へ出た又太郎が、顔をそむけた五人へ、 「このお人は、お上の御用をつとめる親分殿だぞ。おのれら、お上のお白州《しらす》で、ゆっくりと調べてもらえ」  悠揚《ゆうよう》としていうのを傍で聞いていると、 (まんざら、嘘《うそ》でもねえような……)  おもいがしてくる。 「ですが、若先生……」 「うむ?」 「こいつら、何だか、ひどく臭《にお》いますが……」 「通りがかりの野良犬《のらいぬ》が小便でも引っかけたのだろうよ」 「ははあ……」  五人、六人と人だかりがしてきた。  刺客どもも、必死となって身をもがき、縄を振りほどこうとしたのだが、よほどに厳しく縛られているとみえ、どうにもならなかったのだ。  やがて、刺客どもは、根津の万七によって、引き立てられて行った。  この事件が土地の大評判となったのはいうまでもない。  早くも、その日のうちに、これが上野の北大門町に住む御用聞き・文蔵《ぶんぞう》の耳へ入った。  文蔵は、四谷《よつや》の弥七《やしち》とも仲がよい男だし、秋山|父子《おやこ》とも面識がある。  翌朝になって……。 「こんなはなしを、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の大《おお》先生のお耳へ入れたら、きっと、よろこびなさるにちげえねえ。ちょいと浅草へ用事もあるから、ついでに大先生のところへ寄って来よう。なにしろ、毎日、退屈をしていなさるということだからな」  文蔵は女房にそういって、家を出た。 「ふうむ……そりゃ、ほんとうかえ?」  文蔵から杉本又太郎の豪勇ぶりを聞いて、秋山小兵衛が、 「はあて……?」  くび[#「くび」に傍点]をひねったのも、当然であったろう。 「おはる[#「おはる」に傍点]。すまぬが、大治郎が帰って来たら、すぐ、こちらへ来るようにいって来ておくれ」 「あい、あい」  おはるは舟を出して大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をわたり、大治郎宅へ行き、三冬に小兵衛の言葉をつたえ、引き返して来た。  田沼屋敷での稽古《けいこ》を終えた大治郎が、三冬をつれて隠宅へあらわれたのは、日が暮れきってからであった。 「ほう。夫婦おそろいで御入来《ごじゅらい》か。してみると、わしがところで腹ごしらえをするつもりじゃな」  と、小兵衛。 「父上。おっしゃるとおりでございます」  と、三冬が、すかさずにこたえた。 「そうするように、私が三冬さんにいっておいたのですよう」  台所で、いそがしくはたらいているおはるが大声をかけてよこした。  三冬は、すぐに台所へ入る。 「実はな、大治郎……」  と、小兵衛が杉本又太郎一件を語るや、 「信じられませんな」  大治郎は、一言のもとに否定をした。  それはそうだろう。  先日の、あの不様《ぶざま》な、又太郎の醜体を目撃している大治郎としては、とても信じられぬ。 「五人じゃとよ、相手は……」 「嘘でしょう。いや、それは何かの間ちがいにきまっています」 「なあ……」 「そうですとも」 「だが、まんざら、根もないことではあるまい。ともかくも、一日のうちに文蔵の耳へまでつたわったことなのだから……」 「いや、間ちがいです」  大治郎は、苦笑しているのみだ。 「ともかくも明日、様子を見てきてくれぬか」 「父上。つまらぬことです。私は杉本又太郎を見はなしております」 「わしがたのみじゃ。このところ、妙に外出《そとで》が億劫《おっくう》になったので、な……」 「それほどに父上がおっしゃるなら、明日、行ってみましょう」 「たのむ。そうしておくれ」  大治郎夫婦が夕餉《ゆうげ》を馳走《ちそう》になり、おはるの舟に送られて、橋場《はしば》の岸辺へあがった、ちょうどそのころである。  団子坂《だんござか》の杉本道場では……。  居間に又太郎が端座し、部屋の一隅《いちぐう》を見つめている。  小枝《さえ》は、今日の昼間に、庄右衛門《しょうえもん》に連れられて道場へ来たが、日暮れ前に駒込《こまごめ》へ帰って行った。 「まだ、油断はならぬ。いますこし、駒込に隠れていて下さい」  と、又太郎がいったからだ。  いま、又太郎は、部屋の隅《すみ》から聞えて来る声に耳をかたむけている。  その声は一昨日、駒込から道場へもどる途中で驟雨《しゅうう》にあい、寛永寺の御料林へ駆け込み、雨やどりをしていたとき、又太郎の耳へ聞えてきたあの声[#「あの声」に傍点]と同じものであった。  おそらく、他人には見えないだろうが、いまの杉本又太郎には、部屋の隅に坐《すわ》って自分にはなしかけているものの姿が、はっきりと見えている。  それは、人間ではなかった。  何と、それは狐《きつね》なのである。  真白な狐……白狐《びゃっこ》なのである。  しとやかに、部屋の隅に坐った白い牝狐《めぎつね》が、又太郎に向って語りかけている。      五 「アノ、これからが、大事でござります」  と、白狐が杉本又太郎にいうのだ。 「一昨日も、寛永寺の御料林で、おはなし申しましたように、アノ、私が、あなたさまのお体に乗り移っていられるのは、足かけ三年の間でござります。さよう……再来年の、いまごろ……イエ、春ごろになりますると、京へ……アノ、伏見《ふしみ》へ帰らねばなりませぬ。よろしゅうござりますか、再来年の春でござります。それまでに、アノ、あなたさまは真に強い剣士にならねばなりませぬ。おわかりでござりますか?」  又太郎は神妙にうなずく。  又太郎の顔には脂汗《あぶらあせ》が浮き出しており、まるで、死人のような顔色になっていた。 「私はナア……」  白狐は前肢《まえあし》をあげて、目に当てた。  泪《なみだ》ぐんでいるらしい。 「さよう、十年前のことでござりました。そのころ、江戸見物をしに、上方《かみがた》からやってまいりまして……アノ、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の鬼子母神《きしもじん》様の御境内の草叢《くさむら》の中へ泊りましたところ、ついつい、寝すごしてしまい、目がさめたときは、日も高く昇っておりましてナア」  そのとき白狐は、何処《どこ》かの木立へ入って身を隠そうとした。  そこを、近辺の百姓が二人、通りかかって捕まえてしまったというのだ。  悲しげに鳴く牝狐を、百姓たちは撲殺《ぼくさつ》しようとした。  そこへ通りかかったのが、ほかならぬ少女の小枝《さえ》だったのだそうな。  このはなしを一昨日、寛永寺の御料林で、この白狐に聞かされたとき、又太郎は本気にしなかった。  小枝が、あまりに白狐があわれに鳴くので、百姓たちへ金をやり、狐を逃がしてやったというのだ。  そのころの小枝は、松平|修理之助《しゅりのすけ》の養女になってはいなかったが、松平邸は鬼子母神からも程近い目白台にあり、この朝は、まだ存命だった実母の芳《よし》と共に朝詣《あさもう》でに鬼子母神へ来たものであろう。  白狐は、 「このたび、小枝さまとあなたさまが苦しめられていると聞きおよび、上方からやってまいりました。アノ、お手助けをいたしたく存じます。私がアノ、あなたさまの体内へ乗り移れば、あなたさまは天下《てんが》に敵《かな》うものなき剣の達人となられまする」  こういった。  何しろ、一昨日は、狐の姿が見えず、声だけが聞えてくる。実に不気味であったが、そのうちに、 「では、乗り移ってごらんに入れまする。ごめん下されませ」  声がしたかとおもうと、杉本又太郎の脳天から足の先まで、ずーん[#「ずーん」に傍点]と、何か得体の知れぬものが貫き通ったような気がして、又太郎は、しばらくの間、意識をうしなってしまったのだ。  ふと、気がついた。雨は熄《や》んでいる。自分は松の木蔭《こかげ》に倒れていた。 (やはり、夢だったのだ……)  と、おもった。そうおもうより仕方がない。  ところが、立ちあがったとたんに、何ともいえぬ勇気が全身にみなぎりわたってきたではないか。  刺客《しかく》も、松平修理之助も、まったく恐ろしくはない。 (よし。来るなら来い。片端から叩《たた》きのめしてくれるぞ!!)  胸を張って道場へ帰ると、荷物をまとめて駒込《こまごめ》へ引き返すことなど、忘れ果ててしまった。  そこへ、五人の刺客が襲撃して来た。  その結果は、すでにのべておいた。  そして今日、庄右衛門《しょうえもん》と共に小枝が道場へあらわれたとき、又太郎は念のために、 「つかぬことを尋《き》くが、小枝どのは十年ほど前に、雑司ヶ谷の鬼子母神境内において、白狐のいのちを助けてやったことがありますか?」  問うや、小枝が瞠目《どうもく》し、 「まあ。よう御存知で……」 「では、まことに?」 「はい。あまりに可哀相《かわいそう》なので、私から母にたのみ、狐を殺そうとした百姓たちから、狐のいのちを買《こ》うたのです」  金が足りなかったので、近くにある顔見知りの茶店で金|一分《いちぶ》を借り、百姓たちへわたしたというではないか。  ここにいたって又太郎が、愕然《がくぜん》となった。 「いかがなされました。お顔が蒼《あお》いような……」 「いや、何でもない。何でもありません」  小枝と庄右衛門を駒込へ帰してから、又太郎は黙念と夕餉《ゆうげ》をすませ、考えこんでしまった。  と、そのとき……。 「ようやくに、おわかりでござりますナア」  部屋の片隅で、あの声[#「あの声」に傍点]が聞えた。 「あっ……」  見ると、はじめて白狐が姿をあらわし、又太郎へ語りかけてきたのであった。  又太郎の体内から脱《ぬ》け出てきたというのだ。 「アノ、ナア……」 「は……?」 「再来年の春まででござります」 「は、はい」 「それまでに、しっかりと御修行なされませ。強うおなりなされませ。あなたさまの御修行の折には、こうして、体内より脱け出しまする」  つまり、そのときは、又太郎本来の実力にもどってしまうことになる。  そのかわり、たとえば又太郎が刺客と闘ったり、門人たちを教えるときには、体内へもどって、狐の神通力《じんずうりき》を発揮しようというのだ。 「アノ、ナア……」 「はい?」 「私もナア、生きてあるうちは、このような神通力《ちから》をそなえてはおりませなんだ」 「すると、狐どの……いや、あなたは、いま……?」 「この世の狐ではござりませぬ。五年《いつとせ》前に病を得て身罷《みまか》り、伏見|稲荷《いなり》に棲《す》み暮しておりまする」  伏見の稲荷山には、狐の霊が二十万余もあつまり、人間の目には決して見えぬ黄泉《よみ》の国があるのだという。  こうなっては、杉本又太郎も白狐の言葉を嘘《うそ》だとはおもえなくなってきている。 「ナア、又太郎さま。それで、あなたさまが密《ひそ》かに御修行をなさる手段《てだて》がござりますか?」 「そ、それは……」  いいさして又太郎は、おもいあたった。 (こうなれば、秋山大治郎殿をたよるよりほかに道はない……)  ではないか。 「ござりますか?」 「はい」 「それに、いま一つ……」  と、白狐が上眼《うわめ》づかいに又太郎を見やった。  細い狐の両眼が青白く光っている。又太郎は寒気がした。 「いま一つナア……」 「は、はい」 「あなたさまが小枝さまと睦《むつ》まじゅうなさるるとき、私は体内から脱け出しまする」  こういって、つぎに白狐が恐ろしいことを告げた。 「それでないと、小枝さまが死んでしまわれますゆえ」 「う……」 「では、あなたさまの体内へ、もどらせていただきまする」  いったかとおもうと、白狐の姿が消え、同時に又太郎は気をうしなっていた。  翌日。  杉本道場へは、門人たちが押しかけて来た。  うわさを聞きつたえて、前に道場を去った門人たちも又太郎に詫《わ》びを入れ、あらためて入門を請《こ》い、又太郎はこれをゆるした。  たちまち、道場に活気がみなぎる。  又太郎は道場に立ちはだかり、つぎからつぎへと、門人たちを相手に木太刀を揮《ふる》って稽古《けいこ》をつける。  近辺の人びとが門内へ押しかけて来て、 「どうだい、若先生の強いこと強いこと」 「こんなに強いとはおもわなかった」 「亡《な》くなった御先代も、さぞ、よろこんでおいでなさるだろうよ」  道場の窓から、稽古を見物するというさわぎになった。  その見物の中にまじり、塗笠《ぬりがさ》で顔を隠した秋山大治郎が、杉本又太郎の稽古ぶりを見とどけ、父の隠宅へやって来た。 「ほう……そんなに強いのか?」 「あれでは、父上も歯が立ちますまい」 「ふうん……」 「いえ、それは冗談にしても、見ちがえるばかりなのです。実に、ふしぎです。あれならば五人や十人を相手にしても負《ひ》けはとりますまい」 「ふうん……」 「おどろきました、父上」 「わしだって、おどろいているよ。これ、大治郎。わしをからかっているのじゃあるまいな」 「そうおもわれるなら、父上も明日、団子坂へ出向かれ、たしかめておいでになったらいかがです」 「そりゃ、行かずばなるまい」 「ともかくも、ふしぎです。ふしぎでなりません」  しきりに、くび[#「くび」に傍点]を傾《かし》げつつ、大治郎は橋場の家へ帰って行ったが、 「大治郎さま……杉本又太郎どのが見えておられます」  出迎えた三冬が告げるを聞いて、 「又太郎が……」 「はい」 「私が今日、ひそかに杉本道場へまいったことを、又太郎に言うてはおらぬな」 「大丈夫です」 「それなら、よし」  入って見ると、又太郎は道場のほうに正坐《せいざ》しており、 「これは、御留守中に突然、まかりいでまして……」  妙に、あらたまって両手をついた。 「その後、いかがだ?」  大治郎が、そ[#「そ」に傍点]知らぬ顔で尋く。 「は……別に……」 「松平屋敷のほうからは……?」 「別に、手出しも口出しもしてまいりませぬ」 「ほう……」 「秋山先生に御願いがございます」  これまでは「大治郎殿」とよんでいた又太郎に「先生」といわれ、大治郎は、こそばゆい顔つきになった。 「御願いです。本日より稽古をつけていただきたいのです。初心に立ちもどり、修行にはげみたく存じます」  大治郎は「あれほど強いのに、いまさら何の修行を……」と、いいかけた言葉を辛《かろ》うじてのんだ。 「私、振棒《ふりぼう》からはじめます。先生のおゆるしがあれば、毎夜、この道場へ通いつめ、修行を……御願いでございます。何とぞ何とぞ……」  又太郎の声にも態度にも、必死の気魄《きはく》がこもっている。それが、大治郎にも三冬にも、よくわかった。  それだけに不審でならぬ大治郎へ、三冬がささやいた。 「あなた。聞き入れておあげなさいましては……」      六  それから、およそ半月ほど経《た》った。  松平|修理之助《しゅりのすけ》は沈黙している。  しかし、根津《ねづ》の万七が道場へ来て、又太郎へそっ[#「そっ」に傍点]と告げた。 「あの五人のやつどもは、お上《かみ》のお調べをうけて、すっかり白状をしてしまったようでござんす」 「何と、白状をしたのだね?」 「それが、御奉行所の旦那《だんな》方は、くわしいことを教えて下さらねえので」 「ほう……」 「ともかくも、あの五人は島送りになるということですが……」 「ふむ、なるほど……」 「なんでも、あいつらは、徒《ただ》の物盗《ものと》りではねえということです」 「そうかね」 「若先生には、おもい当ることがおあんなさいませんか?」 「さて……ないな」 「ふうん。どうも何か、あいつらは妙なたくらみ[#「たくらみ」に傍点]があったらしい」 「私のところへも奉行所から、いろいろと尋ねに来たがね。実のところ、私にも、よくわからぬ。物盗りならば、何も、こんなところへ五人で押し込むこともないだろう」 「まったく……」  万七は、腑《ふ》に落ちぬらしい。  だが、又太郎は、およそのことがわかったような気がしている。  きびしい調べをうけて、五人は……いや五人のうちの何人かが、松平修理之助に金で雇われ、自分を襲い、道場へ侵入して家捜しをおこなったことを白状してしまったにちがいない。  そうなると、今度は当然、幕府の評定所《ひょうじょうしょ》が松平修理之助を調べることになる。  いま、その調べがおこなわれているやも知れぬ。 (さて、これからどうなるか……?)  であった。  おそらく、松平修理之助は、うまく、いい逃れるにちがいない。譜代の大身《たいしん》旗本だけに、幕府へも、かなり顔がきく松平修理之助だ。  この事件は〔内済《ないさい》〕になると、杉本又太郎は予想している。  修理之助は、又太郎に罪を着せることはできないだろう。着せれば、又太郎が上《かみ》の取り調べをうけることになり、又太郎は、すべてを語る。そうなると、松平修理之助の醜行が世上に知れわたってしまう。  そうなれば、それこそ、 「ただごとではすまぬ……」  ことになるのだ。  それは何故か……。  松平修理之助は、わが家来のむすめだった小枝《さえ》に目をつけ、五年ほど前に、邸内の文庫蔵《ぶんこぐら》へ監禁し、暴力をもって小枝を犯したのである。  そして、翌年に小枝を〔養女〕にしてしまった。  その後も、小枝は修理之助のいうままになっていたわけだが、今日まで辛抱をつづけてきたのは、一に父・磯野儀助《いそのぎすけ》の懇願によるものであった。  小枝が〔殿さま〕のいうことを聞かぬときは、害が父におよぶ。なればこそ小枝は苦痛の日々に堪《た》えていたのだ。  それならば、松平修理之助が小枝を〔側妾〕にすればよいわけなのだが、これは修理之助の奥方がゆるさぬ。  奥方は家つき[#「家つき」に傍点]のむすめであって、修理之助は養子なのだ。どうしても奥方には、頭があがらぬ。  だからといって、小枝を手ばなすのは惜しい。  そこで、磯野儀助の出世と引き替えに、小枝を〔養女〕とした。  奥方が小枝を非常に、気に入っていたので、このことはうまくはこんだ。  修理之助が小枝を抱くときは、磯野儀助のはからいで、文庫蔵だの、磯野の長屋だのが利用された。  何といっても大身の屋敷内のことゆえ、修理之助が、あわただしく小枝を抱くのは、月の内の一度か二度ほどであったらしい。  またそれだけに、松平修理之助の執着は強かったのであろう。  そのうちに、杉本又太郎が松平家へ奉公に出た。  これが、二人の運命をさだめた。  堪えに堪えていた小枝の怒りと情熱が、一度に、ほとばしり出たのであろう。  小枝は、父をも捨て、松平家をも捨てて、又太郎のふところへ飛び込んだのだ。      ○  それから、また、十日ほどがすぎた。  杉本又太郎は、小枝を道場へ引き取り、もはや、 「夫婦同様……」  の、暮しに入っている。  奉行所からは何もいってこないし、松平修理之助も沈黙をまもっている。  どうやら事件《こと》は、有耶無耶《うやむや》のうちに、ほうむり去られたらしい。  又太郎は依然として、自分の道場では堂々たる師匠ぶりをしめしているが、午後になって、橋場《はしば》の秋山道場を訪れると、別人のごとく弱くなる。つまり、以前のままの又太郎にもどってしまう。  それでも、さすがに、飯田粂太郎《いいだくめたろう》に引けをとることはないが、笹野《ささの》新五郎が相手をすると、 「到底、歯が立たぬ……」  のである。  秋山大治郎が不在のときは、もっぱら、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の町医者・小川宗哲《おがわそうてつ》宅に寄宿している笹野新五郎が道場へ来て、又太郎に稽古をつける。  新五郎は、あれから、本銀町《ほんしろがねちょう》の間宮孫七郎《まみやまごしちろう》道場へ通って修行をつづけているが、それでも三日に一度は、秋山道場を訪れることを忘れなかった。  間宮孫七郎へあずけられてはいても、新五郎は、 「わが師は、秋山先生ひとり……」  と、おもいきわめているようだ。 「又公は、どんなぐあい[#「ぐあい」に傍点]だえ?」  小兵衛に尋ねられて、大治郎が、 「いや、実に真剣です」 「ほう……」 「笹野新五郎には普通の稽古《けいこ》をつけさせておりますが、私が道場におりますときは、振棒を揮《ふる》わせ、先《ま》ず、体の仕組みをととのえさせております。そもそも、又太郎殿の剣術が身につかぬのは、まだ、体がととのっていないからだとおもいます」 「そうか、ふむ……」 「すこしずつ、よくなるとおもいます。ともかくも死物狂いで、毎日、欠かさずに通ってまいります」 「ふうむ……女ができると、そうも人が変るものかのう」 「それにしても、おのれの道場では、あれほど強い男が、私のところへまいりますと、まったく以前の杉本又太郎になってしまうのが、ふしぎでならないのです、父上」 「又公め、自分の道場にいるときは、門人どもへ、脅しをきかせているのではないかえ?」 「いや……そうとはおもわれませんが……父上。又太郎殿は、こう申すのです」 「何と?」 「足かけ三年のうちには、何としても、石に囓《かじ》りついても、道場の主《あるじ》として恥じることなき腕前にならねばならぬと……」 「そりゃまあ、結構なことじゃが、足かけ三年というのは、何か、わけがあってのことか?」 「さあ、わかりません。尋ねても、はっきりとは申しません」  その翌日の午後。  秋山小兵衛は橋場の道場へ出かけてみた。  道場のまわりに芒《すすき》の穂がなびき、秋草がとりどりの花をつけ、空は高く晴れわたっている。  小兵衛は台所から入って行き、 「まあ、父上……」  出迎えた三冬へ、 「又公、来ているらしいのう」 「はい」  笹野新五郎を相手に、杉本又太郎の猛稽古が道場でおこなわれている。 「ほう……凄《すさ》まじい気合声じゃな」 「一心というものほど、おそろしいものはございませぬ」 「さほどに、ちがってきたかえ?」 「ま、ごらん下さいませ」  三冬にみちびかれて小兵衛は、戸の隙間《すきま》から道場の様子をうかがった。  いましも、 「やあ!!」  打ちこんだ木太刀を、新五郎にはね[#「はね」に傍点]退《の》けられ、 「えい!!」  みごとに胴を撃たれた杉本又太郎が、すこしも屈せず、 「お願い申す」  またしても木太刀を構えて立ち向って行く。  今度もまた、笹野新五郎に小手《こて》を撃たれ、又太郎は木太刀を取り落した。 「お願い申す」  木太刀を掴《つか》み取った又太郎は、またも立ち向って行く。  ややあって秋山小兵衛は、大治郎の居間へもどって来て、三冬のいれた茶をのみながら、 「どうも、妙な……」  と、つぶやいた。 「は……?」 「三冬どの。どうも、な……」 「何でございましょう?」 「姿は見えぬのだが、道場の片隅《かたすみ》に、何か[#「何か」に傍点]が凝《じっ》と蹲《うずくま》っているような気がしたのじゃよ」 「何か[#「何か」に傍点]と申しますと?」 「わからぬ。目には見えぬが、何か、生きものの気配を、たしかに感じたのじゃ」 「まあ……」 「妙じゃな……」 「父上。御冗談を……」 「いや、冗談ではない」  こういって小兵衛は、両手に茶碗《ちゃわん》を抱くようにしながら、目を閉じた。 「父上……もし、父上……」 「うむ……」 「いかがなされました?」 「わからぬ」  三冬は、いつもに似合わぬ小兵衛の思い惑っている様子を見て、いささか気味がわるくなってきたほどだ。 「ま、よいさ」  急に、小兵衛が微笑をうかべて、 「又公が、強くなればよいのだもの」 「はあ……」  このとき、まだ午後の日射《ひざ》しが明るいというのに、突然、雨が、ひそやかな音をたてて降ってきた。 「狐雨《きつねあめ》か……」  小兵衛がつぶやき、三冬は、裏手へ干してある洗濯物《せんたくもの》を取り込むために走り出て行った。 「たあっ!!」 「まだ、まだ……」 「えい!!」 「それっ」  道場の稽古は、尚《なお》も激しさを増してきたようだ。 「お願い申す」 「さ、まいられい」  さあっ[#「さあっ」に傍点]……と、ひそかな音を残して、雨が熄《や》んだ。  三冬が、取り込んだ洗濯物を抱え、台所へもどって来たようだ。  小兵衛は、だまって茶をのんでいる。  夕空は、あくまでも明るく澄みきっていた。     狂乱  大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)の水をひき入れた舟着き場のあたりに、真菰《まこも》が小さな花をつけている。  秋山|小兵衛《こへえ》は、庭先へ出て、晴れわたった秋の朝空をながめているうちに、 (おお、そうじゃ……)  ふと、おもい立った。 (久しぶりに、牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》を訪ねようか……)  小兵衛は、ここ二年ほど、牛堀道場を訪ねていない。  だが、牛堀九万之助は折にふれて、 「秋山さん。御機嫌《ごきげん》はいかがです?」  鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅を訪ねてくれるのだ。  この夏も、 「暑中、いかがお過しかと存じて……」  と、小兵衛が大好物の両国|米沢《よねざわ》町〔京桝屋《きょうますや》〕の銘菓〔嵯峨落雁《さがらくがん》〕を携え、見舞いに来てくれ、 「ほんに、牛堀先生は情のこまやかなお人ですねえ」  おはる[#「おはる」に傍点]が、つくづくといったものである。  小兵衛も同感であった。  牛堀九万之助は、 「生涯《しょうがい》、妻をめとらず、剣の道に没入したい」  われから誓って、四十四歳のいまも、老僕《ろうぼく》の権兵衛《ごんべえ》を相手に独り身をまもっている。 「おはる。ではな、お前の好きな牛堀の九万さんの顔を見て来るぞ」 「私が、よろしくいっていたと、かならず伝えて下さいよう」 「わしがあの世[#「あの世」に傍点]へ行ったあとは、お前を嫁にもらってくれと、たのんでおいてやろうよ」 「ええ、ええ、たのんでおいて下さいよう。あれ……ちょいと先生」 「なんじゃ?」 「手ぶら[#「手ぶら」に傍点]で行きなさるのかね?」 「九万さんの好物はよくわかっている。途中で買って行くわえ」 「それならいいけれど……」 「早めに、帰って来るからのう」 「はあ、そのほうがいいよう。今日はね、先生。関屋村のお父《とっ》つぁんが、いいもの[#「いいもの」に傍点]を持ってきてくれるから……」 「何じゃ、それは?」 「何でもいいから、腹を減らして帰って来て下さいよう」 「ほう。そうか、それはたのしみじゃな」  軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》に脇差《わきざし》ひとつを帯し、竹の杖《つえ》をついた秋山小兵衛は、鐘ヶ淵の隠宅を出た。  この日。  小兵衛は牛堀道場において、 (ちかごろ、これほどに遣う男もめずらしい……)  それほどの剣士を見ることになる。  けれども、いま、のんびりと大川の堤の道を行く秋山小兵衛には、その剣士のことがおもいうかぶ道理もなかった。  まして、その剣士と自分とが、 「おもいもかけぬ……」  関《かか》わり合いをもつことになろうとは、いかな小兵衛といえども予期し得ぬことであった。  赤|蜻蛉《とんぼ》が飛ぶ堤には、曼珠沙華《まんじゅさげ》が群がり咲いていた。  小兵衛は何ともおもわぬが、おはるは、この曼珠沙華を、 「見るのも嫌《いや》だよう」  と、いう。  一名を〔彼岸花《ひがんばな》〕ともいう、この多年草は、花咲くときに葉をつけず、うす[#「うす」に傍点]緑の直立した茎の上に、真赤な花が輪のようにひらくのだ。  そういえば、大治郎《だいじろう》を生んだ小兵衛の亡妻・お貞《てい》も、 「一本《ひともと》ならばよいのでしょうが、彼岸花が咲き群れているのを見ていると、あまりに花の色が赤すぎて、薄気味が悪くなります」  と、眉《まゆ》をひそめていたものである。  去年の秋にも、おはるはこういった。 「あの花はねえ、先生。関屋村なぞでは幽霊花だとか捨子花だとかいってますよ。あの花を見て、何ともおもわないなんて、どうかしてますよう」      一  十余年も前のことになるが……。  秋山小兵衛と牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》は、越前大野《えちぜんおおの》四万石の城主・土井能登守《どいのとのかみ》の面前で、 「勝負を争った……」  ことがあった。  当時の小兵衛は、四谷《よつや》・仲町《なかまち》に道場を構えていた。  それで、このときの試合は、勝った方が土井家の武芸指南役として召し抱えられることになっていたらしい。  というのは、小兵衛も九万之助も事前に、これを知らされていなかったからである。  土井能登守の家来が、秋山道場にも牛堀道場にもいて、おそらく彼らが勝手に、それぞれの師を殿様へ推薦したのであろう。  小兵衛が、この試合に出る気になったのは、牛堀九万之助の剣名を耳にして、 (ぜひとも一度、立ち合ってみたい)  と、考えていたからだ。  九万之助もまた、同様であった。  双方ともに、大名家へ仕官をする気など、毛頭なかった。  いざ、立ち合ってみると……。  双方ともに下段の構えで、睨《にら》み合うこと一刻《いっとき》(二時間)におよんだ。  どうしても勝負がつかず、引き分けとなった。  土井能登守は、どうやら剣術がわかるだけに、一合《いちごう》も撃ち合わなかった二人の立ち合いを見て、 「ああ……まことに見事なものじゃ。よし、二人共に召し抱えよう」  いい出したが、これは小兵衛も九万之助も辞退してしまった。  のちに、牛堀九万之助は門人たちへ、こういったそうな。 「あの勝負は、秋山さんが引き分けにして下されたのだ。わしは、しまいに呼吸《いき》があがってしまい、どうにもならなくなったが、秋山さんはびく[#「びく」に傍点]ともなさらぬ。あの小さな体が二倍にも三倍にも見えてきて、しかも……しかも、それが木太刀の中へすっぽり[#「すっぽり」に傍点]と隠れてしまったようで、いやもう、どうにも手が出なかった。秋山さんが引き分けて下されたのは、わしの意中を御存じではなかったゆえ、それとなく、わしの仕官が首尾よくはこぶようにとおもうて下されたのであろうよ」  二人の親交は、このときからはじまったといえよう。  上州・倉ヶ野の生れで、江戸へ来て、奥山念流《おくやまねんりゅう》の道場をひらいてから今年で十五年になる牛堀九万之助は、語ること少なく、みずから実践することにより、おのずから門人たちを指導して行くという人物だ。道場は小さいが、門人には名門の子弟が多い。  大身《たいしん》旗本の中には、おのれの子息に、 「木太刀を持たぬでもよい。牛堀先生の側《そば》にすわっているだけでも、お前のためになる」  などと、いうものもいるとか。  牛堀道場は、浅草の元鳥越《もととりごえ》町にある。  道場の近くに〔よろずや〕という酒屋があり、ここで売っている〔亀《かめ》の泉《いずみ》〕という銘酒は牛堀九万之助の大好物であった。  夕餉《ゆうげ》の折に、九万之助は亀の泉を冷《ひや》のまま、湯のみ茶わんで三杯のむのが、 「何よりの、たのしみ」  だという。  小兵衛も、これをわきまえていた。  小兵衛がよろずやへ立ち寄り、亀の泉を柄樽《えだる》へつめさせ、これを提げて、 「ごめんなさいよ」  牛堀道場を訪れたのは五ツ半(午前九時)ごろであったろう。  母屋《おもや》の玄関から入って行った秋山小兵衛を老僕の権兵衛《ごんべえ》が迎えて、 「あれまあ、秋山先生でねえかよ」 「よう、権ちゃん。いつも達者で結構じゃな」 「権ちゃん、やめてくれというによ、秋山先生。おら、もう六十七になるだよう」 「なあに、六十だろうが七十だろうが、かまうものかえ」 「だって、こっぱずかしい[#「こっぱずかしい」に傍点]からよう」 「あは、はは……ちょいと、稽古《けいこ》を見せてもらいに来たよ」 「さあさあ、あがって下せえ。うち[#「うち」に傍点]の先生、どんなにかよろこびなさるだろうね」 「これは亀の泉じゃ」 「あれ、申しわけのねえことで……」  小兵衛は柄樽を権兵衛へわたし、道場へ向った。  母屋から渡り廊下が、道場へ通じている。  渡り廊下から道場へ入った小兵衛は、左の板戸を、しずかに引き開けた。  そこが見所《けんぞ》になってい、端然と坐《すわ》っている牛堀九万之助の横顔が見え、激しく打ち合う木太刀の響《とよ》みが耳へ入った。  九万之助が、振り向いて、 「おお、これは……」 「見せてもらって、よいかな?」 「さ、こちらへ」 「ごめんなされよ」  見所へ入り、九万之助の傍《わき》へ座をしめた小兵衛が、 「無沙汰《ぶさた》のおわびにまいった」 「いや、これは……恐れ入りました」  小兵衛が、道場へ視線を向けた。  稽古着《けいこぎ》をつけた二十名ほどの門人が、道場の両側へ居ならんでいる。  いましも、二人の剣士が木太刀を構え、対峙《たいじ》していた。  一は、堂々たる体躯《たいく》のもちぬしで、二千石の大身旗本|松平図書《まつだいらずしょ》の長男・数馬《かずま》である。  松平数馬は当年三十二歳。まだ家督をしていないが、牛堀門下の中でも屈指の力量をそなえている剣士で、小兵衛も見知っている。  一は、小兵衛が見知らぬ剣士であった。 (四十を二つ三つ越えていよう)  と看《み》たのだが、実は三十五歳で、つまりそれほどに、この剣士は更《ふ》けて見えたのだ。  見るからに、颯爽《さっそう》とした松平数馬にひきくらべ、この剣士の風貌《ふうぼう》はあまりにも冴《さ》えなかった。  体格は先《ま》ず尋常といってよかったけれども、うすい縮れ毛の髷《まげ》が、いかにも見すぼらしい。おまけに頭の頂が尖《とが》っているものだから、髷もうまく頭へ乗らぬ。しめた鉢巻《はちまき》のあたりへ、髷がすべり落ちている。  これも薄い眉毛《まゆげ》の下には、木《こ》の実《み》のように小さな両眼《りょうめ》があり、そのくせ鼻は太[#「太」に傍点]くてたくましい。ねっとりとした脂《あぶら》に光っている顔は、馬糞《ばふん》のような色をしていた。  そして、唇《くち》の色も顔と同色なのだ。唇の色というものは男女を問わず、顔色と区別がついているものなのだが……。  さて、松平数馬は、小兵衛の目の前で、この剣士に負けた。  背を屈《かが》めるようにして正眼《せいがん》に構えた木太刀が、数馬の胴を強《したた》かに打ち払ったのである。  松平数馬は無念そうに一礼し、引き下った。 「あの人《じん》は?」  と、小兵衛が牛堀九万之助へささやいた。 「石山甚市《いしやまじんいち》と申し、本多丹波守《ほんだたんばのかみ》様の家人《けにん》です」 「ほう……」 「いかがです?」 「強いのう」 「松平数馬まで四人、打ち負かされました」 「ほう……」  どうやら、牛堀の門人ではないらしい。  つぎに、彦坂《ひこさか》又八郎が石山甚市の前へすすみ出た。彦坂は本所《ほんじょ》の三ツ目に屋敷があり、百五十俵の幕臣で、当年二十八歳。  彦坂又八郎は猛然と攻撃した。  だが、それにも増して石山甚市の打ち込みは激烈をきわめたものであった。 「やあっ!!」 「おおっ!!」  松平数馬のときとはちがい、今度は、双方の気合声と打ち合う木太刀の響みが湧《わ》き起った。  石山甚市の体のうごきは、密林の中を疾走する獣《けもの》のように速く、剽悍《ひょうかん》で、しかも柔軟をきわめている。 「鋭《えい》!!」 「応!!」  打ち合って飛びちがったとき、石山甚市の体が、のけ反ったかとおもわれるほどの姿勢で躍りあがり、反転し、向き直った彦坂又八郎の右肩を打ち据《す》えた。 「う……」  彦坂は木太刀を放《ほう》り落し、片ひざをつき、必死に激痛をこらえ、倒れかかる体を支えている。 (彦坂は、肩の骨を砕かれたな……)  と、小兵衛は看た。  門人二人が立ちあがり、 「むう……」  左手をついて、顔を伏せた彦坂又八郎へ近寄り、これを介抱しつつ、道場から、しずかに出て行った。  他の門人たちも、さわぐこともなく静粛にしている。このあたりは、さすがに、牛堀九万之助の平常の教導がもの[#「もの」に傍点]をいっているのであろう。  六人目に、木村織太郎という門人が、石山甚市の前へすすみ出た。これも相当の遣い手である。  木村を見て、傲然《ごうぜん》と立ちはだかった石山甚市が、烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振った。 「お相手いたす」  と、木村がいった。  それには返事もせず、見所の方へ向き直った石山が、木太刀を置いてすわり、 「牛堀先生。一手《いって》の御指南をお願い申しまする」  と、いい出た。  言葉づかいは丁重なのだが、その声には何の抑揚もない。ただ、甲高《かんだか》く強い響きのみなのだ。  牛堀九万之助は、見所から石山を見下ろし、 「今日は、これまで」  おだやかにいう。 「いいや、ぜひにも一手の御指南をお願い……」 「なりませぬ」  と一言。あとは石山甚市を凝《じっ》と見つめたまま、九万之助《くまのすけ》は沈黙した。  その九万之助へ、 「ぜひにも、ぜひにも……」  とか、 「御指南をいただかなくては、此処《ここ》へまいりました甲斐《かい》もござりませぬ」  とか、石山は執拗《しつよう》にせまった。  秋山小兵衛は半眼《はんがん》となり、眼の光を消して密《ひそ》かに石山を見ていたが、石山は小兵衛なぞ眼中になく、 「御願いつかまつります。ぜひにも御願いを……」  いいつのっていたが、そのうちに、その声が熄《や》んだ。  あくまでもしずやかにこちらを見つめている牛堀九万之助へ向けた石山甚市の小さな両眼が鋭い光をたたえ、これも押し黙って九万之助を睨みつけた。  石山の全身に殺気が生じているのは、牛堀九万之助へ憎悪《ぞうお》の念を抱きはじめたからであろう。  門人たちも声をのみ、異様に緊迫した空気が道場内にたちこめている。  突然、牛堀九万之助が、 「そこもとは、道場破りをなさるおつもりか」  と、いった。  大声をあげたわけではないが、その呼吸は、まさに石山甚市をたしなめるための一撃といってよかったろう。  途端に石山の体が揺らぎ、ふるえはじめた。  間髪《かんはつ》を入れず、 「今日は、これまで」  またも、九万之助の声がかかった。  すると石山甚市は、何やら口の中でぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]と呟《つぶや》きつつ、九万之助へ一礼し、むしろ、おのれの鬱念《うつねん》をもてあましたかのような鈍《のろ》い足取りで道場から去って行った。  秋山小兵衛が苦笑し、 「かの男は、貴公と立ち合《お》うても勝てぬことが、ようやくにわかったらしい」  と、九万之助にささやいた。  九万之助は微笑し、 「さて、母屋のほうへまいりましょうかな」 「はい、はい」  そのあとの道場は、門人たちの自由稽古となった。  秋山小兵衛は、石山甚市を、 (この後、二度と見ることもあるまい)  そうおもっていた。  だが、このときの小兵衛の勘のはたらきは狂っていたようだ。  小兵衛は、この日のうちに、石山甚市と出合うことになる。      二  母屋《おもや》の居間で、小兵衛と九万之助《くまのすけ》は、それから一刻半《いっときはん》(三時間)ほどを過した。  老僕《ろうぼく》の権兵衛《ごんべえ》の手で、軽い中食《ちゅうじき》が出された。  にぎりめしへ味噌《みそ》をまぶしたのを、さっと焙《あぶ》ったものと、芋茎《ずいき》と油揚を煮た一鉢。塩漬《しおづけ》の秋|茄子《なす》などの簡素な中食であったが、長年、九万之助に仕えていて、身のまわり一切の世話をしている権兵衛だけに、なかなか手ぎわがよいのである。  小兵衛は感心をしてしまった。 「うまいぞ、権ちゃん」 「あれ、また、権ちゃんといいなさるよ」 「お前のような人に食べるものの世話をしてもらって、ここの旦那《だんな》はしあわせじゃな」 「へい。わしも、そうおもうていますだよ」  と、権兵衛は臆面《おくめん》もなくいうのだ。 「ときに、牛堀さん……」 「はい?」 「先刻の、あの石山|某《なにがし》という剣客《けんかく》は、たしか、本多|丹波守《たんばのかみ》様の家人と聞いたが……」 「いかにも……」 「御屋敷が、湯島天神下にある……?」 「はい」  金貸しをしていた孤独の老人・浅野幸右衛門《あさのこうえもん》が秋山小兵衛へ托《たく》した下谷《したや》・同朋町《どうぼうちょう》の家には、いまも、小兵衛の門人だった植村|友之助《とものすけ》と下男の為七《ためしち》とが住み暮し、近辺の子供たちに読み書きを教えている。  ときには小兵衛も、様子を見に足を運ぶ。  八千石の幕臣・本多丹波守の屋敷は、その近くにあった。  旗本といっても八千石の大身《たいしん》となれば、俗に、 「三万石の大名に匹敵《ひってき》する……」  などといわれるほどに、大層なものだ。  その家人というのだが、実は、牛堀九万之助も、石山|甚市《じんいち》についてくわしいことを知らぬ。 「本多丹波守様の側用人《そばようにん》・豊田孫左衛門《とよだまござえもん》という人《じん》から、たのまれましてな」 「何をたのまれなすった?」 「いえ、その、当道場へ出入りをさせてもらいたいというので」 「門人にしてもらいたいと申すのではないのかな?」 「つまり、稽古《けいこ》をさせてもらいたいというわけなのです」 「ほう……」  牛堀九万之助の道場へは、いまも、土井|能登守《のとのかみ》の家来が十人ほど稽古に来ている。  いまでも能登守は、九万之助を、 「召し抱えたい」  という気持を捨てぬだけに、何かにつけて、牛堀道場の面倒を見てくれる。  その土井能登守の家来・井口主水《いぐちもんど》の妹が、本多家の豊田孫左衛門の妻なのだ。  そこで、豊田から井口主水へ依頼が行き、あらためて井口から、牛堀九万之助へ、 「石山甚市をお願い申す」  との申し入れがあった。 「なるほど。稽古を見てやってもらいたいという……」 「そうらしいのですが、どうも、あの態《てい》を見ては、私にも事情《わけ》がのみこめなくなりましてな」 「いかさま。あれでは、まるで道場破りじゃ。当初から、此処《ここ》へ乗り込んで来て、貴公を打ち負かしてくれようと、ひそかに野心を抱いていたにちがいないわえ」 「いや、そのような……」 「そうじゃよ、牛堀さん。ちかごろは、貴公の剣名を知らぬものはない。その貴公を打ち負かしたとあれば、あの石山何とやらの鼻が、二段にも三段にも高くなろうというものじゃ」 「まさかに……」 「いや、まことのことじゃよ」 「ともかくも、強い。おどろきましたよ、秋山さん」 「たしかに強いのう」 「流儀は、無敵流と申していました」 「ぷっ……」  と、小兵衛はふき出した。  いかにも、傲慢不遜《ごうまんふそん》の石山甚市にふさわしい流儀ではないか。  もっとも、この流儀を小兵衛が知らぬわけではない。  越前《えちぜん》の国に名高い富田流《とだりゅう》から発して、寛永年間に江戸に道場を構えた進藤雲斎《しんどううんさい》が、無敵流を唱えたという。  小兵衛も九万之助も、無敵流の剣士を見たのは、今日がはじめてだといってよい。 「先《ま》ず、手前の門人たちでは歯が立ちますまい」  と、牛堀九万之助が、 「総じて、むかしのような修行ができぬ世の中となりました。せよ[#「せよ」に傍点]と申しても無理なことでしてな。秋山さんの御子息・大治郎殿のような人《じん》は、これから、いよいよ稀少《きしょう》のものとなりましょう」  浪人は別として、しかるべき勤めをもつ侍たちの生活の中には、一匹の獣と化して山野を駆けまわり、おのれの心身を、 「鍛えて鍛えて、鍛えぬく」  という機会もなければ、のぞみもせぬ。  日本の国に戦乱が絶えてより、すでに百六十余年を経過しており、武家が、おのれの武術をもって生きる時代ではない。  武家は官僚化し、天下の指導階級となってはいても、日に日に退嬰《たいえい》しつつある。  いまは、経済のちからが天下を制しているからだ。  したがって、真剣をもって敵を打ち殪《たお》すという経験を得ることもなく、武術は心身の修養の場となったのである。秩序がととのい、法が天下を治める世であれば、殺人が犯罪となること当然であった。  しかし、石山甚市の剣法には、まさに実戦の気魄《きはく》がこもっていた。  無敵流を何処《どこ》でまなんだものか、それは知らぬが、小兵衛も、 (真剣を把《と》って闘うときは、大治郎とて勝を取るにはむずかしかろう……)  とさえ、一時はおもったほどだ。  牛堀道場の稽古は、午前・午後を通しておこなわれる。 「あまり、邪魔をしてもならぬ。わしは、これにて……」 「ま、よいではありませぬか」 「近いうちに……さよう、日暮れから泊りがけでおいで下され。月見でもしようではないか」 「かたじけのうござる」  門の外まで、牛堀九万之助は小兵衛を見送って出た。  道を曲るとき、小兵衛が振り向くと、いつものように九万之助が権兵衛と共に、まだこちらを見送って立っており、頭を下げた。  小兵衛も礼を返してから、道を曲った。  現代は廃《すた》れてしまったけれども、これが人と人との礼儀であり、形容にも双方のこころがこもっていたのだ。 (そうじゃ。久しぶりに、友之助《とものすけ》と為七の顔を見に行こうか……)  と、小兵衛はおもいたった。  浅野幸右衛門から托された同朋町の家はさておき、その遺金千五百両をも、 「いかようにも御処分下されたく……」  と、小兵衛は幸右衛門からたのまれている。  この莫大《ばくだい》な遺金を、実は小兵衛、もてあましているのだ。 (どのように役立てたなら、亡《な》き幸右衛門殿のこころに添うであろうか……?)  考えるうちにも、それこそ「あっ……」という間に月日が過ぎ去ってしまっている。 (若いころの一年が、いまの十年にも当ろう)  と、おもわざるを得ない。 (わしも、そろそろ、死ぬるときのことを考えておかねばならぬな……)  このことであった。  その一方で、ちかごろの小兵衛は、何とはなしに、 (わしは、どうも、百までは生きられそうな……)  おもいがせぬものでもない。  百歳まで生きていたいとはおもわぬが、いまの小兵衛の体調が四十代、五十代のころと、ほとんど変っていないからである。  いつしか小兵衛は、秋晴れの空の下を、新堀川《しんぼりがわ》沿いの道へ出ていた。  新堀川は幕府が掘った川で、浅草|田圃《たんぼ》から大川《おおかわ》へ通じている。  大川から汐《しお》がさしてくると舟も通れるし、石神井《しゃくじい》用水のあまり[#「あまり」に傍点]水も、この川へ落すことができるようになっていた。  新堀川をわたると、両側は武家屋敷や、幕府の組屋敷がたちならぶ町すじとなる。  こうした町すじには、日中でも、あまり人通りがない。  その中に、取り払われた旗本屋敷の跡とも見える広い空地があった。崩れかかった土塀《どべい》に囲まれた空地は雑草に埋もれつくしていた。  その前を通りかかった秋山小兵衛が、 (おや……?)  急に、足をとどめた。  空地の奥で、何やら、人の呻《うめ》き声のようなものを聴いたからだ。  さらに、妙な物音が聞えた。たとえていうなら、棒のようなもので、何かを叩《たた》きつけたような物音がつづき、ぴたりと熄《や》んだ。 (はて……?)  すっ[#「すっ」に傍点]と、土塀の隙間《すきま》から空地の中へ、小兵衛が入って行った。  空地の奥が、こんもりとした木立になっている。屋敷が構えられていたころの、庭の名残りらしい。 「う……う、う……」  微《かす》かに、人の呻き声が聞えた。  呼吸《いき》をつめた小兵衛が、音もなく木立の中へ踏み込んで行き、瞠目《どうもく》した。  一人の侍が松の木に縛りつけられ、手ぬぐいで猿轡《さるぐつわ》をかまされている。呻き声はその中から辛《かろ》うじて洩《も》れてきたのだ。  侍の衣服は引き裂かれ、肌《はだ》が露出してい、顔は血まみれになっていた。  小兵衛がおどろいたのは、縛りつけられた侍の傍《そば》に、あの石山甚市が立ちはだかっているのを見たからである。  石山は、ふとい木の枝をつかみ、にたにた[#「にたにた」に傍点]と笑いながら、縛りつけた侍をながめている。  侍の両刀は、草の中へ投げ出されていた。  石山甚市が木の枝を揮《ふる》って、侍の腹から胸のあたりを撲《なぐ》りつけた。  侍は白眼《しろめ》をむき出し、半ば、気をうしないかけている。  石山は、声もなく笑った。  その顔が、何やら妖怪《ようかい》じみている。  掴《つか》み直した木の枝を、またも、石山甚市が振りかぶったとき、 「待て」  秋山小兵衛の声がかかった。      三  振り向いた石山|甚市《じんいち》が、愕然《がくぜん》となった。  牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》の傍に坐《すわ》っていた小兵衛を、おもい出したにちがいなかった。 「何をしていなさる?」  石山は、こたえぬ。 「まさか、この昼日中《ひるひなか》に物盗《ものと》りでもあるまい」  石山の驚愕《きょうがく》の表情が、すこしずつ、変りかけてきた。  牛堀道場にいた、この老人は自分の名も、また自分の主人の名も牛堀九万之助から聞いているに相違ない。  侍は、手足を自分の刀の下緒《さげお》で立木へ縛りつけられている。  いやしくも大小の刀をたばさむ侍が、これほどの屈辱を受けたのは、先《ま》ず、いきなり当身《あてみ》でもくわされて気をうしない、石山に空地へ引きずり込まれたのではあるまいか……。  四十前後の侍の服装《みなり》から推してみても、しかるべき主人を持つ身であることがわかる。  小兵衛がゆっくりと脇差《わきざし》を抜き、侍の手足を縛している下緒を切りはらった。  侍は、草の中へ崩れ落ちたまま、唸《うな》り声をあげている。うごこうにもうごけぬらしい。 「石山殿と申されたな。この始末を、どうつけなさる?」  脇差を鞘《さや》へおさめ、振り向いた小兵衛の両眼が、煌《きら》りと光った。  石山甚市が飛び退《しさ》って、大刀を抜き払ったのを見たからである。 「わしを斬《き》る気かえ」  石山の刀は下段につけられ、凄《すさ》まじい殺気が全身から噴き出していた。 「あ……ああっ……」  倒れていた侍が、それと気づき、草の中を這《は》うようにして逃げようとしている。  おもえば、この侍も、 (なさけない男じゃ……)  と、小兵衛はおもった。  いうところの武士の魂。すなわち大小の刀を草の中へ置き捨てたまま、この侍は泥《どろ》まみれ血まみれの姿で、木立の向うへ逃げはじめた。  石山は、逃げる侍には一顧もあたえなかった。  侍は、自分の名も身分も知らぬからであった。  けれども、目の前の老人だけは、生かしておけぬ。  老人の口を封じてしまわぬと、自分の主人の体面にもかかわることになる。いうまでもなく石山甚市の暴行は、大身《たいしん》旗本の家来の、 「為《な》すべきことではない」  からであった。  上《かみ》へ聞えたときは、いうまでもなく罪を受けねばならぬ。  石山にいわせれば、 「自分に無礼のふるまい[#「ふるまい」に傍点]をした侍を、こらしめたまでだ」  なのであろうが、あれほどの、狂暴な所業を仕てのけたのだから、いい逃れはきくまい。 「ぬ!!」  石山の刀が、下段から正眼に移った。  石山の顔色が青黒く変ずるにつれ、唇《くち》の色までも青黒くなってきた。  ふしぎだ。  斬れない。  はじめは、わけもなく斬って捨てて、すぐさま逃走するつもりで、それだけの余裕《ゆとり》をもっていた石山甚市なのだが、もはや、どうすることもできぬ。  細い竹の杖《つえ》をつき、二|間《けん》をへだてて、ふんわり[#「ふんわり」に傍点]と立っている小さな老人の体が鉄壁のようにおもえた。 「おい。どうするえ?」  にやり[#「にやり」に傍点]とした秋山小兵衛が、何と、其処《そこ》へしゃがみ込んだものである。 「う……」  これには、さすがの石山も度胆《どぎも》をぬかれたらしい。  ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と、さらに飛び退った。 「ばかもの!!」  小兵衛の大声が、あたりにひびきわたった。  雷に撃たれでもしたかのように、石山甚市の顔が恐怖に歪《ゆが》んだ。 「刀を捨てて、此処《ここ》へ来い」 「う……」 「来いというのじゃ」  石山の体が木立の向うへ飛び出して行った。逃げたのだ。  立ちあがった小兵衛は、放《ほう》り捨てたままになっている侍の大小を拾いあげ、 「どっちもどっちじゃ」  と、吐き捨てるようにいった。  侍の刀は、実にひどいもの[#「ひどいもの」に傍点]であった。  舌打ちをした小兵衛が、大小の刀を放り捨て、空地から出て行った。  侍の姿は、何処にも見えぬ。  石山甚市も、逃げ去った。  若党と小者を供につれた侍が、ゆったりと道を歩んでいるのみだ。  それから小兵衛は、下谷《したや》・七軒町へ出て、御徒町《おかちまち》から広小路《ひろこうじ》へ抜けた。  秋晴れの午後である。上野山内をのぞむ広小路の盛り場は雑踏をきわめていた。  湯島裏坂下へ出た小兵衛は、自分の後を尾《つ》けている者の気配を、早くも感じていた。 (石山めが、わしを尾けて来たのか……どこまでも、わしを殺さねば気がすまぬらしい)  小兵衛は、浅野|幸右衛門《こうえもん》旧宅の方へ足を向けようともせず、道を左へ曲った。  すぐ向うに、石山甚市が仕えている本多|丹波守忠種《たんばのかみただたね》の屋敷が見えた。  その堂々たる表門へさしかかった秋山小兵衛が、門番を呼び出し、はなしかけている姿を、石山甚市は遠くの土塀の角から見つめている。  石山の顔は、ねっとりと脂汗《あぶらあせ》に濡《ぬ》れていた。  縮れ毛の髷《まげ》が左の鬢《びん》へ不様《ぶざま》に垂れ下り、ふとい鼻がひくひく[#「ひくひく」に傍点]とうごいている。  徒《ただ》ならぬ石山の血相を見て、通りかかった二人の町人が袖《そで》を引き合った。  石山が振り向いて、二人を睨《にら》みつけた。  町人たちは一散に走り去った。  石山は、落ちついていられなくなってきた。  此処は、本多屋敷のすぐ近くの道なのである。  石山の顔を見知っているものが、通らぬともかぎらぬ。 「むう……」  低く唸って、ふたたび視線を転じた石山甚市が、 「あっ……」  おもわず、身を乗り出した。  小さな老人の姿が、本多屋敷の門前から消えているではないか。 (しまった……)  すぐに駆け出ようとしたが、老人に呼び出された若い門番が道へ出て来て、通りかかった町家の娘に、何か戯《ざ》れ言《ごと》をいっているらしい。 「くそ!!」  身を転じ、石山甚市は走り出し、あたりを隈《くま》なく探しまわったが、ついに、老人の姿を見出《みいだ》すことはできなかった。      四  夕暮れになってから、石山|甚市《じんいち》は本多屋敷へもどった。  門番の足軽が、石山を呼びとめ、 「先刻、御老人が、あなたさまを訪ねてまいりましたよ」  と、告げた。 「ふうむ……その老人の名は?」 「秋山小兵衛と名乗られましたが……」 「秋山……小兵衛……」 「あなたさまが、まだ、おもどりでないことを申しましたら、それならばまた、近いうちに立ち寄るからと申されました」 「近いうちに、また、立ち寄る……」 「はい」  門番の言葉づかいは、一応、石山へ対して敬意をふくんでいるように見えるが、その口調ときたら、 「吐き捨てる……」  かのように素気《すげ》ないものであった。  石山を見ている門番の眼にも、軽蔑《けいべつ》の色がただよっている。  足軽でさえそうなのだから、本多|丹波守《たんばのかみ》屋敷にいるだれもが、石山を相手にせぬ。  奥の侍女たちが、たまさかに石山と出合ったりすれば、さも厭《いと》わしげに眉《まゆ》をひそめ、まるで、 「逃げるように……」  石山を避けて行く。 (さほどに、おれの面《つら》が醜いのか……)  ちがう、とはいいきれぬ。  醜悪というのではないが、暗く沈みきっていて、そのくせ、胸の内では絶えず、世の中と人びとへの鬱憤《うっぷん》がわだかまっており、日常これを懸命に押えつけている石山甚市の生活が顔貌《がんぼう》にも挙動にもあらわれる。  それが、女たちにとっては、 「薄気味がわるい……」  ことになるのであろう。  それよりも何よりも、本多家の家来でいながら、石山甚市には、これといった役目がないのだ。  八千石の大身となれば、家来も、上は家老から側用人《そばようにん》・奥用人・給人・中小姓・納戸役《なんどやく》・近習《きんじゅう》から、下は足軽・中間。それに奥向きの侍女をふくめると、合わせて八十人ほどの奉公人がいる。  石山は、いまのところ、殿様の本多丹波守が外出するときなどは供廻《ともまわ》りにつくけれども、その他にすることはない。  ないというよりも、他の家来たちが石山を遠ざけている。  したがって、石山甚市は、本多家の徒士《かち》というわけなのだろう。俸給は四十俵に相当するものを支給されてい、先《ま》ず、侍としては下級の身分であって、これだけは、はっきりしている。  しかし、五年前の自分の身分にくらべれば、まだしも、 「侍らしくなった……」  と、いってよい。  五年前の石山甚市は、本多丹波守の家来ではなかったのだ。  伊勢《いせ》の国・津三十二万三千石の藤堂《とうどう》家で、石山の曾祖父《そうそふ》の代から足軽をつとめていたのである。  いまは本多家の側用人になっている豊田孫左衛門《とよだまござえもん》も、以前は藤堂家に仕えており、これは百五十石取りの藩士であった。  豊田孫左衛門が石山甚市を連れて藤堂家を退身し、さらに、幕臣の本多丹波守の家来となった事情はさておいて、 (石山にも困ったものじゃ)  と、いまの豊田用人は、石山を持ちあつかうかたちになっている。 (御当家の人びとから、あのように疎《うと》まれては、わしの肩身もせまくなるばかりじゃ)  このことである。  石山甚市に引きかえ、豊田孫左衛門は本多丹波守の信頼が厚くなるばかりで、なればこそ、前任の側用人・宇津木主計《うつきかずえ》が病歿《びょうぼつ》するや、主計に男子がなかったものだから、すぐさま、 「豊田孫左衛門を側用人にいたせ」  殿様の一声《ひとこえ》で、抜擢《ばってき》されたのだ。  それだけに、豊田としては何かにつけて神《き》経をつかわねばならぬ。  自分が本多家に仕えることがきまったとき、 「ぜひにも……」  と、願い出て、共に抱えてもらった石山甚市の評判が悪くなるばかりなのが、重荷になってきていた。 「いますこし、愛想よく立ちまわったらどうじゃ」  ひそかに石山をよび、注意をあたえることもないではない。  そうしたとき、石山甚市は、ただ恨めしげに豊田用人を見つめ、一言も発しない。 (何という奴《やつ》じゃ……)  胸の内は煮え返るようになっても、豊田は、その上の強いことをいえなかった。  それには、それだけの理由がある。  豊田は石山に、弱味をつかまれているのだ。 「御当家には、わしからうまくはなしておくゆえ、何処《どこ》ぞの道場にでも通って、また、剣術をやってみてはどうか?」  と、すすめたのも豊田孫左衛門なのである。  妻の稲《いね》の実兄が、土井|能登守《のとのかみ》の家来、井口|主水《もんど》であり、かねてから、 「当家は、元鳥越《もととりごえ》の牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》先生の道場と縁が深《ふこ》うござってな」  そう聞かされていたので、石山甚市の口ぞえをたのんだ。  石山が牛堀道場へ出かけて行き、謙虚に稽古《けいこ》をはじめたと、豊田はおもいこんでいるようだが、今日の始末を知ったなら、 「な、何ということを……」  おどろくにちがいない。  石山は、 「高弟の方がたから、先ず、一手の御指南を……」  と、願い出て、稽古というよりも試合のかたちで、木太刀をつかんだのである。  土井能登守との関係がなかったら、おそらく牛堀九万之助は、これを拒否したろう。  九万之助は九万之助で、 (さようか。こういうつもりで、この人《じん》をさしむけてよこしたのか……)  と、おもいこんでいたのだ。 (それにしても一手……ぜひにも一手、牛堀九万之助と立ち合ってみたかった……)  その夜、自分にあたえられた組長屋の一間《ひとま》で、汗臭く脂《あぶら》臭い夜具へもぐり込んだ石山甚市は、なかなかに寝つけなかった。 (木太刀を把《と》って闘えば、負《ひ》けはとらぬ!!)  見所《けんぞ》から見据《みす》えられて、その無言の圧力に堪《た》えかねた自分は、 (たしかに、どうかしていたのだ……)  としか、おもえないところに、石山の傲《おご》りもあり、自信もあったといえよう。 (それにしても、あの老人《おやじ》め、何者なのか……?)  空地の中の木立で、あの小さな老人と睨《にら》み合って、ついに、斬《き》り殪《たお》すことができなかった。  これは、あきらかに、 (おれの負けだ……)  なのである。  どうしようもない。 (あの老人にだけは、勝てぬ)  それだけに怖い。  空地の中の自分の所業を、あの老人が黙って見すごすわけはない。たとえ、上《かみ》へ届け出なくとも、牛堀九万之助の耳へはつたわるにちがいない。そうなれば牛堀から土井家の井口主水へつたわる。  井口主水も捨ててはおけず、義弟の豊田孫左衛門へ通告してくるにちがいない。  今日、牛堀道場を飛び出してから、石山甚市は浅草|観音《かんのん》へ向った。盛り場の雑踏を歩いたら、すこしは気がまぎれるとおもったのだが、口惜《くや》しさと無念さはつのるばかりだ。 (おれが……このおれが、牛堀なぞに負けを取ろうとはおもわれぬ。このところ、しばらく、しかるべき相手と闘わなかったゆえ、牛堀に遅れをとってしまったのだ。ぜひにも、いま一度、木太刀を把って立ち合いたい。ぜひにも、ぜひにも……)  何処を通っているのだかわからぬままに歩いていて、あの侍に突き当ってしまったのである。 「無礼者!!」  侍は、石山を怒鳴りつけた。 「これは、失礼……」  それでも石山甚市は頭を下げた。  その頭を、侍が白扇でぴしゃり[#「ぴしゃり」に傍点]と叩《たた》き、 「犬め。目をひらいて歩け!!」  いい捨てて、すれちがった。  その瞬間に、石山が得体の知れぬ衝動に駆られて叫んだ。 「待て」 「何だと?」  振り向いた侍のひ[#「ひ」に傍点]腹へ当身《あてみ》をくわせ、これを空地へ引きずり込んだ。  それからのことは、石山自身、おもいもかけなかった所業なのである。  つぎからつぎへと、狂暴な血が命ずるままに、石山は侍を嬲《なぶ》りはじめた。 (畜生め、畜生め。いまの侍なぞは、みんな、こんなものなのだ。本多家の奴どもだって、みんな、そうなのだ。見ろ、見ろ。おれは、こんなに強いのだぞ。こんなに強いおれが、何故、莫迦《こけ》にされるのだ。何故おれを、一人前《ひとりまえ》の侍としてあつかわぬのだ!!)  松の木に縛りつけられた侍が、血まみれになって苦しむ態《さま》が、寝床の中の石山甚市の脳裡《のうり》によみがえってきた。  あのときの痛快さは、たとえようもないものであった。 (ざまを見ろ。ざまを見ろ!!)  おのれの股間《こかん》へ、石山は手をさしこみ、まさぐり、もみ立て、激しく扱《しご》きはじめた。 (ざまを見ろ、ざまを見ろ……)  小さな老人への怖《おそ》れもいまは忘れ、石山甚市は汗まみれとなり、鞴《ふいごう》のように喘《あえ》ぎはじめている。      五  秋山小兵衛は、自分が目撃した石山|甚市《じんいち》の、 「まるで、気ちがい犬のような……」  所業を、牛堀|九万之助《くまのすけ》のみへ、告げておいた。 「まことのことですか。おどろきましたな」 「これは、わしには関《かか》わり合いのないことじゃが、石山を貴公へ引き合せたという土井様の家中《かちゅう》の、井口殿とやらの耳へはつたえておいたほうがよいのではあるまいかな。それに彼奴《きゃつ》め、またぞろ、この道場へあらわれて、貴公に勝負を挑《いど》むやも知れぬゆえ、知らせにまいったのじゃ」 「かたじけなく存ずる。御厚志は忘れませぬ」 「何の……狂うている奴《やつ》には気をつけねばならぬ。われらよりも、まったく関わりのない人びとに迷惑がおよぶことゆえ、な……」 「いかさま」  その日は、例の事件があった翌々日だが、牛堀道場の帰り途《みち》に、またしても石山甚市が自分を尾行して来るのを、小兵衛は知った。  で、たくみに石山を撒《ま》いて、隠宅へ帰った。  三日後に、牛堀九万之助が小兵衛の隠宅へあらわれた。  九万之助は、神田《かんだ》・甲賀町の土井家・上《かみ》屋敷へ井口|主水《もんど》を訪ね、ひそかに、秋山小兵衛の言葉をつたえた。 「牛堀先生。おもいもよらぬことです。まことにもって、御迷惑をおかけいたしました」  と、井口は恐縮の態《てい》であった。 「井口殿は、かの石山甚市を御存じない?」 「見たことはございませぬ。これは先生。さっそくに豊田《とよだ》の義弟《おとうと》へ申し聞かさねばなりませぬ」 「それは、いかようにも……なれど、くれぐれも大事をとられたがよい」  豊田|孫左衛門《まござえもん》が、井口主水の妹を妻に迎えてから、十五年の歳月が過ぎ去っていた。  豊田は、祖父の代から、藤堂《とうどう》家の江戸藩邸に勤務していたから、殿様の城がある伊勢《いせ》・津の城下を見たことがないそうな。  井口主水にしても同じことで、江戸詰めの諸家の藩士たちの間に婚姻がむすばれることは、めずらしくない。  豊田孫左衛門は、当年四十二歳で、妻との間に十三歳のむすめが一人いる。 「豊田殿は何故、藤堂家を退身なされたのか?」  と、牛堀九万之助が尋ねるや、 「さて、それが……」  井口主水は、この義弟の過去に、あまり、ふれたくないらしかったが、 「牛堀先生ゆえ、おはなしいたしますが……と、申しても、私もくわしいことは存じませぬ。ともかくも豊田は、人ひとりを斬《き》って捨てて、藤堂家を退身いたしたのです」 「ほう……」 「豊田は、藤堂家にて、御納戸《おなんど》方をつとめおりましたが、同役の者と争い事を起し、ついに、双方が日時と場所を定め、真剣の勝負によって結着をつけたと聞きおよびました」 「なるほど……」  豊田孫左衛門が斬り殪《たお》した相手の真下半之助《ましたはんのすけ》は、まだ独り身で、国もとには老いた親類が二、三いるけれども、敵討《かたきう》ちをしようというものもない。  それに、真下半之助の、何かにつけて血気に逸《はや》る粗雑な性格が、藤堂家の上屋敷では評判が悪く、真下を斬って神妙に名乗り出た豊田孫左衛門へ家中の同情があつまった。  のちになってわかったことだが、真下半之助は公金を着服していた。  これを知った豊田が帳簿をつきつけて、ひそかに意見をしたところ、真下は、あくまでも知らぬといい張り、却《かえ》って豊田を恨み、おのれの潔白を証明するためだといい、真剣の立ち合いを申し入れてきたという。  場所は、品川の御殿山《ごてんやま》で、立合人はなかったが、双方が前もって念書に署名をしておいたので、豊田孫左衛門の届け出《いで》が裏づけられた。  しかし、 〔喧嘩両成敗《けんかりょうせいばい》〕  は、武家の掟《おきて》である。  藤堂家では、豊田を退身させることにし、約一年ほど後になって、江戸に浪宅をかまえていた豊田を、旗本・本多|丹波守《たんばのかみ》へ奉公させたのであった。  これは藤堂家・重役の周旋によるものだ。 「かの石山甚市は、義弟が藤堂家を退身する一年ほど前に、伊勢の国もとから江戸藩邸へ移ってまいった足軽だと申します」 「ほう……」 「国もとで、年少のころから、みっしりと剣術を修行していたということで……」 「石山の師匠は、何と申される?」 「さ、そこまでは……いえ、それは義弟も存じますまい」  豊田孫左衛門が退身するや、石山甚市も退身してしまった。 「義弟を慕《しと》うておりましたようで……一年の浪人暮しの間にも、石山は、まことにまめまめ[#「まめまめ」に傍点]しく仕えてくれたと、妹も申しておりましたほどで」 「ははあ……」 「それゆえ豊田も、自分《おのれ》が本多家へ奉公するにあたり、石山を連れてまいったのでありましょう。なんでも石山甚市は、本多様の前で試合をいたし、家来衆を五人も打ち負かしたので、本多様も一目で気に入り、四十俵をたまわったと申します」  それほどの石山甚市が、 「何で、そのようなまね[#「まね」に傍点]をいたしましたものか……私には、さっぱりとわかりかねます、牛堀先生」 「ごもっとも」  と、こたえるより仕方がなかった牛堀九万之助なのである。 「いや、わざわざ来て下されて恐れいりました。それで、わしも安心した。これよりは貴公も放念なさるがよいとおもうが……」 「はい。もとより、私の知ったことではありませぬが……なれど秋山さん。あの石山甚市は、これより、おとなしゅうなりましょうかな?」 「さて……」 「腰ぬけ侍をひどい目に合わせるほどのことならば、かまわぬことですが……」 「さようさ……」  秋山小兵衛は、黙念となった。  あのときの石山の、あの狂暴な所業。  狼《おおかみ》のごとく光っていた両眼《りょうめ》。  全身から噴き出す凄烈《せいれつ》の殺気。  心身の均衡が、いったん破れたときの人間の恐ろしさを、小兵衛は何度も見てきている。 (それに、彼奴《きゃつ》めは、独り法師なのじゃ。あの様子では、本多屋敷でも……いや、その前の藤堂家にいたときでも、人から好かれたことのない暮しを、ずっと長くしつづけてきたにちがいないわえ)  牛堀九万之助へ酒をすすめながら、小兵衛は、おもわず、嘆息を洩《も》らした。  九万之助が、盃《さかずき》の手をとめ、小兵衛を見まもっている。  庭で、か細い虫の声がしていた。  月のない夜である。      六  つぎの日から、 (はて……妙な……?)  秋山小兵衛は、隠宅を密《ひそ》かに窺《うかが》っているものの気配を感じた。  三日ほど、雨が降りつづいたのだが、その間にも、 (見張られているわえ……)  と、小兵衛は苦にがしげな顔つきになった。  姿は見えぬが、 (まさしく、石山|甚市《じんいち》……)  に、相違なかった。  雨があがると、小兵衛は、 「どうじゃ、おはる[#「おはる」に傍点]。久しぶりで関屋村へ行ってみようか」 「ほんとうかね、先生」 「そしてな、お前は、わしが迎えに行くまで実家《さと》に泊っているがよい」 「また、先生。何か、あったのだね?」 「そんなところじゃ」 「いやですよう、危ないまね[#「まね」に傍点]をしちゃあ……」  そういったが、このごろのおはるは、老夫の恐るべき手なみのほどを知りぬいているだけに、 (うち[#「うち」に傍点]の先生が、負けるはずはない……)  信じきっているようである。 「それとも、三冬にでも泊ってもらおうかな?」 「あれ、いけませんよう。それじゃあ若先生が、お気の毒ですよう」 「ならば、わしのいうとおりにしておくれ」  それでも、いくらかは不安そうに、おはるが小兵衛を見つめて、 「いつまで、実家に?」 「なあに、すぐにすむさ」  小兵衛は、その日、関屋村の百姓・岩五郎の許《もと》へ、おはるを預けに行った。  その行き帰りにも、気をつけていたが、この日は後をつけて来る様子もない。  日が暮れると、隠宅を窺う気配が絶える。 (いよいよ、石山じゃな……)  であった。  旗本の家来が、無断の夜歩きは許されるはずもないからだ。  おはるを実家へ送った夜ふけに、小兵衛は隠宅の戸締りをすませ、庭先の舟着きから小舟を出し、みずからこれをあやつって大川《おおかわ》をわたり、橋場《はしば》の船宿へ舟を預けておき、そのまま、何処《どこ》かへ消えた。  その翌日であった。  かれこれ、五ツ(午前八時)をまわっていたろう。  湯島天神下の本多|丹波守《たんばのかみ》屋敷の潜門《くぐりもん》から、石山甚市があらわれた。  今日も、晴れわたっている。  昨日も石山は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の小兵衛の隠宅を見張りに出かけたが、行ってみると戸締りがしてあり、老人も娘(石山の目には、おはるは小兵衛の娘としか映らなかった)も姿が見えぬ。  昼すぎまで、木の蔭《かげ》や葦《あし》の間に身をひそめて待ったが、二人とも帰って来ない。それで、本多屋敷へ帰って来たのだ。 (うぬ。外出《そとで》をしたのなら、おもいきって仕掛けてくれたものを……)  石山甚市は胸の内に、叫んだ。  しかし、その叫びは虚《うつ》ろなものであった。  隠宅に寝そべっている老人を斬《き》れないのだから、外へ出たところで斬り殪《たお》すことなど、できようはずがない。 (なんという、恐ろしい老人なのか……)  縁先で、ぼんやりと雨空をながめながら、煙草《たばこ》を吸っている老人の後姿を垣間見《かいまみ》つつ、何度、飛び出そうとしたか知れぬ。  だが、いけない。こちらが一歩、庭先へ踏み込んだが最後、老人は向き直るであろう。  そして、いかに速く、いかに凄《すさ》まじく、おのれの大刀を打ち込んでも、あの小さな老体に掠《かす》り傷ひとつ負わせることはできぬであろう。 (だが、おれはやる。きっと、あの老いぼれを仕止めてみせる!!)  石山が、小兵衛の隠宅を突きとめたのは、牛堀《うしぼり》道場を見張っていて、九万之助《くまのすけ》が小兵衛宅へおもむいた後を尾《つ》けたからである。 (牛堀も、仕止めてくれよう!!)  と、おもったが、これにも手が出ない。  牛堀九万之助は、土井屋敷に井口|主水《もんど》を訪れているし、これはまさに、自分の所業が井口の耳へつたえられたものと見てよかった。 (ええ、もう、勝手にしろ!!)  石山甚市は、自暴自棄になっていた。 (これだけ、世間から見捨てられたおれだ。このまま、いつまでも、このような暮しをしていられるものか。こうなれば、橋本先生|直伝《じきでん》の無敵流で、おもう存分に暴れまわり、狂い死《じに》に死んでくれるぞ!!)  その前に、何としても牛堀九万之助と、あの老人を打ち負かさねばならぬ。  石山甚市の父・甚兵衛《じんべえ》は、藤堂藩の鉄砲足軽であったが、 「お前だとて、立身の見込みがないわけではない」  と、甚市が八歳のころ、津城下の南東の岩田村にある円明寺《えんみょうじ》に棲《す》む橋本駒次郎《はしもとこまじろう》のもとへ預けた。  橋本駒次郎は無敵流の達人であると、石山甚市は信じてうたがわぬ。  父の甚兵衛が何故、世捨人同様だった橋本を知っていたのか……。  いつであったか、さびしげに微笑しつつ、橋本駒次郎が石山甚市に、こういったことがある。 「わしはな、お前の父《てて》ごに難を救われたことがある。むかし、流浪《るろう》の旅をつづけていて、塔世橋《とうせいばし》のたもとで、飢えて行き倒れていたところを父ごが助けて下されたのじゃ。なればこそ、父ごのたのみを断わり切れず、お前に剣術を仕込むことにした。さいわい、わしの病も大分によくなったことだし……なれど、いまの世に剣の道をきわめることが、果して立身の種になるものか、どうか……もっとも、人さまざまではあろうがな。ともすれば、ひとかどの剣士となることが却《かえ》って生涯《しょうがい》をあやまることになりかねることもないではない。この、わしのように、な……」  石山は、この師の手許《てもと》に十年いて、修行を積んだ。  円明寺の世話になっている師と共に、大日如来《だいにちにょらい》の本尊を安置した御堂《みどう》をまもりつつ、修行にはげんだのである。  橋本駒次郎が五十九歳で病歿《びょうぼつ》したのち、石山は父の許へ帰った。  二年後に、父も病歿した。  母は、石山が五歳の折に亡《な》くなっている。  石山甚市は、亡父の跡をつぎ、津藩の鉄砲足軽となったが、その剣名は、 「知る人ぞ知る……」  ものであった。  藩中の大半が、石山と立ち合って勝てない。  身分の低い者に負けた家臣たちの屈辱が、どんなかたちで石山甚市へはね[#「はね」に傍点]返って来たか、およそ知れよう。  鉄砲足軽になってからの、石山の数々の失敗は、いずれも上司たちの仕組んだものだったといえる。  そして結局、石山甚市は故郷の津城下から、江戸藩邸へ追いはらわれてしまうことになる。  上司の目を怖《おそ》れて、石山に近づく同僚もいなかった。三十に近くなって縁談もない。  日に日に遠ざけられ、疎《うと》まれて、石山甚市の青春は踏みにじられ、彼はいつも孤独であった。こういう若者が、どのように変形して行くか、それはくだくだしくのべるにもおよぶまい。  すべて原因は、身分の低い石山甚市が、 「強すぎた……」  からであった。  石山は、いまさらに亡師の言葉がおもい起された。  それだけに、江戸藩邸の足軽部屋で暮すようになった石山は、豊田孫左衛門《とよだまござえもん》が、 「お前は国もとから移って来たそうな。わしは一度も御城下を見たことがない。いろいろとはなしを聞きたいものじゃ」  わざわざ長屋へよびよせ、酒をふるまってくれて、津の城下の様子を語る石山の一語一語に、 「ほう……なるほど」  いちいちうなずき、妻女ともどもに聞き入ってくれた豊田孫左衛門なのである。  石山甚市の半生で、このようにあたたかな人のこころにふれたのは、亡父と恩師と豊田孫左衛門の三人のみといってよい。  豊田が、品川の御殿山で真下|半之助《はんのすけ》と立ち合ったとき、石山は、ひそかに豊田の後を尾けて行った。  斬り合いがはじまると、豊田はたちまちに斬り立てられた。  どう見ても、真下のほうが強い。  たまりかねて石山甚市が飛び出して行き、棍棒《こんぼう》で真下の大刀を叩《たた》き落し、 「さ、豊田様。早く、早く……」  と、叫んだ。  そのとき、真下が、 「おのれ、助太刀をたのんだのか!!」  豊田に向って激怒した。  もはや、いいわけは通らぬ。  豊田も逆上していた。石山の助勢を得て、夢中で斬りつけ、ようやくに真下半之助を殪したのである。 「豊田様。私は何も存じませぬ。よろしゅうございますか、私は何も見てはおりませぬ。何も存じませぬ」  いいおいて、石山甚市は走り去った。  豊田孫左衛門は、石山の言葉に従うことにした。 (石山の助太刀を申し立てれば、石山が、どのような苦難を受けるやも知れぬ……)  これが、豊田の自分自身への〔いいわけ〕であったのだ。      七  本多|丹波守《たんばのかみ》屋敷の潜門《くぐりもん》から外に出た石山|甚市《じんいち》は、下谷《したや》・御数寄屋町《おすきやちょう》の西側を池之端仲町《いけのはたなかちょう》へ出て、尚《なお》も真直《まっす》ぐにすすむ。  突き当りは、不忍池《しのばずのいけ》であった。  まだ、朝のことで、人通りもすくない。  石山は、ぼんやりと前方を見つめ、のろのろと歩んでいた。  仲町の通りを横切った石山が、不忍池沿いの道へ出ようとしたときだ。 「おい……」  ぽん[#「ぽん」に傍点]と、後ろから石山の肩をたたいたものがある。 「………?」  振り向いた石山甚市が立ちすくんだ。  あの、小さな老人が目の前に立っているではないか。 「どうした?」  と、秋山小兵衛が、石山の眼《め》をのぞきこむようにして、 「また、わしの隠宅へ見張りに行くところかえ?」  石山の顔色が青黒くなった。 「つまらぬことじゃ。そうはおもわぬか?」  小兵衛の声はおだやかで、何ともいえぬ優しさがこもっている。  石山は、声も出なかった。  わずかに頸《くび》をかしげて自分の顔を見上げている老人の双眸《そうぼう》には、嘘《うそ》も偽《いつわ》りもない真情がみなぎっている。  小柄《こがら》な体つきといい、いまこのとき、自分を見つめている眼の色といい、それはまさに、 (亡《な》き橋本|駒次郎《こまじろう》先生そのもの……)  と、いってよい。  仲町の通りから、この細道へ入って来た商家の女房を見て、秋山小兵衛が石山の背へ手をさしのべ、体の向きを変えさせた。  色を失って立ちすくんでいる石山を、通行の人が見て怪しむことを避けたのであろう。  石山と小兵衛は道行く人に背を向け、町家の側面の下見《したみ》を前に立つかたちとなった。 「浅草にな、わしのせがれが小さな道場をもっている。そこで、いっしょに稽古《けいこ》をしよう。どうじゃ?」  小兵衛は石山の右側に立ち、まだ左手を背中からはなさぬ。その指のぬくもり[#「ぬくもり」に傍点]が背中へつたわってきて、石山はうろたえながら、もはや、どうしようもなくなっていた。  飛びはなれて、抜き打つことも忘れ、ただ茫然《ぼうぜん》と立ちつくすのみであった。  江戸へ来て以来、他人から、このようなあつかいをうけたのは、豊田孫左衛門《とよだまござえもん》夫婦と、この老人のみなのである。 「わしといっしょに稽古をすると、おぬし、生き返るぞよ」  はっ[#「はっ」に傍点]と、石山が小兵衛を見やった。 「真の剣術というものはな、他人《ひと》を生かし、自分《おのれ》を生かすようにせねばならぬ。ちがうか……おぬしの師匠は、そのように申されなんだか?」  石山は、目をみはっている。  長い歳月の間、忘れ切ってしまっていた亡師の言葉が、はっきりと石山の脳裡《のうり》によみがえってきたからである。  病歿《びょうぼつ》する三年ほど前のことだが、橋本駒次郎は石山と共に円明寺の境内を掃き清めながら、小兵衛と同じようなことをいい、 「……そのことに、わしが気づいたのは、つい先ごろのことよ。気づいたときには、もはや、間に合わなんだ。わしが精魂をこめて教えた無敵流を生かすも殺すも、これからのお前にまかせるよりほかはないが、いずれにせよ、わしのような剣客《けんかく》になられては困る」  さらに、 「おのれの強さは他人に見せるものではない。おのれに見せるものよ。このことを、ゆめ忘れるな」  と、念を入れてくれたのだ。 「これ、石山どのよ」  と、老人の明るい声が、 「明朝、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の、わしのところへおいでなされ。それから、せがれの道場へ、いっしょにまいろう。どうじゃな?」  石山の顔には、すでに驚愕《きょうがく》と恐怖の色が消えていた。 「どうじゃ?」  わけも知らず、石山甚市の両眼が潤《うる》みかかってきた。 「おいでなされ。よいな?」 「あ……」 「わしの名は秋山小兵衛じゃ。では、待っているよ」  石山は、素直にうなずいてしまった。 「よし、よし」  軽く、撫《な》でるように、石山の背中をたたいてから、秋山小兵衛は御数寄屋町の方へ足を向けた。  仲町の通りを突切ったとき、小兵衛が振り向いて見ると、石山甚市は、まだ立ちつくしてい、こちらを見送っている。  小兵衛が手をあげ、わずかに振って見せた。  それにこたえて石山が、頭を下げる姿を、小兵衛はたしかに見た。 「これでよし、これでよし」  小兵衛の胸も、久しぶりに熱くなっている。 (やはり……やはり、こうしてみてよかったわえ)  石山甚市については、 「関《かか》わり合わぬほうがよい」  と、牛堀|九万之助《くまのすけ》にもいったし、自分も、そのつもりでいた小兵衛なのである。  しかし、あのときの石山の所業をおもうにつけて、捨ててはおけなくなってきた。  くわしい事情を知らぬ小兵衛だけに、 「諸方へ、どのような害をおよぼすか知れたものではない」  と、考えたからだ。  石山を成敗することなら、わけもないが、相手は浮浪人ではない。大身《たいしん》旗本の家来なのだ。  そこで、おはる[#「おはる」に傍点]を実家へ帰したあと、本多屋敷とは目と鼻の先の浅野|幸右衛門《こうえもん》旧宅へ泊り込み、取りあえず、傘《かさ》屋の徳次郎をよんで石山を見張らせることにした。  浅野旧宅へ泊った翌朝(今朝)に、傘徳を借りるため、四谷《よつや》の弥七《やしち》宅へおもむくつもりで、小兵衛は外へ出た。  車坂の駕籠《かご》屋から町駕籠に乗って行くつもりで、 (石山も、そろそろ、わしを見張りに鐘ヶ淵へ出かける時刻ではないかな……?)  通りがかりに、本多屋敷を窺《うかが》うと、ちょうどそのとき、石山甚市が潜門から路上へあらわれた。 (ほ……出て来た、出て来た。よし、今日は、わしが彼奴《きゃつ》めの後をつけてやろう)  と、尾行して行くうち、石山の、いかにも物寂しげな後姿に気づいて、 (これは……?)  小兵衛は意外におもった。  後姿は、別人のような石山であった。  人の本体は後姿にあらわれるというが、 (石山は、心が病んでいるのか……)  そこに、小兵衛は気づいた。  狂犬ではなかったのである。  声をかけてみる気になったのは、そのときであった。  小兵衛は浅野旧宅へもどり、子供たちに習字をさせている植村友之助《うえむらとものすけ》へ、 「わしは、今日、帰るよ」 「四、五日、お泊りではなかったので?」 「そのつもりじゃったが、急用をおもい出してな」 「これより、すぐに、お帰りでございますか、先生」 「いや、日が傾いてからのことさ。よし、よし。今日は、わしがお前の仕事を手伝ってやろう」  小兵衛も子供たちの中へ入り、習字を見てやることにした。  今日帰っても、おはるはいない。  そこで、夕暮れになってから此処《ここ》を出て、浅草・駒形堂《こまかたどう》裏の〔元長《もとちょう》〕へ行き、酒をのみ、腹ごしらえをしてから、駕籠を呼んでもらい、隠宅へ帰るつもりになったのである。  ちょうど、そのころ……。  本多丹波守屋敷へ、井口|主水《もんど》の使いの者があらわれ、門番に、こういった。 「この主人《あるじ》の書状を、御当家の豊田孫左衛門様へおわたし願います。御返事はいらぬとのことでござる」      八  石山|甚市《じんいち》が、上野山内の清水|観音堂《かんのんどう》の楼上から立ちあがって、帰途についたのは、その日の七ツ(午後四時)ごろであったろうか。  あの老人を見送ったのち、石山は不忍池《しのばずのいけ》から上野山内へ入り、其処此処《そこここ》に腰をおろしたり佇《たたず》んだりしながら、時間《とき》をすごした。  何も食べず、何も飲まずに、高く澄み切った空をながめているうち、四|刻《とき》(八時間)に近い時間がすぎてしまったのだ。 (橋本|駒次郎《こまじろう》先生も、お若いころには、きっと、おれのような境遇だったのではないだろうか……?)  そのことが、しきりと想《おも》われてならぬ。  亡師の過去について何一つ知らぬ石山であったが、今朝、秋山小兵衛と出合い、言葉をかけられてより、いまの自分の姿と若き日の橋本駒次郎とが、ぴたりと一つに重なってしまったのだ。 (ああ、おれは何というやつだったのか……あの秋山老人を斬《き》るつもりでいたのだからな。おもえば恐ろしい……)  ともかくも石山は、明朝、鐘《かね》ヶ淵《ふち》へ秋山小兵衛を訪ねるつもりでいた。  それもまた、小兵衛の姿に、亡師の面影《おもかげ》を看《み》たからであった。  不忍池の彼方《かなた》の、本郷の台地に日がかたむき、夕空に雁《かり》が渡っている。  石山甚市が、本多屋敷へもどったとき、まだ、夕闇《ゆうやみ》は淡かった。  潜門《くぐりもん》から邸内へ入ると、門番の足軽が、さも面倒くさそうに、 「豊田《とよだ》様が、お待ちかねです」  と、いう。 「私を?」  返事はない。一つ、うなずいただけで、門番は向うへ行ってしまった。  いつものことだが、石山はむっ[#「むっ」に傍点]となり、その怒りに堪《た》えた。  豊田の長屋へ行くと、妻女が玄関へ出て来て、石山を睨《にら》み据《す》えた。 「………?」  どうもわからぬ。  ちかごろ、自分が豊田夫妻の〔もてあましもの〕になっていることは自覚していたけれども、妻女が、このような憎しみを露骨に見せたことは、はじめてであった。  いつもなら「お上りなさい」というのに、妻女は何もいわず、奥へ入ってしまった。  入れちがいに、豊田|孫左衛門《まござえもん》がつかつか[#「つかつか」に傍点]と玄関へあらわれ、手にした分厚い書状を石山に突きつけ、 「読んでみるがよい」  と、いった。  その声にも、憎しみがこもっている。かつてないことではある。 「読め」 「は……」 「早く、読まぬか」  声が、刺《とげ》とげしい。  書状は、豊田の義兄で、土井|能登守《のとのかみ》に仕えている井口|主水《もんど》からのものだ。  その内容を、のべるにもおよぶまい。  石山甚市の、牛堀《うしぼり》道場における無礼な振舞いと、秋山小兵衛に目撃された一件がしたためられてあり、井口は、 「まことにもって、自分は面目を失った」  と、書いてよこした。 「さいわい、秋山・牛堀両先生は事件《こと》を内聞にとどめておいて下さるとのことゆえ、向後、二度と石山があやまちをおかさぬよう、きびしく叱責《しっせき》してもらいたい」  と、井口はいっている。  手紙を読み終え、うつむいたままで巻きおさめ、おそるおそる顔をあげた石山甚市の手から、豊田孫左衛門が書状を引手繰り、ふところから袱紗《ふくさ》に包んだ金包みを出して、式台へ置き、 「その金を持って、御当家を立ち去れ」  と、いった。  豊田は顔面|蒼白《そうはく》となり、唇《くち》のあたりがふるえている。  豊田が激怒するのは当然であるとおもいつつも、石山は、やはり、平静な気もちにはなれなかった。 (物には、いいようがある。五年前のあのとき、おれが助太刀をしなかったなら、豊田様は真下|半之助《はんのすけ》に斬り殺されていたはずではないか……)  このことであった。  豊田が、おだやかに「こうなっては仕方もない。当家を退身してくれぬか……」と、たのむようにいったならば、おそらく石山は前非をみとめ、おとなしく本多屋敷を去ったろう。  だが、豊田孫左衛門にしてみれば、自分が連れて来た石山のために、ずいぶんと、 「肩身のせまいおもいを……」  していたのである。  自分が殿様の気に入られているだけに、それは尚更《なおさら》のことだ。豊田も豊田なりに堪えていた。なればこそ、石山を牛堀道場へ通わせ、すぐれた師の感化をうけさせたなら、いくぶんは、 「ちがってこよう」  と考え、そのように取りはからったのだ。  その親切を、石山は踏みにじってしまったのだから、豊田が激昂《げっこう》したのもむり[#「むり」に傍点]はないといえよう。豊田は豊田で、果し合いのときの負い目があればこそ、これまで石山の面倒を見つづけてきたのだ。 「さ、立ち去れ」 「いまの私は、あなたさまに仕えているのではござらぬ。本多|丹波守《たんばのかみ》様に仕えております。あなたさまの御指図によって御当家を去るわけにはまいりませぬ」  と、石山がいった。 「何……なれば、この手紙を殿へごらんに入れてもよいのか」 「かまいませぬ」 「立ち去れ!!」  石山甚市が、豊田孫左衛門を凄《すさ》まじい目つきで睨み、 「金はいらぬ!!」  叫ぶや、玄関の戸を引き開け、外の通路へ出た。  行きがかりで豊田に反抗をしたけれども、自分の所業の結果がこうなることは、予期せぬことでもなかったのだ。  石山は唇をかみしめ、通路に立ったまま深く呼吸をし、懸命に自分の昂奮《こうふん》を鎮《しず》めている。自分の部屋へ行き、手まわりの品を持って、この屋敷を出て行くつもりになっていたのだ。  そのとき、通路の向うの内塀《うちべい》を曲ってあらわれた二人の家来が、石山を見て立ちどまり、こそこそと耳打ちをし、ついで笑いをかみころしつつ、こちらへやって来た。  石山は、それと気づき、二人に顔をそ[#「そ」に傍点]向けるようにして擦れちがい、内塀を曲った。  そのとき、二人の家来が聞えよがしにいう言葉が、石山の耳へ入った。 「溝鼠《どぶねずみ》が一匹いると、御屋敷内が臭くてかなわぬ」 「ほれ見よ。わしの鼻も、こんなに曲ってしもうたぞ」  くるり[#「くるり」に傍点]と、石山の体が反転した。  押えに押えていたものが、石山の体内で弾《はじ》け散った。  通路を曲った石山甚市が腰の大刀を引きぬきざま、走り寄って来るのを見て、二人の家来が、 「な、何をする……」 「あ、あっ……」  逃げようとするのへ、物もいわずに石山が大刀を揮《ふる》った。  一人は頸《くび》を、一人は頬《ほお》から喉《のど》もとへかけて深ぶかと切り裂かれ、悲鳴をあげ、転げ倒れた。  二人とも、腰の小刀の柄《つか》へは手もかけなかった。  石山甚市は倒れた二人へ、つぎつぎに、止《とど》めの切先《きっさき》を刺し通した。  殺害《せつがい》された家来たちの悲鳴を耳にした豊田孫左衛門が、長屋から走り出て来て、このありさまを見るや、声もなく立ち竦《すく》んだ。  返り血を浴びた石山甚市の形相は、まさに、この世のものともおもわれぬ。  石山は、じろりと豊田を見て何かいいかけたが、烈《はげ》しくかぶり[#「かぶり」に傍点]を振り、身を返して通路を走り出した。  どこかで、女の叫びが聞えた。家来の家族が通路へ出て見て、驚愕《きょうがく》したらしい。  石山は、通路を左へ折れた。  そのとき、表門へ通ずる内塀の通用門から中小姓の小林太兵衛《こばやしたへえ》が入って来て、石山とばったり顔を合わせた。 「あっ……」  おどろく小林を、石山が横なぐりに斬り払った。  内塀に血がしぶいた。  横に切り割られた小林の顔は、石榴《ざくろ》の実のようになり、悲鳴もあげぬまま転倒している。 「逃《のが》すな。石山を逃してはならぬぞ!!」  何処《どこ》かで、そう叫ぶ声がした。  屋敷内が、騒然となった。  そのころ……。  秋山小兵衛は、浅野旧宅を出た。 「その辺りまで、お見送り申しましょう」  と、植村|友之助《とものすけ》が提灯《ちょうちん》に火を入れ、小兵衛の先に立った。  二人が坂道を東へ下りつつあるとき、異様なざわめきが起り、すぐ近くの辻《つじ》番所の番人が二人、突棒《つくぼう》と刺股《さすまた》を掴《つか》んで走って行くのが見えた。 「きゃあっ……」  向うの道で、魂消《たまぎ》るような女の悲鳴があがった。 「先生。何事でございましょうか?」 「はて……?」  小兵衛の胸が高鳴りはじめた。  本多丹波守屋敷は、坂を下りて、道を右へ曲って少し行った左側にある。  夕闇が、濃くなってきていた。  おもわず、秋山小兵衛が坂道を駆け下った。その眼前を突風のように走りぬけて行ったものがある。  石山|甚市《じんいち》であった。 「あっ……」  さすがの小兵衛が声をあげたとき、本多屋敷から出た追手が十数人、槍《やり》や刀を閃《ひらめ》かせ、これも眼前の道を右から左へ駆けぬけた。  八千石の面目にかけても、本多家が屋敷内から出た凶漢の始末をせねばならぬのは当然であった。それでないと幕府から、どのような咎《とが》めを受けるか知れたものではない。  このときまでに石山甚市は、本多屋敷内で家来三名と門番二名を斬り殪《たお》し、潜門から路上へ出て、辻番の番人一人と、通りかかった町家の女房一人に傷を負わせていた。  石山甚市は、小笠原《おがさわら》某邸の角を左へ曲った。この細い道の突き当りは、湯島天神の男坂で、そのあたりに軒をつらねている料理茶屋や茶店から出て来た客が、白刃を振り翳《かざ》し、走り寄って来る乱髪血まみれの漢《おとこ》を見て、 「わあ……危ない……」 「逃げろ、早く……」  あわてふためき、男坂を天神境内へ逃げ込もうとする。  その中から一人、羽織をぬぎ捨てた侍が大刀を抜きはらい、石山の前へ立ちふさがった。腕におぼえがあるらしい。 「乱心者。成敗してくれる!!」  叫んだ侍が刀を正眼に構えた、その真正面から、石山が、 「ぎゃあっ!!」  獣《けもの》のような喚《おめ》き声をあげて躍りかかった。 「ぬ……」  迎え撃たんとして刀身をあげた侍の胸へ、石山の体が打ち当った。  この猛烈な体当りで、はね飛ばされた侍が、くだけた腰を据え直し、辛《かろ》うじて放《ほう》り落さなかった刀の柄《つか》を掴みしめたとき、 「たあっ!!」  石山甚市の刀が、侍の脳天へ打ち込まれた。  血けむりをあげ、絶叫を発して仰向《あおむ》けに倒れた侍には見向きもせず、石山は坂下町の路地へ駆け入り、突き当りの町家の戸を蹴破《けやぶ》って中へ飛び込んだものである。  秋山小兵衛と植村友之助が、その場へ駆けつけたとき、本多丹波守の家来たちが三方の路地口を塞《ふさ》いでいたが、すぐさま、石山が待ち構えている町家の中へ飛び込みかねている。  これまでの石山甚市の、恐るべき殺刀の冴《さ》えを見ているだけに、彼らは手足が疎みきってしまっていた。  しかし、このまま取り囲んでいるだけでは埒《らち》があかぬ。  ぐずぐずしていると、他家からも人が出て来ようし、警吏も駆けつけて来て、本多家の不始末が層倍のものとなってしまうのだ。 「早く……早く何とかせぬと……」 「だが、町家の中には人がいる。うかつ[#「うかつ」に傍点]に飛び込んで、石山に暴れられたら、無辜《むこ》の町民に害をおよぼすことになるぞ」 「む、いかにも……」 「いま少し、助勢を……」  などと、ささやき合っているばかりなのである。  たまりかねて、秋山小兵衛がすすみ出た。 「何をしておられる。早《はよ》う取り押えるなり、斬《き》って捨てるなりなさらぬと、大変なことになりますぞ」  家来たちは、小兵衛を睨《にら》みつけ、 「うるさい!!」 「引っ込んでおれ」  怒鳴りつけて来た。  小兵衛は呆《あき》れ顔になったが、すっと[#「すっと」に傍点]、彼らの間を通りぬけ、単身、件《くだん》の町家の前へすすみ、 「石山甚市よ。わしは秋山小兵衛じゃ。おぼえておるか?」  こたえはない。 「刀を捨てて、出てまいれ」  家の中で、火がつくように赤子《あかご》が泣いている。 「石山。さ、早く出て来ぬか」 「秋山、先生……」  戸の向うから、しわがれた石山の声がした。 「おお。ここにいるぞ。何じゃ?」 「一手の、御指南を、御願い申す」 「よし。相手になろう」  微《かす》かに残っている夕明りの中で、小兵衛が、しずかに藤原国助《ふじわらくにすけ》の一刀を抜き放つ姿を見て、路地口に詰めかけた本多の家来たちも、植村友之助も息をのんだ。  戸が開き、幽鬼のような石山甚市があらわれた。  石山は小兵衛に一礼してから、血脂《ちあぶら》がこびりついた大刀を正眼に構えた。  小兵衛は下段。  気合声もなく、石山が打ち込んだ。  刃と刃が噛《か》み合って火花を散らし、せまい路地に飛びちがった二人が、ぱっと向き直って、 「や、やあっ!!」  石山甚市が突き入れた一刀を打ち払いざま、秋山小兵衛は石山の胸元へ颯《さっ》と身を寄せた。 「む!!」  飛びはなれて、刀を振りかぶった石山の前を、小兵衛の体が燕《つばめ》のごとく過《よぎ》った。 「う……」  顎《あご》を切り割られてよろめく石山へ、小兵衛が二の太刀を揮った。  石山の手から刀が落ち、くたくた[#「くたくた」に傍点]と膝《ひざ》をつき、そのまま前のめりに倒れ伏した。  植村友之助が走り寄って来た。  小兵衛は、ぬぐいをかけた刀を鞘《さや》におさめ、石山を抱き起した。  すでに石山は、息絶えている。  その死体を仰向けに寝かせた小兵衛が、ふところから手ぬぐいを出し、死顔の血と泥《どろ》をふきとってやった。 「……一足《ひとあし》、声をかけてやるのが遅かったか……」  と、つぶやく師の声を、友之助はたしかに聞いた。  友之助が差し寄せている提灯のあかりをうけて、闇《やみ》に浮きあがった石山甚市の死顔は、いまや静謐《せいひつ》な幽冥《ゆうめい》の世界へ辿《たど》り着いたらしく、 (これが、あの石山の顔なのか……?)  と、おもうほどに、おだやかで美しく、まるで童児《こども》のような相貌《そうぼう》に変りつつあった。 「これが、ほんとうの、こやつの顔じゃ」  秋山小兵衛が身を起して、また、つぶやいた。     仁三郎《にさぶろう》の顔      一  その日。  傘《かさ》屋の徳次郎は、めずらしく熱を出し、前夜から寝床にもぐり込んだきりで、 「ねえ、お前。仲町《なかまち》の幸庵《こうあん》先生に来てもらおうか」  女房のおせき[#「おせき」に傍点]が、いくらすすめても、 「医者の面《つら》を見たら、尚更《なおさら》に熱が上る。なあに、大《てえ》したことはねえから放《ほう》っておけ」  と、薬ものまずに眠りつづけていたのだ。  昼すぎになって目ざめると、朝からの雨の音が、まだ、小さな部屋にこもっている。 (ああ、もう、これじゃあ仕方がねえ。四谷《よつや》の親分のところへ顔出しに行くのも勘弁してもらおうか……)  くさくさ[#「くさくさ」に傍点]して、また、目を閉じた徳次郎へ、店にいたおせきが障子ごしに、 「ちょいと……ちょいとお前。起きているかえ?」  声をかけてよこした。  徳次郎は、内藤新宿《ないとうしんじゅく》の下町で傘屋をしているが、いまは、店を女房にまかせ、もっぱら、四谷・伝馬町《てんまちょう》の御用聞き・弥七《やしち》の手先をつとめている。  夫婦ふたりだけの暮しで、傘や雨合羽《あまがっぱ》・笠《かさ》などをならべた店の奥に一間《ひとま》あるきりの小さな家だから、障子で仕切られてはいても、夫婦が同じ部屋にいるも同然なのである。 「ちょいと、聞いているのかよ」  おせきの声が妙に緊迫しているのに、徳次郎は気づいた。 「何だ?」 「いまね。大宗寺さまの横丁のあたりを、妙な男が行ったり来たりしているのだよ」 「妙な男?」 「いつか一度、お前がうち[#「うち」に傍点]へ連れて来たことのある男さ。ほら、左腕が肘《ひじ》のところから無《ね》え男で……」 「岩戸《いわと》の繁蔵《しげぞう》だな……」 「そうそう……」 「ふうむ……」 「こっちをね、ちらちら[#「ちらちら」に傍点]と見ているのだよ。どうするえ?」 「どんな恰好《かっこう》をしている?」 「裾《すそ》を端折《はしょ》って、番傘をさして……それでも、あんまり見窄《みすぼ》らしい様子じゃあねえようだけれど……」 「そうか、ふうん……」 「どうするよ?」  新宿の女郎あがりのおせきだけに、三十八にもなったいまは、まるで男の言葉づかいだ。 「きっと、繁蔵は、おれに用があるのだろう。店に、お前がひとりきりだものだから、遠慮をしているにちげえねえ」 「あいつは、悪《わる》なんだろう?」 「おれにとっちゃあ、悪じゃあねえ」 「悪も、使いようだからね」 「そのとおりだ」 「その証拠が、いま熱を出して、そこに寝ていらあ」 「ばか。つまらねえことをいうな。外へ出て、だれにもわからねえように、繁蔵を裏口から連れて来い」 「あいよ」  外へ出て行く女房の気配をたしかめてから、徳次郎は起きて蒲団《ふとん》をたたみ、小窓を開け、風を通した。  路地裏の柿《かき》の木の葉が黄ばんできて、冷たい雨に打ちたたかれている。  徳次郎は何となく心細いおもいがした。 (繁蔵は、どんな種《ねた》をもって来やがったのだろう……?)  裏の戸が開き、おせきの声がした。 「さあ、おあがんなさい。何もお前さん、遠慮することはなかったのに……」 「おかみさん。相すみません」  以前のままの、やさしげな細い声で、繁蔵が、 「親方は、どちらに?」 「どちらにってお前さん。寝る場所は一つしかありませんのさ」  障子を開けて、繁蔵を中へ入れたおせきが徳次郎へ、 「客が来たら声をかけとくれよ。いま、この人に一本つけてあげるから……」 「よし。ついでに、おれも飲《や》ろう」 「大丈夫かい、熱があるってのに……」 「卵酒にしてくれ」 「なるほど、考えたものだ」  障子が閉り、おせきは台所に残った。 「親方……すっかり御無沙汰《ごぶさた》をしてしめえまして……」  酒と博奕《ばくち》の疲れが、岩戸の繁蔵の浮腫《むく》んだ顔に青ぐろく浮いて見える。 「そんなことはどうでもいい。何か、聞き込んだことでもあるのか?」  繁蔵は、生涯《しょうがい》、博奕からはなれられない男なのだろうが、傘屋の徳次郎には弱味をつかまれてい、それを徳次郎が表沙汰《おもてざた》にしないかわりに、耳へはさんだ犯罪の匂《にお》いを徳次郎へ運んで来てくれる。いえば徳次郎の情報網の一つだといってよい。 「四谷の親分は、お変りもござんせんか?」 「ああ、お達者にしていなさる」 「親方……」 「どうした?」 「黒羽《くろばね》の仁三郎が、江戸へ帰《けえ》ってめえりましたよ」 「何だと……」  台所で、おせきがたてていた物音も、ぴたり[#「ぴたり」に傍点]と熄《や》んだ。 「お前、見たのか?」 「いいえ。あっしの友だちが見たんだそうで……」 「どこで?」 「入谷《いりや》の松平さまのお下《しも》屋敷なんで……」  大名の下屋敷内の中間部屋が、夜ともなれば〔博奕場〕に変ることなど、いまや、めずらしくも何ともない世の中なのだ。 「いうことは、それだけか?」 「へえ……」  うなずいた徳次郎は、一分金《いちぶきん》を出して来て紙に包み、繁蔵の前へ置き、 「取っておきねえ。よく知らせてくれた。ありがとうよ。さ、遠慮はいらねえ。取っておいてくれ」 「それじゃあ、ちょうだい、いたしますでござんす」 「おせき。酒はまだか?」 「いえ親方。とんでもねえ、私はこれで、ごめんをこうむります」  繁蔵は立ちあがり、そそくさ[#「そそくさ」に傍点]と裏口から帰って行った。  強《し》いて、それをとどめる気にもなれず、徳次郎は腕を組んでしまった。  おせきが台所から入って来て、盆《ぼん》の上の卵酒の湯のみ茶わんを、黙って徳次郎の前へ置いた。  雨の音が強くなってきた。 「おせき、仕度をしてくれ」 「どこへ行くのだえ?」 「どこでもいい」 「うっかり外へは出られねえよ、黒羽の仁三郎が帰って来たからには……」 「おれよりも、佐平《さへい》さんのほうだ」  そういって徳次郎は、茶わんを手に取り、ふうふう[#「ふうふう」に傍点]いいながら卵酒を啜《すす》りはじめた。  その顔を、やや蒼《あお》ざめたおせきが凝《じっ》と見つめている。      二  傘屋の徳次郎は、これまでに人をひとり、殺《あや》めていた。  それはまだ、四谷《よつや》の弥七《やしち》の下で、 「お上《かみ》の御用……」  の、手先となってはたらく以前のことで、殺めた相手は無宿の破落戸《ならずもの》だ。千駄《せんだ》ヶ谷《や》の戸田越前守《とだえちぜんのかみ》・下屋敷の中間部屋で博奕《ばくち》を打っていて喧嘩《けんか》になり、いったんはおさまったが、戸田屋敷を出た徳次郎を待ちうけていたそやつ[#「そやつ」に傍点]は、千駄ヶ谷の畑の中へ徳次郎をさそいこみ、いきなり、短刀《あいくち》を突っかけてきた。  夢中になって防ぎ、組み合って転げまわり、徳次郎が気づいたときには、いつの間にか相手の短刀が自分の手に移ってい、それが相手の胸下へ突き込まれていたのだ。  そのころの徳次郎は、まだ、おせき[#「おせき」に傍点]を女房にしていなかったし、親もきょうだい[#「きょうだい」に傍点]もない独り暮しだったので、いさぎよく、四谷の弥七のところへ自首して出た。  弥七は、徳次郎の神妙な様子を見きわめてから、 「御縄《おなわ》はかけねえ。そのかわり、おれといっしょに、お上の御用にはたらいてみる気はねえか。人ひとり殺めた罪ほろぼしに、いのちがけではたらいてみる気なら、今度だけは目をつぶってやろう」  と、いった。  そのころ弥七は、佐平という中年の手先をつかっていた。佐平は、弥七の家でもあり、弥七の女房おみね[#「おみね」に傍点]が経営している料理屋でもある〔武蔵屋《むさしや》〕に住みついていたのである。 「お前さんが来てくれて、親分もおれも大助かりだよ、徳さん。おれはね、もう年齢《とし》をくっているし、体も丈夫ではねえので、いずれ、はたらけなくなる。徳さん。おれはね、二人も殺《や》っているのさ。殺った相手は、殺られたほうが世の中の助けになるようなやつらばかりだったが……でも、おれは、うち[#「うち」に傍点]の親分のところへ名乗って出たのだよ。お前さんと、そっくりなのさ」  と、佐平はいった。  四谷の弥七の下ではたらいている密偵《てさき》の中には、それぞれの職業をもち、それでいて耳にはさんだ情報を弥七の許《もと》へ届けてくるものもいるし、佐平や徳次郎のように、博奕場や悪所へ出入りをして危ない目にあいながら情報を得たり、親分の弥七と共に探索をしたり、いざともなれば捕物の場へも飛び込んで行くものもいる。  弥七のような御用聞きは、町奉行所の手先となってはたらくわけだが、直接に奉行所へ所属しているのではなく、どこまでも八丁堀《はっちょうぼり》(与力《よりき》・同心)の下部組織として活動をする。  したがって、お上からの手当といってもわずかなものだし、到底、それだけで暮して行けるわけがない。まして、御用聞き自身が何人かの手先をはたらかせるとなると、相当に入費がかかるのだ。  それだけに、十手《じって》にもの[#「もの」に傍点]をいわせ、蔭《かげ》へまわって悪辣《あくらつ》なまね[#「まね」に傍点]をする御用聞きが近年は増えるばかりだという。  受けもちの町々にある商家へ出入りをして、手当をもらっている御用聞きなどは、まだ、よいほうなのだ。  そこへ行くと弥七の場合は、女房に料理屋をやらせていて、暮しには困らぬし、手先の面倒を見てやることもできるし、当然、土地《ところ》の人望も厚くなるわけであった。  さて……。  四年ほど前のことだが、四谷の本村町《ほんむらちょう》の小間物屋〔近江屋嘉兵衛《おうみやかへえ》〕方へ押し入った五人組の強盗が、家族と奉公人を合わせて五人を殺害《せつがい》し、金三百両を奪い、姿をくらますという事件があった。  その手口は乱暴をきわめたもので、盗みを専門にしている連中の仕わざともおもえなかった。  四谷の弥七は、自分の縄張り内のことでもあり、すぐさま探索にかかった。  そのときに、手先の佐平が、 「ちょいと、こころ当りがあります」  と、いい、諸方の博奕場をまわりはじめた。  佐平の過去は、 「暗いもの……」  であっただけに、種々雑多な「悪いやつら」があつまる場所へ出入りをしても、これが御用聞きの手先にはたらいているとは、だれも気づいていない。  佐平は、ついに、麻布《あざぶ》の阿部播磨守《あべはりまのかみ》・下屋敷の中間部屋で博奕を打っている目ざす相手を見つけ出した。  そやつが、黒羽の寅吉《とらきち》であった。 「おう、めずらしいな、佐平どん。ずいぶん会わなかったが達者でいたかえ」  と、寅吉が声をかけてよこした。  以前、佐平は寅吉にさそわれ、二度ほど悪事をはたらいたことがあったので、寅吉も気をゆるしていたのであろう。  阿部屋敷を出てから、二人して酒をのんだ。 「おれもなあ、ちかごろは手っ取り早い稼《かせ》ぎのほうがおもしろくなってきてな」  寅吉は、そういった。  佐平は、ぬかりなく調子を合わせ、寅吉が、弟の仁三郎《にさぶろう》ほか三人の悪どもと近江屋へ押し込んだことを聞き出した。 「佐平どんよ。お前《めえ》のように才覚のきいた仲間がほしいのだ。前にも、何度かさそい[#「さそい」に傍点]をかけたが、お前は血の匂《にお》いを嗅《か》ぐのが嫌《いや》だといって断わったな。いまも、そうか?」 「いや……そうでもねえ」 「ほほう……」 「そんなことをいってもいられねえしな」 「そうよ。そのとおりだ。それじゃあ、お前、おれと弟の仁三《にさ》を助けてくれるか、どうだ?」 「む……やってもいい」 「こいつは、いい人にめぐり合ったものだ」  寅吉は上機嫌《じょうきげん》となり、その夜のうちに、佐平を自分たちの隠れ家《が》へ案内したのである。  隠れ家は、同じ麻布の北日《きたひ》ヶ窪《くぼ》にある中二階の仕舞屋《しもたや》で、そこに寅吉と情婦《おんな》、弟の仁三郎が住み隠れていた。  七日後の夜に、寅吉の仲間三人が寄り集まったところを、同心・永山精之助《ながやませいのすけ》ひきいる捕方十名と、四谷の弥七、徳次郎も加わり、佐平の手引きによって隠れ家を取り巻き、 「それっ……」  と、打ち込んだ。  悪どもの抵抗は非常に激しく、捕方五名が負傷し、二名が死んだけれども、一味五名のうち四名を捕えることができた。  残る一名、これこそ寅吉の弟の仁三郎で、 「畜生め。裏切った佐平の首を取りに、きっと帰って来るぞ」  と叫び、仁三郎は屋根から屋根へ、|[#「」は「鼠+吾」第4水準2-94-68、DFパブリW5D外字="#F96B"]《むささび》のごとく飛んで逃げ去ったのであった。  寅吉一味と情婦は、死罪となった。  佐平が、四谷の弥七の許を去ったのは、それから間もなくのことだ。  佐平には心ノ臓の持病があって、四十をこえてからは見ていても苦しそうで、当人よりも弥七夫婦が心配をし、 「もう、この辺で落ちつきねえ」  弥七は、浅草の今戸八幡《いまどはちまん》前に小さな茶店を買ってやり、佐平にあたえた。  そこで佐平は、江戸からも近い丸子《まりこ》(現・川崎市)の妹の家にあずけておいた一人むすめのお幸《こう》を引き取り、茶店のあるじになった。  いまは、丸子出身の助次郎というのをお幸の亭主に迎え、これに茶店をまかせ、五十一歳の佐平は、のんびりと日を送っている。二年前に女の子の孫もできたそうな。  傘屋の徳次郎は雨の中を、四谷・伝馬町《てんまちょう》の弥七の家へ向った。  着いてみると、弥七は、 「八丁堀の永山さんの旦那《だんな》によばれて出かけました」  とのことだし、女房おみね[#「おみね」に傍点]は同業の寄り合いがあって、これも他行中《たぎょうちゅう》だという。 「そうか……」  しばらく考え込んでいた傘徳が、 「おきよ[#「おきよ」に傍点]さん、硯箱《あたりばこ》をくんねえ」  顔なじみの女中にたのみ、筆をなめなめ、釘《くぎ》が折れ曲ったような字を半紙へしたためた。つぎのごとくだ。 [#ここから2字下げ] くろばねの仁さがけえってきました これから、さ平さんのところへ しらせにいきます [#ここで字下げ終わり]  書いたものを細く折って結び文にしたのをおきよへわたし、 「こいつを、親分でも、おかみさんでもいいから、忘れずにわたしておくれ。いいかえ」 「へい、よござんす」 「じゃあ、これで……」 「徳さん。顔色がよくないようだけれど……」 「いや、なんでもねえ」  徳次郎は武蔵屋を出た。  雨が、いくらか小止《こや》みになってきている。  黒羽《くろばね》の仁三郎は、いま、三十を一つ二つこえたところであろう。  苦味ばしって、精悍《せいかん》で、すばしこい仁三郎が慣れきった手さばきで短刀を揮《ふる》い、 「さあ、畜生め。来やがれ、来やがれ!!」  喚《わめ》きつつ、捕方を突きまくり、切りはらっていたあの夜[#「あの夜」に傍点]の凄《すさ》まじい姿が徳次郎の脳裡《のうり》へこびりついてはなれない。  それに引きかえ、ちかごろはめっきりと更《ふ》けこんでしまい、肥えた体をもてあますようにしながら、それでも倖《しあわ》せそうに目を細め、孫とあそんでいる佐平はどうだ。  仁三郎が襲いかかって来たら、 (ひとたまりもねえ……)  に、きまっている。 (きっと仁三のやつは、佐平さんを殺しに来る。間ちげえねえ、きっと来る……)  道を急ぐ徳次郎は発熱の苦しさを、まったく忘れきっており、目が血走っていた。  ちょうど、そのころ……。  黒羽の仁三郎は、今戸の、佐平の茶店を目ざし、浅草御門外へ姿をあらわしていた。  仁三郎が江戸へもどって来たのは、六日ほど前である。  江戸にいる仲間が、 「もう、ほとぼりもさめたようだから帰って来い。それに、お前が探している密偵《いぬ》の佐平の居所もわかった」  と、知らせてよこしたからだ。  今戸八幡前の茶店の隠居におさまっている佐平の姿を見たこやつ[#「こやつ」に傍点]は、忍川《おしかわ》の為造《ためぞう》という男で、獄門にかかった仁三郎の兄・黒羽の寅吉とは諸方の博奕場《ばくちば》で知り合い、三度ほど、小さな盗みを寅吉といっしょにしたこともある。  四年前の、あの夜に、麻布の阿部播磨守・下屋敷の博奕場で、寅吉と佐平が再会したとき、忍川の為造はすこしはなれたところから二人を見ていたのだ。 「あいつは佐平といって、なかなか、しっかりした男なのだ。これから、おれの下ではたらいてくれることになった」  と、つぎの夜、阿部屋敷の中間部屋で、寅吉が為造にいった。 「大丈夫《でえじょうぶ》かえ。お前さんは、やたらに新手《あらて》をほしがるから、あぶなくって見ていられねえ」 「なあに為造。おれの目に狂いはねえのだ。それよりもどうだ。半年ほどしたら、もう一つ、押し込む先を決めてあるのだが、一枚乗らねえか?」 「そうさな……ま、すこし、やすませてもらおうよ。まだ、この前のときの血の匂いが消えていねえからな」  と、為造は手指を嗅《か》ぐ仕ぐさをしてみせたものである。  そうしたわけで、その日、新吉原《しんよしわら》からの朝帰りに今戸へ出て来た忍川の為造が、今戸橋をわたって行く老爺《ろうや》をひょいと見て、 (あっ……あの爺《じじ》い、たしかに、寅吉を売った野郎だ)  佐平がすこしも気づかず、今戸八幡前の我が家へ入って行くのを、為造はたしかに見とどけた。 「佐平のほかには、若《わけ》え夫婦者に、赤ン坊が一つ。お前の邪魔になるようなものはだれもいねえぜ」  と、江戸へ姿をあらわした黒羽の仁三郎へ、為造が、 「ともかくも、お上の密偵《いぬ》はゆるしておけねえ。死んだ兄貴の恨みをはらしてやれ」 「すまなかったね、為造さん。これで兄貴も浮ばれようよ」      三  江戸へもどって以来、黒羽《くろばね》の仁三郎《にさぶろう》は、佐久間町四丁目の小さな旅籠《はたご》に泊っていたので、神田川《かんだがわ》に沿った道を真直《まっす》ぐに、浅草御門外まで来たのである。  仁三郎は旅仕度をしていた。  小さな荷物を背負い、その上から雨合羽《あまがっぱ》をつけて、笠《かさ》をかぶり、草鞋《わらじ》ばきであった。  これまでに何度も、佐平の茶店を探って、 (いまの佐平は、密偵の足を洗ったようだ……)  と、見きわめをつけている。  そこへ、今日の雨だ。  雨の日には、茶店へ入る客足も途絶えるが道理で、したがって佐平を殺害する自分も人の目につかぬ。  客をよそおい、茶店へ乗り込んで行き、佐平がいることをたしかめたなら、 (一息に、殺《や》っつける……)  つもりの仁三郎であった。  浅草御門外から、浅草寺《せんそうじ》をむすぶ御蔵前《おくらまえ》の大通りへ出た仁三郎が茅町《かやちょう》二丁目へさしかかったとき、左側にある菓子|舗《みせ》〔橘屋善兵衛《たちばなやぜんべえ》〕方から、通りへあらわれた若い侍を何気もなく見やって、 「あっ……」  仁三郎が、低く叫んだ。  その声に振り向いた侍は、秋山|大治郎《だいじろう》である。  大治郎は、いぶかしげに仁三郎を見まもった。  この日、秋山大治郎は、鐘《かね》ヶ淵《ふち》の父の隠宅へ、機嫌うかがいに行き、おはる[#「おはる」に傍点]が雨の中でも舟を出すというのを辞退し、わざわざ両国橋をまわって蔵前通りへ出たのは、橘屋で売り出している〔初雪煎餅《はつゆきせんべい》〕というのが妻・三冬《みふゆ》の大好物なので、 「帰りに買って来よう」  約束をして、家を出て来たからだ。 「これは、どうも、おもいがけぬところで、お目にかかりました」  こういって黒羽の仁三郎は笠を除《と》り、大治郎へ頭を下げた。  仁三郎の本業は〔道中師《どうちゅうし》〕である。  旅をまわりながら、あらゆる悪事をはたらく。それも単独でやる。  四年前のあのときは、久しぶりに江戸へまわって来たので、兄の寅吉《とらきち》と会い、ついでに兄の盗みを手伝ったのだ。 「お忘れでございましょうか……」 「はて……?」  と、大治郎。 「六年前に、近江《おうみ》の石部《いしべ》の宿外れで、お助けをいただきました者でございます」 「おお……」  秋山大治郎の顔が笑《え》みくずれて、 「おもい出しました。あのときの、旅の人か……」 「さようでございます、さようでございます」  なつかしげによろこぶ黒羽の仁三郎の顔にも声にも、悪《あく》の陰りなぞはみじん[#「みじん」に傍点]も感じられなかった。  仁三郎は旅をまわる商人《あきんど》になりきっていたし、 (自分《うぬ》で自分が、どうしても押え切れなくなった……)  ほどのなつかしさと、めぐり合えたうれしさが、そのまま素直に顔へ出た。挙動へ出てしまったのである。 「江戸へ、おもどりになっておいででございましたか」 「さよう。お前さんは?」 「これからまた、旅へ出なくてはならないのでございますよ」 「この雨の中を……」  旅立ちにしては、時刻も外れている。 「はい、はい」 「それは苦労なことだ」 「お急ぎでございますか?」  われにもなく、仁三郎はいい出た。 「いや、別に……」 「それでは、ちょいと……はい、もう、ほんの半刻《はんとき》(一時間)でもようございます。私に、おつきあい下さいませぬか。このまま、お別れしてしまいますと、いつまた、お目にかかれるか知れたものではございません。何しろ旅から旅へまわっているのでございますから……ほれ、六年前のあのときのように、いつなんどき、旅の空であの世[#「あの世」に傍点]へ行ってしまうか知れたものではございません」  一気に、仁三郎はしゃべった。  そうせずには、いられなかった。  これまでに何人もの人を殺害し、傷つけ、悪事をはたらいてきた黒羽の仁三郎の気性は激しかった。  兄を裏切った密偵へかける復讐《ふくしゅう》の念も激しいかわりに、自分のいのちを救ってくれたこの[#「この」に傍点]若い侍への感謝のこころも、強く激しいのである。  ここで半刻や一刻(二時間)をすごしても、目ざす相手が逃げるわけではない。  むしろ、夕闇《ゆうやみ》がたちこめるころに乗り込んで行ったほうがよい、と、仁三郎はおもっている。  ついに……。  大治郎は、仁三郎がすすめるままに、近くの〔末広蕎麦《すえひろそば》〕へ連れ込まれた。  この蕎麦屋は岩田屋銀兵衛《いわたやぎんべえ》といい、しゃれた造りの小座敷が二階にあるし、酒もうまく、蕎麦のほかにも、気のきいたものを出してくれる。  雨が、また、強くなってきた。  そのころ、今戸|八幡《はちまん》前の茶店の奥の部屋では、佐平が孫のおみよ[#「おみよ」に傍点]を膝《ひざ》に乗せ、玩具箱《おもちゃばこ》を前に上機嫌であった。  茶店には客がひとりいて、お幸《こう》が相手をしている。  聟《むこ》の助次郎は昨日から、丸子《まりこ》の実家に用事があって出かけており、今日帰るはずなのだが、 「この雨では、明日になるかも知れないよ」  と、佐平が先刻、お幸にいったばかりだ。      四  六年前の、あのときも、叩《たた》きつけるような雨であった。  その雨の中で、旅姿の黒羽《くろばね》の仁三郎《にさぶろう》は、かつて経験したこともない腹の痛みに呻《うめ》いていた。  晩秋の或《あ》る日の午後のことで、仁三郎は東海道を下りつつあった。  前夜は草津の旅籠《はたご》〔野村屋安兵衛〕方へ泊ったのだが、その夜のうちに下痢が起り、すぐさま、道中薬をのむと痛みも消えたので、旅なれた仁三郎は、 (もう、大丈夫……)  とおもい、その朝も食事をすませて旅籠を出た。すると一里も行かぬうちに痛みが起り、石部《いしべ》の宿で用を足してから、川水も枯れている白知川を越えたところで、急激に痛みがつきあげて来て、たまりかねた仁三郎は街道を外れた枯木立《かれこだち》の中へ入り、道中薬をのみ、用を足しているうちにも、痛みにこらえきれなくなり、全身に脂汗《あぶらあせ》をかきながら、腹を押えて苦しがっていたのである。  そこへ、旅の三人連れの浪人者があらわれた。  すこし前から、仁三郎を尾《つ》けていたらしい。  浪人どもは、仁三郎を撲《なぐ》りつけ、蹴《け》りつけ、腹に巻いていた七十余両の大金を奪い取った。 (ああ、仕方もねえ。金ですむことなら持って行きゃあがれ……)  半ば気をうしないかけながら、仁三郎は抵抗もせずに倒れ伏していた。抵抗しようにも、この体ではどうにもならなかったのだ。  だが、浪人どもは、そのまま逃げようとはせず、 「殺《や》ってしまったほうがいいぞ」 「よし」  というので、一人がいきなり大刀を引き抜いたものだ。 (あ……もう、いけねえ……)  仁三郎は観念した。逃げようにも手足がきかない。 (こ、これで、おれの一生も終りか……)  そのときの気分ときたら、それこそ何ともいえないものだった。いまでも、そのときのことを夢に見て魘《うな》されることがあるほどなのだ。  近寄って来る浪人の手の、青白く光る刃《やいば》が目前にせまり、 「う、うう……」  絶望してはいても、仁三郎の手足が生へしがみつくように|もが[#「もが」は「足+宛」第3水準1-92-36]《もが》いた。  そのときであった。  別の旅の侍が疾風《しっぷう》のように走り寄って来て、抜刀した浪人を突き飛ばし、仁三郎を庇《かば》った。  これが、秋山大治郎だったのである。 「こいつ……」 「かまわぬ。殺ってしまえ!!」 「早く……早くしろ!!」  他の二人も抜刀し、三方から押し包むように大治郎へ肉薄して来た。  左手に笠の紐《ひも》を解きざま、大治郎は斜め前へ我から飛び出した。  それを、 「待っていた……」  とばかり打ち込んで来た浪人の一刀は、片ひざをついて抜き打った大治郎の大刀にはね[#「はね」に傍点]あげられ、 「うぬ!!」  腰を引いて刀を構え直そうとするそやつ[#「そやつ」に傍点]の左|膝《ひざ》が大治郎に切り割られた。  一瞬の早業である。 「くそ!!」 「やっつけろ!!」  喚《わめ》いて突き込んで来る二人が、たちまち、右と左に打ち倒されたのを見て、仁三郎は目をみはった。  何人もの人を殺し、修羅場《しゅらば》の経験も少なくない仁三郎だけに、大治郎の腕の冴《さ》えがよくよく[#「よくよく」に傍点]わかったのであろう。  七十余両を取り返してやり、枯木立の中でのたうちまわっている三人を残し、大治郎は仁三郎を背負い、草津の方へ向った。  このとき大治郎は近江《おうみ》の彦根《ひこね》から大坂へ向う途中であった。  三人の浪人者は、いずれも死なせてはいなかった。手足を傷つけて、すぐには、はたらけぬようにしたまでである。  大治郎は、前夜、仁三郎が泊った草津の野村屋へ入り、自分も泊り込み、仁三郎の腹痛が癒《なお》るまで、つきそっていてやった。  これは、浪人たちの復讐《ふくしゅう》が仁三郎を見舞うことを考慮したからであった。  大津の宿で、二人は右と左に別れた。  さすがの仁三郎も、これほどに行きとどいた秋山大治郎の心配りには感動してしまい、大治郎の姿が朝の街道へ消え去るまで、泪《なみだ》ぐんだ目で見送ったものだ。  こうしたときの仁三郎には、 「悪の欠片《かけら》もない……」  のである。  そうして、手を合わせて、大治郎を見送った仁三郎が東海道を東へ歩み出したときから、 (畜生め。あの三人のごろつきどもめ、徒《ただ》じゃあおかねえ)  がらりと、顔つきが変った。  十二日後……。  三河《みかわ》の御油《ごゆ》の宿場の旅籠〔ゑびすや安左衛門〕方に泊っていた、あの三人の浪人者が、殺害《せつがい》された。  膝を切り割られた一人を、他の二人が介抱しつつ、ようやくに御油まで下って来たところだったのであろう。  夜の明け方に凄《すさ》まじい悲鳴があがったので、旅籠の者が駆けつけて見ると、三人の心ノ臓へ一本ずつ短刀が突き立っていたそうな。  犯人はわからずじまいになったが、これこそ、仁三郎の仕業であった。  秋山大治郎が末広|蕎麦《そば》を出たとき、雨はほとんど熄《や》んでいた。  だからといって、このまま霽《は》れあがるとはおもえぬ空模様であった。 「すっかり、お引きとめをいたしてしまいまして、申しわけもございませぬ」  蕎麦屋の門口まで見送って出た仁三郎が深ぶかと頭を下げた。  末広蕎麦の二階で酒をのみ、語り合っているうちに、大治郎の道場が浅草の橋場《はしば》にあることを知った仁三郎は、 (いっしょに出たのでは、道すじが同じになる……)  と、おもい、 「秋山先生。私は、もうすこし、此処《ここ》で時間《とき》をすごしてからまいります。いえ、待ち合せる人がございましてね」 「さようか。では、これにて……すっかり馳走《ちそう》になってしまったな」 「とんでもございません。こうして、また、お目にかかれまして、どんなにうれしいか知れたものではございませんよ」  本心から仁三郎はそういい、名残り惜しがった。 「また、江戸へ出て来たら、私の道場へも立ち寄りなさい」 「よろしゅうございますか?」 「よいとも」 「はい。きっと、寄せていただきますでございます」  これも、本心からの言葉であった。  大治郎を見送ってから、仁三郎は、ふたたび末広蕎麦の二階座敷へもどり、酒をいいつけた。  ときに、七ツ(午後四時)ごろであったろう。 (すこし遅れて此処を出れば、ちょうどいい)  ともかくも、佐平のいる茶店が戸を下ろさぬうちに着けばよいのだ。  ちょうど、そのころ、上野山下から浅草へ入った傘《かさ》屋の徳次郎は、東本願寺前から田原町を過ぎ、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)をのぞむ駒形堂《こまかたどう》の近くまでやって来た。 「これ……おい、徳さん」  よびかける声に振り向くと、窄《すぼ》めた傘を左手に持った秋山大治郎が笑いかけているではないか。 「あ……若先生」 「何処《どこ》へ行くのだね?」 「へえ……ちょいと……」 「どうした?」 「へ……」 「顔色がすぐれぬようではないか」 「そ、そうでございますか……いえ、そんなことはございません」 「いや、おかしいぞ。体のぐあい[#「ぐあい」に傍点]でも悪いのかね?」 「へ……ええ、まあ……すこし……」 「それなのに、何処へ行く?」 「え……その、ちょいと今戸の辺りまでまいりますんで」 「それなら、私も帰るところだ。同道しよう」 「へい」  考えてみれば、別に悪いことをしているわけではないのだ。  徳次郎は大治郎のうしろについて、広小路《ひろこうじ》の方へ歩み出した。  そのころ、今戸|八幡《はちまん》前の茶店では……。  孫のおみよ[#「おみよ」に傍点]の遊び相手になっていた佐平が、 「おみよや。おじいちゃん、ちょいと、おしっこ[#「おしっこ」に傍点]をしてくるから、おとなしく待っておいでよ」  と、声をかけて厠《かわや》へ向った。  茶店では、お幸《こう》が、中年の夫婦者の客に茶を出している。  厠へ入った佐平が、突然、搾《しぼ》り出すような叫びをあげ、縁側へ転げ出て来た。  お幸が、はっ[#「はっ」に傍点]となり、 「お父《とっ》つぁん。どうかしたんですか……」  客をそのままに、奥へ駆け込むと、佐平が胸を押えて片膝をつき、苦悶《くもん》しているではないか。  心ノ臓の発作が起ったのである。 「お、お父つぁん……」  走り寄って差しのべたお幸の双腕《もろうで》の中へ、佐平が崩れるように倒れ込んだ。      五  浅草の広小路から、花川戸《はなかわど》、山之宿《やまのしゅく》をすぎ、今戸へかかるまでに、秋山大治郎は傘徳から、あらましのことを耳にした。 「そうか。それは大変なことだな……」  まさか、すこし前に、末広|蕎麦《そば》で仲よく酒をのみ合っていた相手が、黒羽《くろばね》の仁三郎《にさぶろう》だとはおもってもみない。  仁三郎は大治郎へ、 「京に女房子どもが留守居をしておりまして、私は枡屋喜三郎《ますやきさぶろう》と申します、小商人《こあきんど》でございます」  と、いったものである。  橋場の道場へ帰る大治郎は、当然、今戸|八幡《はちまん》前を通らなければならぬ。 「そのことを、弥七《やしち》さんは知っているのかね?」 「いえ、すぐに飛んで行ったのでございますが、親分もおかみさんも、ちょうど他行中《たぎょうちゅう》だったもので……」 「それはいかぬな」 「ですが、置き手紙を残してきましたんで、それを親分が見なすったら、すぐに飛んで来ておくんなさるとおもいます」 「そうか、ふうむ……」  ちょっと考えてから、大治郎がこういった。 「徳さん。弥七さんが来るまでの間、私がいっしょに居てやろうか、どうだ?」 「ええっ……」  と、徳次郎が狂喜の態《てい》となって、 「ほ、ほ、ほんとうでございますか、若先生」 「もしも、弥七さんが来るまでの間に、その仁三郎というやつが……」  いいさして大治郎が、ふと黙った。  黒羽の仁[#「仁」に傍点]三郎と、枡屋喜[#「喜」に傍点]三郎……うっかりすると聞き違《たが》えるほど、名前が似ていないこともない。  だが、それだけのことで、大治郎の胸に疑惑の念がきざしたわけではなかった。  二人が今戸橋《いまどばし》へかかったとき、また、雨が降り出してきた。  橋をわたりきると、右手は大川をのぞむ料理茶屋や船宿が軒をつらね、左手は慶養寺の土塀《どべい》が長ながとつづいている。 「佐平さんの手引きで、うち[#「うち」に傍点]の親分が捕まえた兄の寅吉《とらきち》も、ずいぶんと酷《むご》いやつでござんしたが、弟の仁三郎のほうは、もっと凄《すご》いやつなので……」 「ほう……」 「年齢《とし》のころは三十五、六に見えて、ちょいといい[#「いい」に傍点]男前で、ふだんは、虫も殺さねえような……」 「なるほど」 「その仁三郎という野郎は、めったに江戸へ姿を見せず、旅をまわって悪事をはたらいていたようでございますが、ちょうどあのとき江戸へやって来て、兄の寅吉を助けて押し込みをやったのでござんす。ですから若先生、佐平さんは仁三の野郎に顔を知られているので……」  道を急ぎながら、徳次郎が語るのを聞いて、 「………?」  なんとなく、大治郎は妙な気もちになってきている。 (まさか、あの枡屋喜三郎ではないだろうな……?)  そのとき、一|挺《ちょう》の町駕籠《まちかご》が泥《どろ》をはねあげて、二人のうしろから走って来た。 「おおい、ごめんよ、ごめんよ」  駕籠|舁《か》きの大声に、大治郎と徳次郎が土塀へ身を寄せ、その前を駕籠が走りぬけたとおもったら、 「おい、とめてくれ!!」  駕籠の中で大声がして、垂れをはねあげた客が、 「おい、徳じゃあねえか」  と、いった。  四谷《よつや》の弥七である。 「若先生はまた、どうして徳と……?」 「途中で出合ったのだ」 「親分。ずいぶんと早《はよ》うござんしたね」 「お前が出て行って間もなく帰って来たのだ」  駕籠を下りた弥七が、駕籠舁きに酒代《さかて》をやり、 「ここまででいいぜ」 「親分。どうもすみません」  町駕籠は、今戸橋の方へ引き返して行く。 「ええ、もう、こうなりゃあ百人力だ」  と、徳次郎にしてはめずらしく威勢のいい声をあげた。  三人が、佐平の茶店の前へ来ると、店先にはだれもいなかった。  弥七と徳次郎は、顔を見合せ、すぐに徳次郎が飛び込んで行き、 「もし……もし、佐平さんはいなさるか。徳次郎だよ。伝馬町《てんまちょう》の親分も見えていなさるぜ」  声をかけると、奥から、おみよ[#「おみよ」に傍点]を抱いたお幸《こう》が悄然《しょうぜん》とあらわれた。 「お幸さん。どうしなすった?」 「徳次郎さん。お父《とっ》つぁんが、とうとう……」 「げえっ……」  弥七が入って来て、 「どうしたんだ、おい……」  お幸が両膝《りょうひざ》をつき、泪《なみだ》だらけの顔をあげ、 「親分さん。すこし前に、お父つぁんは亡《な》くなりましてございます」 「な、何だって……」 「手水《ちょうず》へ立って、そのときに持病が起って、倒れたんでございます」  ちょうど、そのころ……。  黒羽の仁三郎は、浅草の広小路へさしかかっていた。  雨とはいえ、まだ夕闇《ゆうやみ》も淡《あわ》かった。 (さ、もう一息だ)  右手をふところに入れ、忍ばせてある短刀《あいくち》の柄《つか》を、仁三郎はにぎりしめてみた。 (たった一突きだぜ……)  目ざす佐平のほかに、若い夫婦者と女の子がいるというが、 (そんなものを蹴散《けち》らすのは、わけもねえことだ)  と、自信満々の仁三郎であった。 (兄き。もう直《じ》きだぜ。もう直きに、お前を売りゃあがった佐平の野郎のどてっ[#「どてっ」に傍点]腹へ風穴をあけてやるからな)  雨の中の急ぎ足だが、たちまちに仁三郎は花川戸から山之宿へかかった。  佐平の茶店は、まだ開いている。  佐平の亡骸《なきがら》の前に、お幸とおみよ、弥七、徳次郎、秋山大治郎があつまっていた。 「弥七さん……」  と、また、線香をあげかけた四谷の弥七へ、大治郎が、 「どうも、妙なのだが……」 「何でございます?」 「いや、その、仁三郎とかいうやつ……」 「仁三郎が、どうかしましたか?」 「いや、それがどうも、お前さんたちのはなしを聞いていると、どうも、あの男が、仁三郎のようにおもえてきてならぬのだがね」 「な、何でございますって?」 「あの男というのは、いってえ、どの男なんでございます?」  と、傘徳。 「さっき、出合った……」 「ええっ……」 「実はな……」  大治郎が、あわただしげに語りはじめた。  そのとき、黒羽の仁三郎は今戸橋へさしかかっている。  叩《たた》きつけるような雨になってきた。 (兄き。もう直きだ。もう直きに、お前の恨みをはらしてやるぜ)  佐平を一気に刺殺しておき、そのまま表へ飛び出し、息もつかずに千住《せんじゅ》へぬけ、夜道をかけて行けるところまで行くつもりの仁三郎であった。 (もう直きだ。もう直きだよ、兄き……)  今戸橋をわたった仁三郎は山谷堀《さんやぼり》に沿った道を右へ曲った。  佐平の茶店は、まだ、開いている。  奥では、お幸とおみよを裏手の物置きへ隠した四谷の弥七と秋山大治郎が、来《きた》るべきものを待ちかまえていた。  傘屋の徳次郎は、道をへだてた今戸八幡宮の塀の蔭《かげ》へ身を潜めている。 「若先生……」 「なんだ、弥七さん」 「仁三郎のやつを、できれば御縄《おなわ》にしたいのですが、うまく行かねえかも知れません」 「なに、大丈夫だろう」 「ともかくも……ともかくも逃げられてしまっては、どうにもなりません」 「ふむ……」 「あいつが生きているかぎり、何人もの人が殺されます」 「そうか……」 「手にあまるようでございましたら、斬《き》ってしまって下さいまし。いいえ、私もこうして……」  と、弥七は手にした脇差《わきざし》を腰に差し込んで見せた。  弥七も、むかしは秋山|小兵衛《こへえ》の道場へ通って来て、相当に修行を積んでいるのだ。 「わかった」  大治郎が、うなずいた。 「野郎は、逃げ足が実に速いんでございます」 「そうらしいな……」  だが、大治郎は捕えるつもりだ。  そのための方策は、すでに大治郎の胸の内に定まっている。 (あの男の、もう一つの顔を見てみたいものだ。まだ、決ったわけではないが、もしも仁三郎と喜三郎が一人の男だったら、間もなく此処《ここ》へあらわれるにちがいない)  しずかに大治郎の右手がうごき、脇差に差し込んである小柄を抜き取った。これを手裏剣《しゅりけん》代りに使うつもりらしい。  仁三郎は山谷堀沿いの道を今戸へ出て、左へ曲った。  左側の慶養寺の土塀の向うに、今戸八幡の木立が見える。  激しい雨が仁三郎の笠《かさ》を叩き、夕闇は、ようやく濃くなってきた。  道行く人の影は、まったくない。 (おや……?)  立ちどまった仁三郎の目に、八幡前の茶店が、まだ、店を開けているのが見えた。  明るく灯《あか》りがともっている。 (しめた!!)  笠をかぶったまま、茶店へ走り寄った黒羽の仁三郎は、ふところの短刀を引きぬきざま、つかつかと茶店の中へ踏み込み、 「おい、おい。だれもいねえのかい。茶を一つくんねえ」  と、殺気立った声をかけた。     女と男      一  秋晴れの、その日の午後……。  秋山|小兵衛《こへえ》は、おはる[#「おはる」に傍点]が操る小舟に乗って、深川の富岡八幡宮《とみおかはちまんぐう》へ参詣《さんけい》をし、熊井町《くまいちょう》の〔翁蕎麦《おきなそば》〕で蕎麦を食べてから、例のごとく柾木稲荷《まさきいなり》下の舟着きにつけておいた小舟へ乗り、大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)を引き返して来たが、 「そうじゃ。ちょいと、倅《せがれ》のところへ立ち寄って見よう。まだ、みんなで稽古《けいこ》をしているにちがいない」 「あい、そうしましょう。私も、三冬《みふゆ》さんに会いたいから……」 「よし、よし」  大小の船が行き交う川面《かわも》から、高く高く澄みわたった大空を仰いだ小兵衛が、真綿を薄く引きのばしたように靡《なび》いている雲を指し、 「おはる。あの雲は何という雲か、知っているかえ?」 「知りませんよう」 「豊旗雲《とよはたぐも》というのさ。いくつもの旗が、打ち靡いているように見えるというのじゃ」 「ふうん……」 「渡津海《わたつみ》の豊旗雲に入日《いりひ》さし、今宵《こよい》の月夜明《つくよあき》らけくこそ」 「先生。そりゃ何ですよう?」 「むかしむかしの天子様《てんしさま》が詠《よ》まれた歌じゃよ」 「ふうん……」  いつの間にか、行き交う船が減ったとおもったら、二人を乗せた舟は、今戸《いまど》のあたりへさしかかっていた。 「おや……?」  ふと、前方を見やった小兵衛が、腰を浮かせた。 「何ですよう?」 「あれをごらん」  いましも、舟は、大川へながれ入る山谷堀《さんやぼり》を過ぎたところだ。  このあたりの左側の岸辺には、料理茶屋や船宿がたちならんでい、いずれも自家用の〔舟着き場〕をそなえている。  その一つに、屋形舟《やかたぶね》が着いていて、船頭が何やらうろたえている。  そして、舟着き場の上で、町家の男女ふたりが、三人の侍に取り囲まれ、三人の怒声を浴びて立ち竦《すく》んでいた。 「あれ……どうしたのだろうねえ、先生……」  おはるが、そういったときだ。  しきりに頭を下げつつ、女を庇《かば》うようにしていた男の胸倉をつかんだ侍のひとりが、これをどーん[#「どーん」に傍点]と突き飛ばすのが見えた。 「おはる。舟を寄せろ」 「あい」  おはるが、ちからをこめて漕《こ》ぐ舟が、見る見る近寄って行く。  川へ落ちた男を、船頭が助けあげようとしていた。  舟着き場では、悲鳴をあげる女を、三人の侍がむりやり[#「むりやり」に傍点]に引き立てて行こうとしている。  艪《ろ》から竿《さお》へ持ち替えようとするおはるへ、 「ここでよい。お前は先へ行っていなさい」  いったかとおもうと、秋山小兵衛の小さな老躯《ろうく》が宙に舞いあがった。  竹杖《たけづえ》を持ったまま、約三|間《げん》を飛んだ小兵衛が、舟着き場へ舞い下りざま、 「何をなさる」  女の襟《えり》がみをつかんでいた侍のひとりの腰を突くと、 「あっ……」  どこをどうされたものか、その侍は両手を突き出し、のめり込むようにして川へ落ち込んだ。  商人ふうの男を救いあげた屋形舟は、女を見捨てて舟着き場を離れて行き、おはるは、川面から、こちらの様子を見ている。 (あんな侍の三人なんか、まるで、先生の玩具《おもちゃ》だよう)  と、おもっているにちがいない。 「おのれ……」 「な、何者だ!!」  舟着き場へ、突然に舞い下りて来た老人を見て、侍たちは瞠目《どうもく》した。 「まだ、日も沈まぬというに、女ひとりを取り囲んで悪さ[#「悪さ」に傍点]をするものではない」 「だ、黙れ!!」 「ぶ、無礼な……」 「無礼は、どっちじゃ」 「ぬ!!」  間合いもはからず、無茶苦茶に、ひとりが抜き打ちに小兵衛へ切りつけて来た。  ぱっと、小兵衛の体《たい》が躱《かわ》った。  躱されて、|踏鞴[#「鞴」は底本では「鞴」の「革」を「韋」にしたもの、第3水準1-93-84]《たたら》を踏んで向き直ろうとした侍の腹のあたりへ小兵衛の竹杖が突き出された。 「わあっ……」  と、これも仰向《あおむ》けに、川へ転落であった。  最後の一人は大刀の柄《つか》へ手をかけたまま、 「むう……」  呻《うめ》いたが、どうにもならぬ。 「さ、どうする?」 「う、うぬ……」 「ばかもの!!」  小兵衛の大喝《だいかつ》である。  ついに侍は、たまりかねて逃げた。  そこは、今戸の〔鳴門《なると》〕という料理茶屋の舟着き場であった。  向うの通り庭のあたりで鳴門の座敷女中たちがさわいでいる。その中を掻《か》きわけるようにして侍は逃げた。  川へ落ちた二人の侍は、すこし先の〔二文字屋《にもんじや》〕という料亭のとなりの岸辺へ這《は》いあがり、逃げ去ろうとしている。  川面から見物していたおはるが舟を寄せてきて、 「先生。この女《ひと》も、いっしょに乗せて行ってあげようか」 「そうじゃ。そのほうがよいな」  女は、小兵衛たちと共に、橋場《はしば》で舟を下りた。  今戸から橋場までは、わずかの間のことで、小兵衛がくわしい事情を尋《き》く暇もなかった。  町女房ふうの女の年齢《とし》のころは、 (二十四、五歳か……?)  と、小兵衛は看《み》た。  細《ほ》っそりとした体つきなのに、腰と胸乳《むなぢ》のあたりの肉置《ししお》きが豊かに張ってい、眉《まゆ》の剃《そ》りあとが、いかにも青々としており、うつ向いた襟あしの白さに、おもわず老いた小兵衛の視線が吸い寄せられた。  それを見たおはるが舟を漕ぎながら、不快の表情を露骨にした。 「いったい、どうしたのじゃ?」  礼をのべた女に、小兵衛が問うや、 「あの人びとに、難癖をつけられまして……」 「ふうむ……連れの人は舟で逃げてしもうたが、かまわぬのかえ?」 「かまいませぬ」  きっぱりとした返事なのである。  助けられ、舟へ乗ってからの女は、妙に落ちついていた。  橋場の舟着きへあがると、すぐに、 「まことにありがとうございました。おかげさまで、危ういところを……」  丁寧に頭を下げはしたが、あとで、おはるにいわせると、 「ほんとうに、ありがたがっていたのか、どうか……?」  と、いうことになる。  女は名乗りもせず、また、助けてくれた小兵衛の名を尋こうともしなかった。 「ひとりで、大丈夫かえ?」 「はい。このあたり、知り人《びと》の家もございますから……」 「そうか。それなら安心じゃ」 「では、ごめん下さいまし」 「気をつけて行きなさい」 「はい……」  おはるには一瞥《いちべつ》もくれずに、遠ざかって行く女を見送っている小兵衛の袖《そで》を引いて、おはるが、 「いつまで見とれているんですよう、先生」 「怒ったのか?」 「なんだ、あんな女《の》……」 「色気があるのう」 「だから嫌《いや》……」 「ああいう女に、引っかかった男は大変じゃぞ」 「まだ、見てる。およしなさいってば」 「よし、よし」  舟を舫《もや》ったおはると歩み出しながら、小兵衛が、 「おはるや。あの女をお前、何と見たな?」 「何とって……何をですよう?」 「ありゃ、町家の女房じゃない」 「じゃあ、何ですか?」 「いまのことは知らぬが……以前は、おそらく二本の刀を差していたものの家に生れたに相違ないな」 「そんなこと、どうでもいいったら……」      二  それから三日後の夕暮れどきに、秋山小兵衛は、 (二度と出合うこともあるまい……)  と、おもっていた、あの女[#「あの女」に傍点]を、妙な場所で見かけることになる。  その日は朝から、湯島天神下の浅野幸右衛門《あさのこうえもん》旧宅を訪ね、植村友之助《うえむらとものすけ》と共に手習いの子供たちの面倒を見てやったりして、一日をすごした小兵衛であった。  浅草へ着くと、まだ夕闇《ゆうやみ》も明るかったので、浅草寺《せんそうじ》へ参詣《さんけい》をし、奥山裏へ出た。  この日。小兵衛は大治郎《だいじろう》宅でおはる[#「おはる」に傍点]と落ち合うことになっていた。  三冬が冬にそなえての夜具を縫い直し、綿を入れるというので、おはるが教えがてら手伝いに行き、ついでに夕餉《ゆうげ》の仕度もしておくから、 「今日は若先生のところへ来て下さいよう。御飯をいっしょにするからね」  と、出がけに、おはるから念を押されていたのである。  金竜山《きんりゅうざん》・浅草寺境内の北面、本堂の裏手一帯を俗に〔奥山〕とよぶ。  ここへ出ると、日中でも、浅草寺境内のにぎわいが、まるで嘘《うそ》のようにおもわれるほどの田園風景になる。  浅草|田圃《たんぼ》が北へひろがり、ところどころに木立やら竹藪《たけやぶ》やらが見え、夜にでもなると、その田地の彼方《かなた》に新吉原《しんよしわら》の遊里の灯影《ほかげ》が紅《あか》く燃え立つようにのぞまれる。  料理茶屋の〔玉《たま》の尾《お》〕は、この奥山の一隅《いちぐう》の木立の中に在った。  秋山小兵衛は、木立の細道を斜めに突切り、田町から山谷堀《さんやぼり》へ抜けるつもりで、偶然に玉の尾の前へ出てしまった。  柴垣《しばがき》で囲まれた茅《かや》ぶき屋根の、風雅な造りの家が三戸ほど、肩を寄せ合うように建てられてい、これも茅ぶきの腕木門《うできもん》に玉の尾としるした小さな軒行燈《のきあんどん》が一つ掛っているきりだ。  もっとも、外から見たのでは柴垣の内の木立にさえぎられて、中の様子はわからぬようになっている。 (ははあ……これが、玉の尾か……)  小兵衛は、おもわず足をとめた。  それというのは、この玉の尾のことを、耳にしていたからである。  これを小兵衛の耳へ入れたのは、駒形堂《こまかたどう》裏の〔元長《もとちょう》〕の亭主・長次であった。  料理茶屋ということになってはいても、玉の尾では、 「せいぜい、酒の肴《さかな》を出すぐらいなものでございますよ」  と、長次はいった。 「あそこへ通う連中は、夢の茶屋などと、いっておりますよ」 「夢の茶屋……?」 「男と女が、たのしい夢を見るというわけでございましょうねえ」 「なるほど」  女遊びには公認の遊里・新吉原をはじめ、諸方の岡場所も数え切れぬほどにあり、男女の密会には〔出合茶屋〕もあり、船宿もある。  しかし玉の尾では、たがいに見知らぬ男女が情痴のいっときをすごし、たがいの名も知らぬままに別れるという仕組みになっている。  しかも、男の相手をする女たちは、いうところの娼婦《しょうふ》ではない。  素人《しろうと》の娘や町女房が、いろいろな事情があって金が必要となり、まだ男の数を知らぬ瑞々《みずみず》しい肌身《はだみ》を、 「抱かせてくれる……」  のだそうな。 「ほほう……おもしろそうじゃな、長次」 「まさか大《おお》先生……」 「ばか。おはる一人をもてあましているというに……」 「へ、へへ……」 「お前こそ怪しいのではないか?」 「と、とんでもねえことで……」 「では何故、そのようなことを知っている?」 「それが実は、大先生だから申しあげますが……」 「ふむ、ふむ……」 「土地《ところ》に、聖天《しょうでん》の吉五郎という香具師《やし》の元締がおりますのを御存知で?」 「うわさには聞いた。たいそうな羽振りじゃそうな」 「はい。その聖天の元締が、玉の尾をやっておりますので……」 「なるほど」 「うち[#「うち」に傍点]へ来ておくんなさる旦那《だんな》方の中にも二人三人、玉の尾の常客がおりまして……」  その旦那方というのは、浅草や下谷《したや》で名の通った大店《おおだな》の主人《あるじ》ばかりだという。 「頭巾《ずきん》に顔を隠した立派な御武家も、駕籠《かご》で見えるそうでございますよ」 「なある……」  それにしても、 (こんな場所に、こんな茶屋《もの》があるとは知らなんだわえ……)  玉の尾が、こうした〔商売〕をはじめたのは、五年ほど前のことらしい。  足をとめ、門の内をのぞき込んだ小兵衛は、中から出て来るものの気配に、身を返して玉の尾の前を行きすぎた。  柴垣に沿った小道を左へ折れ曲ってから、 (どんな客が出て来るのかな……?)  何気もなしに、柴垣へ身を寄せ、そっと窺《うかが》った。  出て来たのは、客ではなかった。  客の相手をする女らしい。  腕木門を出て来た町女房ふうの女を見て、 (や……?)  小兵衛の好奇心は、いやが上にも唆《そそ》られずにはいられなかった。 (ははあ……こんなところで生業《なりわい》をたてていたのか……)  女は、あたりを見まわし、手にした薄紫の布を髪の上から掛けたらして、顔を隠し、小兵衛が、いま通って来た道の方へ歩み出した。  これを尾《つ》けて行くほどの興味はない。  苦笑しつつ、身を返そうとして、 (ありゃ、何だ?)  はっ[#「はっ」に傍点]と、小兵衛が目を凝《こ》らした。  どこに隠れていたものか、うす汚れた浪人がひとり、道へ走り出て来たのだ。  三日前の、あの侍たちではない。  あの侍たちは袴《はかま》も羽織もつけていたし、月代《さかやき》もきれいに剃《そ》りあげてい、しかるべきところの家来と看《み》てよかった。  この浪人は蓬髪《ほうはつ》の上から頬《ほお》かぶりをし、裾《すそ》をからげた腰に大刀一つの落し差しであった。  浪人は、女によびかけ、その腕をつかんだ。  女は、おどろいたようだが、強《し》いて逃げようとはせぬ。  浪人が、しきりに、ささやきかけている。何か、うったえているかのようだ。痩《や》せさらばえた、その姿が見るからに哀《かな》しげなのである。  これに対して、女のほうは体を反らせるように立ち、浪人を睨《にら》みつけつつ、一言二言、何かいったようだ。  どこかで、鵙《もず》の鋭い鳴き声がした。  女は、浪人の手を振りはらい、歩き出した。  追いすがった浪人が、執拗《しつよう》にうったえかけている。  女も、無下に振り切れなくなったらしい。  立ちどまった女の腕をつかみ、浪人は木立の中へ入って行った。  夕闇が立ちこめていたし、距離もはなれていたので、定かにはわからなかったが、小兵衛の目にはそのように見てとれた。  ここに至って秋山小兵衛も、立ち去りがたくなってきたのである。 (あの二人、いったい、どのような関《かか》わり合いがあるのだろう?)  剣も捨て、世も捨てて生きているつもりの小兵衛なのだが、年をとるにしたがい、何によらず、他人の事が気にかかり、それが、いささかでも異常であれば尚更《なおさら》に興味を唆られてくる。 (年をとって、自分《おのれ》のことをかまいつける必要《こと》がなくなってしまったゆえ、他人のことがおもしろくなってくるのか……われながら嫌なことじゃ)  夕闇が濃くなってきている。  音もなく、小兵衛は道を突切り、木立の中へ入って行った。  この木立は、奥が深い。  玉の尾から、かなり離れた木立の奥で、女の声が聞えた。 「いまさら、もう、そのようなことをいうても、どうしようもない」 「どうしようもないとは、いわせぬぞ」  と、浪人が、弱々しくうったえている。 「ならば、どうせよというのです?」 「共に……共に、死んでくれぬか……」  女が、低く笑った。 「な、たのむ……たのむ、絹《きぬ》」 「あなたは何故、むかしのことを、いつまでも……」 「むかしのこと、それだけで片づけるつもりなのか……」 「ですが、それよりほかに仕方がないではありませぬか」 「この高瀬照太郎がたのみを、どうしても聞けぬというか……」 「それどころではありませぬ」 「な、何……」 「いまもおはなし申したように、先日、私は家中《かちゅう》の方がたに見つけられ、危うく、いのちを落すところだったのですよ。あなた、もし、あの方々に見つけられたなら、いかがなされます?」 「む……」 「江戸にいては危のうございますよ」 「では、逃げてくれ。帰って来てくれ」 「死んでくれではないのですか?」 「どちらでもよい。ともかくも、お前と共に……」 「高瀬さま。よいかげんにして下さいまし」 「な、何だと」  さすがに、浪人の声が昂《たかぶ》ってきた。 「むかしはむかし、いまはいまでございますよ」  きっぱりと、女がいいきった。  秋山小兵衛は身じろぎもせず、木蔭《こかげ》に屈《かが》み込んでいる。      三 (高瀬か……この、痩《や》せこけた浪人が、高瀬照太郎なのか……)  呼吸《いき》をころし、うずくまったまま、小兵衛は茫然《ぼうぜん》となっていた。  もっとも、小兵衛が知っている高瀬照太郎は、まさに紅顔の少年であった。  いま、ここに、十二年ぶりで見る高瀬とは、あまりにも容姿がちがいすぎていた。  なればこそ、彼が飛び出して来て、女の……お絹の腕をつかみ、木蔭《こかげ》へ引きずりこむありさまを見ても、わからなかったのだ。  高瀬照太郎が、四谷《よつや》の秋山小兵衛道場へ入門したのは十五歳の夏で、それから約一年半ほど、通って来た。  ふっくらとした愛らしい顔だちだったし、色白の、むっちりと肉づきのよい体をしていたものだから、稽古《けいこ》の後で、体の汗をぬぐっているときなど、 「おう、これはたまらぬぞ」 「新宿の娼妓《おんな》どもより、高瀬のほうがよいわい」  などと、門人たちが高瀬照太郎に抱きついたりしたものだ。  高瀬の剣術のすじ[#「すじ」に傍点]は、あまりよくなかった。  それに、一年ほどすると、稽古にも疲れが出て来るようになり、やがて、いつの間にか、道場へ姿を見せなくなった。 「まことに、申しわけもありませぬ」  と、高瀬を道場へ連れて来た井口|伴之助《とものすけ》が、小兵衛に、 「高瀬は、体をこわし、寝込んでしまいました」 「そうか。むり[#「むり」に傍点]をせぬがよい。いまだからいうのだが、高瀬の体は剣の修行には向いておらぬ」 「は……」 「ゆっくりと、養生をさせるがよい」 「先生に、そういっていただきまして、ほっ[#「ほっ」に傍点]といたしました」 「なに、かまわぬさ」  井口伴之助は、常州(茨城県)笠間《かさま》八万石・牧野|越中守《えっちゅうのかみ》貞長の家来で、代々、江戸屋敷に奉公をしている。  そして高瀬照太郎は、同じ牧野家に仕えている高瀬文之進の長男であった。  高瀬文之進は、そのころ、四十歳前後であったろうか。しばらくして秋山道場へ挨拶《あいさつ》にあらわれたが、まことに温和な人物だったように、小兵衛は記憶している。  以来、小兵衛は高瀬照太郎に会っていない。  ところが、一昨年の春に、秋山小兵衛が上野山下を歩いていると、 「もし、秋山先生。おなつかしゅうございます」  と、声をかけ、走り寄って来た者がいる。  見ると、井口伴之助ではないか。 「おお、久しぶりじゃな。元気でおるか」 「はい。おかげをもちまして」  井口は、小兵衛が四谷の道場をたたむ二年ほど前に、何やら特殊な役目に任ぜられ、国許《くにもと》の笠間へおもむいていたのだ。 「いまも、笠間におるのか?」 「はい。公用にて江戸へまいりました」 「それは、それは……」 「昨日は、四谷|仲町《なかまち》の旧道場のあたりを歩いてまいりました」 「そうか、いま、どうなっているえ?」 「すっかり、町家がたちならんでしまいまして……」 「ほう、そうか……」 「先生の、おすこやかなお姿を拝し、伴之助、うれしゅうございます」 「ありがとうよ。それよりもどうじゃ。まだ日も高い。急ぎの用事がなければ、ちょいとつきあわぬか?」 「かまいませぬので?」 「このまま、人ごみの中で別れるのも味気ない。なんというても、むかしは師弟の間柄《あいだがら》だったのだもの」 「はい、はいっ」  井口は、さもうれしげに、いそいそと小兵衛のうしろへつき従った。  小兵衛は、近くの新黒門町にある蕎麦《そば》屋〔亀屋《かめや》平兵衛〕の二階座敷へ、井口をみちびいた。  そこで、酒を酌《く》みかわすうち、井口伴之助が、 「先生は、高瀬照太郎がことを、おぼえておいででございましょうか?」 「おぼえているとも、あの可愛《かわい》らしい少年《こども》の……」  いいかけるのへ、 「それが先生。とんでもないことを仕出かしてしまいまして……」  井口は、眉《まゆ》をひそめた。 「どうした?」 「江戸屋敷の、同じ御長屋の、滝沢嘉四郎と申す人《じん》の妻女と、つまりその、姦通《かんつう》をいたしましてな……」 「なに、あの少年《こども》が……」  おもわずいったが、高瀬照太郎とて、いつまでも少年でいるわけがないのだ。  高瀬は、その妻女と情をかわしている現場を、滝沢嘉四郎に押えられた。  折しも滝沢は御殿での当直の夜で、長屋にはいなかったのをさいわい、二人が忍び逢《あ》っていたわけだ。おもえば大胆なことである。  見つけられた、そのとき、高瀬照太郎は滝沢を突き殺し、すぐさま、滝沢の妻と共に江戸屋敷の塀《へい》を乗り越え、逃走したというのだ。 「ふうむ……これは井口、たれぞ、手引きをする者があったのではないかえ?」 「どうも、そのようでございます。滝沢家の奉公人などのたすけがなくては、到底、そのようなまね[#「まね」に傍点]ができかねると存じます」 「そうであろうとも」 「これは内証のことでございますが、その滝沢嘉四郎と申す人《じん》は、いささか偏屈の、しかも口やかましき男でございましてな」 「なるほどのう」  高瀬の父母は、すでに病歿《びょうぼつ》しており、滝沢家では、子が一人もいなかったそうな。  そういうわけで、敵討《かたきう》ちということにもならず、高瀬・滝沢両家は取り潰《つぶ》しとなった。  この事件は、双方の家(七十石二人|扶持《ぶち》)が取り潰されたほかに、累《るい》をおよぼさず、今日に至っている。      四 「さ、早く、お帰りなさい。このようなところに、いつまでこうしていても仕方がありませぬ」  と、絹が、高瀬照太郎を叱《しか》りつけるようにいった。  闇《やみ》は、夜のものに変ってきつつあった。 「お前は……お前は、よもや、二人して滝沢嘉四郎殿を殺害《せつがい》したことを、忘れたのではなかろうな……」  高瀬が、たまりかねたようにいうと、 「忘れました」 「な、何……」 「女は、むかしのことを忘れなくては、現在《いま》に生きられませぬ」 「あのとき、滝沢殿を殺してしまえと叫んだのは、お前だぞ。絹、それを忘れたのか?」 「そのように、あなたがおもいこんでおられるのでしょう」 「な、何をいう。何をいうのだ」 「このようなことを何度くり返したら、お気がすむのです。早く、藤沢へお帰りなさい。あなたが病を養うほどのことは、してさしあげているのですから……もう、この上、私につきまとわないでいただきます」 「おのれ……やはり、男が……男ができたのだな」 「存じませぬ」 「何をしていた。おのれ、あの、玉の尾という茶屋で、何をしていた?」 「大きな声を、お出しなさるな」 「今日いちにち、おれは、お前が阿部川町《あべかわちょう》の家を出るときから、後を尾《つ》けていたのだぞ」 「さようでしたか……」  といった女の声が、小兵衛をぞっ[#「ぞっ」に傍点]とさせた。  血も体温も冷えつくしてしまったかのような声だったのである。 「待て。ま、待ってくれ……」  高瀬照太郎が、去ろうとする女へ抱きついた。 「おはなしなさい」 「た、たのむ。お絹……」  お絹が高瀬を突き飛ばし、身をひるがえして木立の闇に消えた。 「う、うう……」  微《かす》かに、呻《うめ》き声がする。  女のちから[#「ちから」に傍点]に突き倒された高瀬は、体のどこかを強く打ったらしく、しばらくは起きあがれぬ様子だ。  木蔭《こかげ》にいて、秋山小兵衛は胸の内に、舌打ちを鳴らした。  格別に目をかけたわけではないが、ともかくも足かけ二年の間、自分の道場に通って来ていた男が女ひとりの腕力《うでぢから》に突き倒されるとは、なにごとか……。  高瀬照太郎は、まさに、病もちなのだ。  高瀬の低い呻き声が、しのび泣きに変りはじめた。 (ああ……なんたることじゃ)  これ以上、自分が立ち入ることはないと、小兵衛はおもった。  そして、音も気配もなく、木蔭から身を起し、立ち去りかけたのだが、 (や……?)  ふと、足をとめたのは、高瀬のすすり泣きがぴたり[#「ぴたり」に傍点]と熄《や》んだからである。 (気づかれたかな……?)  そうではないらしい。  振り向いた小兵衛は、向うの闇の中に、異常の気配を感じた。  そのとき……。  何ともいえぬ高瀬の叫びが聞えた。  小兵衛が駆け寄って見ると、高瀬照太郎が大刀を引き抜き、その刀身を手ぬぐいで巻き、逆手《さかて》につかみ、腹へ突き立てていた。 「何をする……」 「う、うう……」  腹へ突き立てはしたが、高瀬にとっては、それだけが精一杯のところだったのであろう。  小兵衛が高瀬の手から大刀を|[#「」は「腕」の「月」を「てへん」にしたもの、第3水準1-84-80、DFパブリW5D外字="#F350"]《も》ぎ取ったときも、抵抗はしなかった。  突き立てた瞬間に、高瀬は半ば気をうしないかけていたといってよい。 「ばかもの」 「う、う……」  高瀬の腹から、血がながれ出してきた。 「これ、高瀬。わしがわからぬか。秋山小兵衛じゃ」  自分の手ぬぐいや、高瀬の着物の裾《すそ》のあたりを引き破り、腹の傷口へあてがいながらも、 「ばかものめ。おのれに腹が切れるものか。死ぬ気なら何故、心ノ臓を目がけてひとおもいに刀を突き入れぬのじゃ、ばか。一人前《ひとりまえ》に腹を掻《か》っ切ろうなどとは、生意気な……」  叱りつける小兵衛に対して、反応はなかった。  高瀬照太郎は仰向《あおむ》けに倒れ、完全に失神している。 「おのれ、世話のやけるやつじゃ」  こうなってみると、そこはなんといっても、師弟の情愛が通わざるを得ない。  秋山道場へ来ていたころの、高瀬照太郎には、 (この少年《こども》は体が弱い……)  と看《み》て、小兵衛は激烈な修行をさせなかった。  そのかわり、呼吸のととのえ方からはじめて、 (すこしずつ、体を丈夫にしてやろう)  と、おもい、それなりに丹精をしてやったことが、いま、おもい起されてくるのである。  一応、傷口を押えておいて、小兵衛は高瀬を背負うことにした。  高瀬の背丈は、むろん、小兵衛よりも高い。  そこで、この不肖の弟子の体を、先《ま》ず木に寄りかからせておき、両腕を自分の肩へまわし、 「む!!」  小兵衛が、高瀬を背負って立ちあがった。  立ちあがった途端に、 (これは、いかぬ……)  と、おもった。  背丈が自分より高い高瀬の体は、まるで子供のように軽かった。 (こやつ、よほどに病みおとろえているらしい)  ふたたび玉の尾の前へ出た秋山小兵衛は、高瀬を浅草・山之宿《やまのしゅく》の駕籠《かご》屋〔駕籠|駒《こま》〕へ担《かつ》ぎ込んだ。  この駕籠屋は、小兵衛がなじみ[#「なじみ」に傍点]の店であった。 「こやつを、鐘《かね》ヶ淵《ふち》のわしのところへ運んでくれ」  と、たのんでおいてから、小兵衛は筆と紙を借り、本所《ほんじょ》・亀沢町《かめざわちょう》の医者・小川宗哲《おがわそうてつ》へ手紙を書いた。 「怪我人《けがにん》の手当を、至急おねがい申したい」  と、いうものである。 「この手紙を、とどけてくれ」  と、たのんでおいてから、小兵衛は駕籠駒を飛び出し、先に出て鐘ヶ淵の隠宅へ向う駕籠の後を追った。  ところで……。  このありさまを、駕籠駒にいて、見ていた者がいる。  この男は、浅草の山谷《さんや》の料理茶屋・鳴門《なると》の若い者であった。  先日。鳴門の舟着き場で、小兵衛がお絹をたすけ、三人の侍を追い散らした様子を、この若い者は目撃していたのだ。  三人の侍は、常州・笠間藩《かさまはん》、牧野|越中守《えっちゅうのかみ》の家来で、鳴門の常客であった。  若い者は、このとき、鳴門の客の迎えの駕籠を駕籠駒へたのみに来ていたのである。 「それじゃあ、駕籠をたのみましたぜ」  と、いいおいて、駕籠屋から走り出た若い者は秋山小兵衛の後を追いかけた。 (あの爺《じじ》いめ、徒《ただ》じゃあおかねえ。居所《いどころ》をつきとめて、三人の方へお知らせしてやるのだ)  そうすれば、若い者も、 「いくらかになるはず……」  なのである。      五 「どうじゃ、いくらか、気分はよいようかえ?」  枕元《まくらもと》で声をかけた秋山小兵衛へ、高瀬照太郎がうなずいて見せた。  先刻、小川宗哲が診に来てくれ、傷口の手当をすませ、すこし前に帰って行ったばかりである。  この部屋は、小兵衛の居間の奥の六畳敷きの部屋で、ふだんは、おはる[#「おはる」に傍点]が使っている。  三日前に、この部屋へ運び込んだきり、高瀬照太郎は、もううごけなくなってしまった。  腹の突き傷は、健康な男なら、 「いのちにかかわることもない……」  ほどのものであったが、 「なにぶん、この人《じん》の体はおとろえつくしているのでのう」  と、小川宗哲は小兵衛に、 「なればさ。このたびの出血が、ひどくこたえたと見える」 「すぐさま血止めをしておいたのじゃが……」 「いや、あなたのなすったことに遺憾はないのじゃ。それに、わしも知らせを受け、すぐさま駕籠《かご》を飛ばして駆けつけて来たのじゃもの」 「いかさま……」 「この人《じん》の体は、ふだんから血が少ないのじゃ」 「なるほど……」 「それに、心ノ臓が、すっかりやられてしもうている」 「ははあ……」 「腹を切らなくとも、二年は保《も》たなかったとおもわれる」 「さようでござるか……」  今日も、宗哲は帰りぎわに、 「小兵衛さん。この二、三日うちが危ないぞ。知らせてやるところがあったら、早いがよいな」  と、いった。  仰向けに寝ている高瀬照太郎の顔は、もはや死人《しびと》のそれ[#「それ」に傍点]であった。  小鼻が落ち窪《くぼ》み、両眼《りょうめ》に光が失《う》せた。 「秋山先生。何故、おたすけ下されたのでございます。あのまま、放《ほう》り捨てておいて下されば、よかったのです」  昨日までは、そんな口をきいていた高瀬も、今日は朝から、すっかり弱りきっているようだ。  いま、眠りからさめたらしい高瀬に、小兵衛が声をかけると、 「秋山先生。申しわけもございません」 「今日は、素直になったのう。むかし、わしの道場《ところ》へ来ていたころのように、な……」 「せ、先生……」 「何じゃ?」 「先生は……あの、何故に、あのとき、あの木立の中へ、入って来られたのでしょうか?」 「お前の呻《うめ》き声が聞えたからじゃ」 「あ……」  安心をしたように、高瀬はうなずいた。  自分とお絹との会話が小兵衛の耳へは入ってはいないと、おもったからであろう。 「せ、先生……」 「もう、よい。しずかにしておれ」  部屋の中に、雨音がこもっている。  昨夜半から降り出した雨だが、まだ熄《や》まぬ。  おはるは、台所で夕餉《ゆうげ》の仕度にかかっているらしい。 「せ、先生。先生は、私が何故、牧野家をはなれ、このように、無残な姿になり果てたか……それを……それを、御存知でございますか?」 「わしが、どうして、そんなことを知っている?」 「は……」 「見れば浪人姿ゆえ、以前のお前でないことはわかるが……」 「実は……実は、先生……」 「何も申すな。いまのわしは、世捨人じゃ。世間のことなど耳へ入れても仕方がないわえ」 「は……」  高瀬照太郎は、天井を見あげたまま、押しだまった。  そのうちに、左眼の目《まな》じりから泪《なみだ》が一すじ、糸を引いて頬《ほお》へつたわってきた。  秋山小兵衛は枕元の白布を取り、その泪をふきとってやった。 「先生……」 「む?」 「おかげをもちまして高瀬照太郎、こころしずかに、あの世[#「あの世」に傍点]へまいることができまする。かたじけ……かたじけのうございます」  見ると、掛蒲団《かけぶとん》の中から両手を出し、高瀬が小兵衛に向って合掌しているではないか。  小兵衛は、その高瀬の手を両手に包み込むようにして、にぎりしめ、 「な……こうして死ぬるほうが、あんな、さびしい木立の中で、しかも独りきりで息を引き取るよりも、ずっとよいだろう」  やさしく、ささやいたものである。 「は、はい……はい……」 「わしが、こうして、つきそっていてやるぞ。こころを安らかにしているがよい」 「かたじけなく……」  何か、いい残すことはないか、よび寄せる人はないか……と、尋《き》こうとしたが、結局、小兵衛はやめた。  あの女のことについては、高瀬は充分に、 (こころ残りがあるにちがいない……)  のである。  しかし、高瀬は堪えている。  お絹にも見とられて息を引きとりたいのであろうが、先日のあの[#「あの」に傍点]様子では、お絹が駆けつけて来るはずもない。それに、そのようなことになれば、自分とお絹との関係を、 (秋山先生にさとられてしまう……)  ことになる。  さとられて、恥ずかしからぬ関係ならばよい。 (だが、私が絹にさそわれるまま、深い仲となり、ついには女の夫を殺害《せつがい》したと知ったなら、秋山先生は、どのようなお顔をなさることか……)  このことであった。 (さいわいに、先生は何事も御存知ない。私を……むかしのままの照太郎として、私の臨終につきそっていて下さる。おもってもみなかったことだ)  いま、高瀬照太郎は、 (一目、お絹の顔を見たい……)  そのことに堪え、堪えることによって、小兵衛へすがりつくことができたのだといえよう。 「先生。み、水を……」 「よし、よし」  水差しの水を口へふくませてやりながら、小兵衛が、 「高瀬。かまわぬぞ。わしを父親とおもい、いくらでも甘えろ。よいか、よいな……」  うれしげに、顔を泪だらけにして、高瀬がうなずいた。      六  翌朝は、ぬぐったような快晴となった。  鶏卵入りの重湯《おもゆ》を口にしたのち、高瀬照太郎は、いかにも、こころよげな眠りに落ち込んでいった。  昼前に、小川宗哲が来てくれ、高瀬を診て、 「今日は、大分によろしい」 「ほう。では、万に一つ、助かる見込みが出てきましたか?」 「いや、小兵衛さん。そうはうまく行くものでない」 「やはり……」 「とてもいかぬ」  午後になって、三冬がやって来た。  秋山大治郎の妻となったときの三冬は、それまでの若衆髷《わかしゅわげ》が急に伸びるわけでもないので、髪をうしろへ垂らし、その先を束ね、紫|縮緬《ちりめん》をもって包んだ。  これは他《ほか》ならぬ、おはる[#「おはる」に傍点]の考案であったが、三冬は、 「これはよい」  すっかり気に入ってしまい、いまもって、これを変えようとはせぬ。 「たまさかには女髷《おんなまげ》を結わせてみたらどうじゃ」  と、小兵衛も、よく大治郎へすすめるのだが、 「いや、父上。あのほうが三冬らしくてよいのではありませぬか」  大治郎は取り合おうともせぬ。  帯も、いくらか細目にして、六十年前の享保《きょうほう》の時代《ころ》をしのばせる水木結《みずきむす》びにし、小袖《こそで》の袂《たもと》も短目《みじかめ》で、これに四ツ目結の紋をつけている。  この日も三冬は、そのような姿で鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅へあらわれた。 「大治郎どのが、父上のごきげんをうかがってまいるようにとのことでございます」  と、三冬がいい、手にした包みをひらき、 「母上に御教示をうけ、私が、どうやら縫いあげましたもの。拙《つた》ないものではございますが、お召し下さいませ」  小兵衛の袖無《そでなし》羽織を出した。 「あれまあ、よく出来ましたよう」  と、おはる。 「母上のおかげでございます」  このごろの三冬は、神妙をきわめている。 「そうか、そうか。では、さっそくに着せてもらおう」  よろこんで身にまとった秋山小兵衛へ、三冬が、 「父上。薬湯のにおいがいたします」 「わしではない。怪我人《けがにん》が奥に寝ているのじゃ」 「それは、どなた……?」 「ま、ゆるりとはなしてきかせよう。急ぐのかえ、帰りを……?」 「いえ、今夜は、田沼屋敷の帰りに本銀町《ほんしろがねちょう》の間宮《まみや》先生の道場へまわり、久しぶりにて酒を酌《く》みかわすことになっているそうでございます」 「そうか。それなら、ここで夕餉《ゆうげ》をすませて行きなさい」 「はい。御馳走《ごちそう》に相なります」  と、なかなかに三冬、以前の男ことば[#「男ことば」に傍点]が除《と》れぬらしい。 「ところで、父上……」 「何じゃな?」 「堤の下の木蔭《こかげ》から、この家《や》を窺《うかが》っている者がございました。私、知らぬ顔をして通りすぎてまいりましたが……」 「ほう。そうか……」  その男は、裾《すそ》をからげた三十がらみの男で紺の筒袖の半纏《はんてん》を着ていたという。 「何だろうねえ、先生……」 「おはる、心配をするな。それよりも、夕方には何か、うまいものをこしらえておくれ」  それから二刻《ふたとき》(四時間)ほどがすぎた。  夕闇《ゆうやみ》が濃くなってきて、隠宅の障子は閉じられ、秋山小兵衛は居間で、西川祐信《にしかわすけのぶ》の絵入りの伊勢物語《いせものがたり》を読んでいる。  依然、高瀬照太郎は、深い眠りをむさぼっていた。  顔にも血の色が浮いてきたようだし、呼吸も落ちついているので、 (これならば、もしやすると……?)  回復するのではないかとおもい、すこし前に小兵衛は高瀬の枕頭《ちんとう》をはなれ、居間へもどって来たのである。  台所から、庖丁《ほうちょう》を使う音が聞え、三冬とおはるが、ひそやかに語り合っているようだ。  何やら知らぬが、うまそうなにおいがただよっている。 「これ、おはる……おはるよ」 「あい」  返事をして、おはるが小廊下の境の板戸を開け、 「先生。よびなすったかよう?」 「おお、よんだとも。女のおしゃべりは際限のないものじゃな。こんなに暗くなったではないか。灯《あか》りを入れなさい」 「あ、忘れていた……」  すぐに、おはるが行燈《あんどん》へ火を入れ、居間へ運んで来て、また小廊下へ出て行った。  奥の部屋へも灯りを入れるつもりらしい。  小兵衛は、読みさしの伊勢物語へ目を移しかけたが、何をおもったのか、顔をあげて縁側に面した障子の一点へ視線を走らせた。  小兵衛の右手が、ゆっくりと書物を閉じた。  おはるが開け放したまま出て行った板戸の向うから、三冬が音もなく居間へ入って来た。  これをちらり[#「ちらり」に傍点]と見やった秋山小兵衛へ、 「父上。怪しきやつどもが……」  と、三冬がささやいた。 「うむ……」  そのときであった。 「先生。高瀬さんのぐあい[#「ぐあい」に傍点]が変になったよう」  奥の間で、おはるが高い声をあげた。 「何……」  おもわず、片膝《かたひざ》を立てた秋山小兵衛へ、三冬が大きくうなずいて見せた。 「では、たのむ」  小兵衛が立ち、刀掛けの大刀を取って三冬へわたし、奥へ入った。  なるほど、高瀬照太郎の呼吸が切迫している。 「宗哲先生をよんで来ます」  と、腰をうかしたおはるへ、 「ここにいろ。出ては危ない」 「えっ……?」  このとき、居間の三冬が立って、庭に面した障子を開けた。  覆面の侍が六人ほど、早くも抜刀し、夕闇の中をひたひた[#「ひたひた」に傍点]とせまって来た。 「退《さが》れ!!」  凛然《りんぜん》たる三冬の一声に、曲者《くせもの》どもは、おどろいたらしい。 「女、退《ど》けい!!」  わめきざま、押し入ろうとする一人へ、三冬の抜き打った刃《やいば》が疾《はし》った。 「うわ……」  大刀をつかんだままの、そやつの手首が切断され、庭の土へ飛んだ。  曲者どもは、瞠目《どうもく》し、狼狽《ろうばい》した。  そこへ、縁側から飛び下りた三冬が、片膝を突きざま、 「不埒者《ふらちもの》め!!」  一人の太股《ふともも》を、ざっくりと切り割った。 「ぬ!!」  正面の後方にいた一人が走りかかり、三冬の真向《まっこう》から刀を打ち込んできた。  これを、 「待っていた……」  かのように、すっく[#「すっく」に傍点]と腰を伸ばした三冬の一刀が、打ち下ろされた相手の刀を下から擦りあげ、頭上に一回転したかと見る間に、そやつの左の横面をすぱっ[#「すぱっ」に傍点]と切った。 「ぎゃあっ……」  血飛沫《ちしぶき》をあげ、刀を放《ほう》り落し、その曲者は必死で逃走する。  残るは三人……。  一方、奥の部屋では、高瀬照太郎の手をにぎりしめた秋山小兵衛が、 「高瀬。わかるか……わしが、わかるか?」  高瀬が凝《じっ》と小兵衛を見て、うなずいた。 「苦しいのかえ?」  高瀬が、かぶりを振り、微笑《ほほえ》む。 「わしがついているぞ。さ、しずかに眠るがよい」 「先生……」 「なんじゃ?」 「高瀬照太郎、死ぬる間際《まぎわ》に、おもいもかけぬ、倖《しあわ》せを、得ましてございます……」  庭のあたりで、また一人、曲者の悲鳴があがった。 「高瀬。これ、高瀬……」  おはるが、小兵衛の背中へしがみついてきて、 「宗哲先生を、早く、よんで来ないと……」 「もう、よいわえ」 「え……」 「ごらん。高瀬はもう、遠いところへ行ってしまったよ」  庭の斬《き》り合いの物音は、熄《や》んだようである。      七  このときの斬《き》り合いで、三冬は一人も殺《あや》めていなかった。  いずれも、闘うことが不可能な傷をあたえたのみである。さすがに三冬の手練は冴《さ》えたもので、それに大治郎の妻となってからも稽古《けいこ》をつづけていたのだから、以前の三冬よりも上達しているといってよい。  曲者《くせもの》どものうち、三冬は一人を捕えておいた。残る五人は逃げた。  捕えた曲者は浪人らしい。小兵衛は、こやつの傷の手当をしてやってから手足を縛り、物置小屋へ閉じ込めておき、翌日、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》をよんで、引きわたした。  その翌々日に弥七がやって来て、浪人の自白を小兵衛につたえた。  それによると、三人の浪人たちは、常州・笠間藩《かさまはん》の藩士に、合わせて金五両で雇われ、三人の藩士と共に秋山小兵衛を暗殺しようとしたのだそうな。 「なるほど。それでわかった。おそらく、その笠間藩士たちは、わしが、かのお絹とやらいう女を助けたとき、蹴散《けち》らしてやったやつどもなのだろうよ。あのとき、お絹は、あの料理茶屋になじみ[#「なじみ」に傍点]の男としけ[#「しけ」に傍点]込んでいたところを、偶然に来合せた常客の藩士たちに見つかったにちがいない。藩士たちにしてみれば、むかし、同じ家中《かちゅう》の侍を殺して逃げた高瀬とお絹ゆえ、女を見つけたからには捨てておかれなかったのであろう」 「それで、此処《ここ》へ押しかけて来ましたのは、やはり、その高瀬さんを目当てにしてなので……?」 「弥七。あの連中はな、高瀬がわしのところにいようなどとは、夢にもおもっていなかったろう。どこまでも、わしに痛めつけられた無念ばらしにやって来たのじゃ」 「では、どうして、ここがわかったのでございましょう?」 「大方、道を歩いているわしを見かけ、後を尾《つ》けて来たのではないか。そんなところだろう」  捕えた浪人の自白があったのでは町奉行所も捨てておかれず、辰《たつ》ノ口《くち》にある牧野|越中守《えっちゅうのかみ》・江戸屋敷へ照会をした。  牧野家でもおどろき、いろいろと、 「もめて[#「もめて」に傍点]いるらしゅうございますよ」  と、弥七がいった。 「ではな、弥七。わしと高瀬照太郎のことを、すべて申しつたえてやるがよい。高瀬が、もはやこの世[#「この世」に傍点]の人ではないことも、な……」 「かまいませんので?」 「ああ、かまわぬとも。わしが奉行所へ行ってもよいぞ」 「いえ、そんな御厄介《ごやっかい》をおかけ申すものじゃあございません」      ○  さて……。  これは翌年の、初夏の或《あ》る日のことであったが、この日も小兵衛は、おはる[#「おはる」に傍点]の舟で深川へ出かけ、半日をすごし、夕暮れも間近くなってから、大川《おおかわ》を引き返して来た。  めっきりと日も永くなり、晴れわたった夕空の下、こころよい川風に目を細めていた秋山小兵衛が、ふと、向うを見て、 「おはる。見てごらん」 「何ですう?」 「あそこへ行く舟に、去年の、あのときの女が乗っているよ」 「えっ……どこ、どこですよう?」 「ほれ、そこの……」 「あれ、ほんとだよう」  行き交う舟の中に、例によって町女房ふうの姿《こしらえ》をしたお絹が、どこぞの大店《おおだな》の主人《あるじ》とも見える中年の男と共に酔顔をならべ、何やらうれしげに語り合っているではないか。 「あれまあ、ほんに憎らしいよう」 「憎らしいか」 「だって、高瀬さんを、あんな目にあわせておいて、平気で、男とくっついているのだもの。先生は憎らしくないんですかよう」 「別に……」 「どうして……どうしてですよう?」 「女という生きものはな、むかしのことなぞ、すぐに忘れてしまうのさ。お前だって、わしが死んだら一年もたたぬうちに、若くて活《いき》のいい男《やつ》をこしらえて、今日の酒はうまいとか何とか、うれしそうにやっているにちがいないさ」 「あれ、何てことをいいなさる。ばか[#「ばか」に傍点]なことをいうもんでねえよ」  おはるが満面に血をのぼせ、怒り出した。 「あ、ごめん、ごめん」 「私を、そんな女だとおもっているのかね、先生は……」 「いや、冗談じゃ」 「自分の女房に向って、冗談にもほどがある」 「よし、わかった。よし、よし……」 「もう、知らない」  舟は、大川橋(吾妻橋《あずまばし》)の下をぬけた。  お絹を乗せた舟も、小兵衛たちの舟のすこし先をすすんでいる。  行き交う舟もあって、お絹は、小兵衛とおはるにまったく気づかぬ。  去年の、あの事件は、牧野家から、 「高瀬照太郎なぞという者は、かつて、当家に奉公したこともない」  という返事が町奉行所へとどけられ、事件は有耶無耶《うやむや》になってしまったらしい。  高瀬の遺体は、いま、小兵衛の菩提所《ぼだいしょ》・本性寺《ほんしょうじ》の墓地に眠っている。 「おはる。これ、おはる……まだ、怒っているのかえ?」 「知らない、知らない、知らない!!」 「よし。それではどうじゃ。ひとつ、高瀬照太郎の敵討《かたきう》ちをしてやろうではないか。え……?」 「あの女の首を切っちまうんですか?」  おはるが目をかがやかせた。 「まさか……」 「じゃあ、どうするんですよう」 「ま、見ておいで。その竿《さお》をお貸し」 「あい」  おはるがよこした竿を手にした小兵衛が、 「そろそろと、うしろから、あの舟へ近寄っておくれ」 「よしきた」  おはるが、たくみに艪《ろ》をあやつり、お絹の舟へ近寄って行く。  左岸に、浅草寺の大屋根が夕陽《ゆうひ》に光って見えた。  燕《つばめ》が一羽、大川の川面《かわも》をすれすれに飛んで来て、小兵衛の眼前を高く高く舞いあがって行く。  行き交う舟も、少なくなってきていた。 「いいかえ、あの舟の右手を擦りぬけるのじゃ」 「いいともよう」  おはるの両眼《りょうめ》は血走り、昂奮《こうふん》のために小鼻がふくらみ、ひくひく[#「ひくひく」に傍点]とうごいている。  小兵衛の舟が、目ざす相手の舟の右側を擦りぬけんとするとき、 「おい、これ女。わしの顔を忘れたか?」  大声でよびかけた小兵衛を見やったお絹が、 「あ……あのときの……」 「高瀬照太郎の臨終は、わしが見とったぞ」 「えっ……」  おどろいたお絹の胸のあたりを、小兵衛が竿で打ちはらった。 「あっ……」  一声を残し、お絹が仰向《おおむ》けに大川へ落ちた。 「な、何をしやあがる!!」  船頭がわめき、お絹の連れ[#「連れ」に傍点]の男が舟に突っ立ち、 「助けてくれえ……」  と、叫んだ。 「おはる。それ、急げ」 「あいよう」  ここぞとばかり、おはるが艪を漕《こ》ぐ。  向うの船頭は、こちらを追いかけようにも、客の女が川へ落ち込んだのを捨ててはおけぬ。 「畜生め」  わめいておいて、ざんぶ[#「ざんぶ」に傍点]と川へ飛び込んだ。 「それ、漕げ。逃げろ、逃げろ」 「まかしておいて下さいよう」  小兵衛とおはるの舟は、たちまちに遠ざかった。 「おはる。もういいぞ。やすめ、やすめ」 「ああ、気が晴れた……」 「機嫌《きげん》が直ったかえ?」 「直りましたよう」     秋の炬燵《こたつ》      一  江戸の東郊・押上《おしあげ》村(現・東京都墨田区押上町)の片隅《かたすみ》の、十間川に沿った木立の中に、長竜寺《ちょうりゅうじ》という小さな寺がある。  杉原秀《すぎはらひで》は、前日、長竜寺を訪れ、元照和尚《げんしょうおしょう》がすすめるままに一夜をすごした。  杉原秀については〔手裏剣《しゅりけん》お秀〕の一篇にのべておいた。いまも、この女武芸者は、品川台町に道場を構え、近辺の若者たちへ剣術を教えている。  お秀は、根岸流《ねぎしりゅう》・手裏剣の名手だが、亡父・杉原|左内《さない》ゆずりの一刀流も相当につかうのである。  父|亡《な》きのち、ささやかな道場を受けつぎ、お秀は近辺の農家・町家の若者たちを教導しているが、手裏剣だけは教えぬ。  手裏剣は一種の〔飛び道具〕であるから、よほどに人格ができていないと、なまじ、手裏剣の撃ち方をおぼえたがために、自他へ害をおよぼすことになりかねない。  伊勢《いせ》・桑名の浪人であった父の左内にからむ遺恨の襲撃を受けた杉原秀は、秋山|小兵衛《こへえ》に危急を救われた。  それ以来、お秀は秋山|父子《おやこ》と親しくなり、三月《みつき》に一度ほどは小兵衛の隠宅へあらわれるようになったのである。  ところで……。  押上村の長竜寺の老和尚は、これも桑名の出身で、お秀の父とは幼ななじみでもあることから、杉原左内の墓も長竜寺の墓地にあった。  およそ半年ぶりに、父の墓に詣《もう》で、一夜を泊したお秀は、翌日も老和尚と〔むかしばなし〕にふけるうち、いつの間にか、夕暮れとなってしまった。 「いま一夜、泊って行くがよい」  しきりにすすめる老和尚へ、 「いえ、今夜は鐘《かね》ヶ淵《ふち》の秋山小兵衛先生のお宅へ泊めていただきまする」 「おお……あの剣術の名人のことかな?」 「はい。しばらく、秋山先生にも御無沙汰《ごぶさた》をいたしておりますので」 「さようか。ならば、とめはすまい」 「久方ぶりにて、たのしゅうございました」 「わしもじゃ。父の墓が当寺に在ることを忘れるなよ」 「まさかに……」 「冗談じゃ、冗談じゃ。なれど、たまさかには顔を見せておくれ」 「はい」 「秋山先生には、まだ、お目にかからぬが、よろしゅうな」 「心得ました」  お秀は、長竜寺の提灯《ちょうちん》を借り、十間川沿いの道へ出た。  夕闇《ゆうやみ》は、まだ淡かったけれども、このあたりはまったくの田園地帯だけに、道行く人の姿も、ほとんど絶えていた。  お秀は、道を西へとった。  その突き当りは大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)である。  大川へ出て、源森橋をわたり、北へすすめば、やがて秋山小兵衛の隠宅へ到着する。  例によって、お秀は黒髪を無造作に束ねて背中へまわし、洗いざらしの木綿の着物という姿《いでたち》で、化粧の気もない顔は日に灼《や》けつくし、眉《まゆ》は黒ぐろと濃い。  日中は晴れわたっていた空が、いくぶん曇りはじめ、行手に見える桜の老樹が早くも紅葉《もみじ》していた。  近くの田圃《たんぼ》で、鴫《しぎ》が鳴いている。  昨夜は小兵衛の隠宅へ、 (泊めていただく……)  つもりでいたお秀ゆえ、品川台町の道場へ帰るのが一日遅れることになった。  門人の若者たちが、 (さぞ、心配をしていよう)  苦笑を浮べたお秀が、彼方《かなた》を見やって、 (はて……?)  おもわず、身を屈《かが》めた。  彼方の木立の中から、よろよろと十間川沿いの道へあらわれた男がひとり、泳ぐように両手を前方へ突き出したかとおもうと、道へ倒れ伏すのが見えたからだ。  まさに、 (徒事《ただごと》ではない……)  と、看《み》てとり、お秀は一気に走り寄った。  そのときである。  また、ひとり、木立の中から駆けあらわれたものがある。四、五歳の男の子であった。  ほとんど同時に、木立から走り出た男が、その子供へ飛びかかった。  男の子の泣き声が聞えた。  子供を押えつけた男の手に短刀《あいくち》が光るのを、お秀は見た。  見た途端に、お秀の右手は道の石塊《いしくれ》をつかみ、身を起すと共に投げ撃った。  余人ではない。手裏剣の名手が投げ撃った石塊なのだ。  夕闇を切り裂いて疾《はし》った石塊は、男の顔面へ命中した。 「あっ……」  男は驚愕《きょうがく》した。まさかに、おのれの兇行《きょうこう》を見ているものがいようとはおもわなかったらしい。  男の手から短刀が落ちた。  お秀が投げた二つ目の石塊に腕を強打されたのだ。  男は、片手に鼻のあたりを押え、必死に逃げた。  おそらく男は、自分へ石塊を投げつけた者を、女とたしかめる余裕《ゆとり》さえなかったろう。  駆け寄ったお秀は、逃げた男を追うよりも、倒れている男の、 (介抱をせねば……)  と、おもい、泣きじゃくる男の子を片手に抱きしめつつ、 「これ……これ、どうなされた?」  声をかけて屈み込んだとき、胸から腹のあたりを血に染めた中年の男が凄《すさ》まじい形相で、 「ち、畜生……騙《だま》しゃあがった……」  呻《うめ》くがごとくいい、がっくりと息絶えてしまったのである。      二 「なるほど……」  秋山小兵衛は、杉原|秀《ひで》が語るのを聞き終えて、 「さて……どうしたものかのう」  おはる[#「おはる」に傍点]の腕の中で、ぐっすりと眠っている男の子を見やった。  男の子は、お秀に背負われ、この小兵衛の隠宅へ着く前に、泣き疲れて半ば眠っていた。  背中で泣く子をなだめながら、こうしたことには慣れていないお秀が、それでも聞き出したのは、 「婆《ばあ》やのお家《うち》にいた……」  と、いうことと、 「ぶんたろ……」  という名前だけであった。  ぶんたろ[#「ぶんたろ」に傍点]は〔文太郎〕なのであろう。  いまひとつ、お秀が「坊やはいくつ?」と尋《き》いたら「四つ……」と、こたえたそうな。 「私の背《せな》におりますときも、何やら怖々《おどおど》として、物に怯《おび》えているような……」  お秀は、そういった。 「坊やのお家はどこ? 婆やのお家は……この近くですか?」  などと尋ねても、文太郎はかぶり[#「かぶり」に傍点]を振るばかりであったという。  殺された中年男の風体《ふうてい》は、たとえていうなら、 (長竜寺の下男のような……)  もので、遠方からあの[#「あの」に傍点]辺りへやって来たようにもおもえなかったが、こうした場合、どのような処置をとったらよいのか、お秀には見当もつかなかった。  長竜寺へもどり、老|和尚《おしょう》に相談をしようと考えもしたが、 (このようなときは、秋山先生のお知恵を……)  と、こころを決めた。  なにぶんにも、これは血なまぐさい事件なのだ。  中年男が殺害されたことはさておき、四歳の幼児までも、あの怪漢は手にかけよう[#「手にかけよう」に傍点]としたのである。 「男の死体は、そのままにしておいたのかえ?」 「はい。いけませぬでしたでしょうか?」 「何、かまわぬさ」 「とんだ御迷惑をおかけしてしまいまして……」 「それは、お前さんとて同じことじゃが……ときに、此処《ここ》へ来る途中、人に後を尾《つ》けられはしなかったかな?」 「さ、それは……」 「ふうむ……」  小兵衛は、うなずきはしたけれども、安心をしたわけではない。いかに武術の心得があっても、人を変え、手段を変えて尾行されたのでは、防ぎようがないのだ。 「ま、よいわ。今夜は、この坊主《ぼうず》と共に、泊って行きなされ」 「かまいませぬか?」 「よいとも。お前さんとわしがいる、この家《や》へ悪い漢《やつ》どもが押し入って来たら、それこそ、飛んで火に入る夏の虫じゃ」 「では秋山先生。あの曲者《くせもの》の他《ほか》に、まだ……?」 「一応は、そのことも考えておかねばなるまいよ」 「はあ……」 「これ、おはる。何をきょとん[#「きょとん」に傍点]としているのじゃ。腹が鳴っている音が聞えぬのか」 「あ……もう、こんなに暗くなっちまって……この子は、奥へ寝かしておきますかね?」 「うむ。そしてな、その境の襖《ふすま》を開けておくがよい」 「あい、あい」  夢からさめたような顔つきで、おはるが文太郎を抱いて立ちあがった。  その夜ふけに……。  秋山小兵衛は、隠宅の周辺を一人でまわってみた。  怪しいもの[#「怪しいもの」に傍点]の気配は、まったくなかったが、油断はならぬ。  文太郎は、一度目ざめたが、おはるがうまくあやなして、小用をさせ、また寝かしつけた。  野良《のら》仕事に出ている母親のかわりに、小さな弟妹の面倒を見てきたおはるゆえ、こうしたことは、 「堂に入った……」  ものなのである。 「おはる。そっと[#「そっと」に傍点]舟を出せるかえ?」  外からもどった小兵衛に問われて、おはるが、 「あい、出せますよ」 「月はないが、舟に灯《あか》りを入れたくないのだ」 「大丈夫ですよ。あの男の子を、何処《どこ》かへ移すのかね?」 「ほう……えらいな。よくわかったものじゃ」 「それくらい、わかりますよう」 「では、たのむ」  庭先へ大川の水を引き入れた〔舟着き〕へ、小兵衛が文太郎を抱いて乗りこむと、おはるは、すぐに竿《さお》をあやつり、舟を出した。  お秀は庭の一隅《いちぐう》に立ち、暗闇《くらやみ》の気配に耳をすませていた。  秋山小兵衛ひとりが、隠宅へもどって来たのは、空が白みかけてからだ。  小兵衛は舟でもどったのではない。  徒歩で大川橋(吾妻橋《あずまばし》)をわたり、帰って来たのである。  お秀は、一睡もせずに待っていた。 「お帰りなされませ」  にっこりとして、小兵衛が、 「もう大丈夫じゃ」 「はい」 「そうじゃ。朝餉《あさげ》の仕度をしてくれるかな」 「させていただきまする」 「手裏剣の名人が炊《た》く飯の味、たのしみじゃな」 「ま、先生……」  このときばかりは杉原秀、いかにも女らしく顔を赤らめたものである。 「朝餉がすんだなら、帰りなさるがよい。門人たちが案じていよう」 「なれど、先生御夫妻にのみ、御面倒を押しつけましては……」 「そうおもうなら、二、三日して、また来てごらん」 「はい。では、お言葉にあまえまして……」 「まあ、わしにまかせておけ」 「かたじけなく存じまする」 「あの、文太郎という子じゃが……」 「はあ……?」 「人品も悪くない。それに、身につけているものも、あの辺の農家の子ともおもえぬ」 「私も、さようにおもいました」 「ともかくもお秀どの。あの子の一命だけは、何としても、まもってやらねばならぬのう」  朝餉をすませ、内外の掃除を終えてから、お秀は品川台町の道場へ帰って行ったが、遅くも明後日には、様子を見に引き返して来るつもりであった。  お秀が帰り着いたかとおもわれる時刻《ころ》になって、音もなく、雨が降りはじめた。  小兵衛は庭に面した障子を一枚だけ開け、小掻巻《こかいまき》に身をくるみ、寝そべって、橘保国《たちばなやすくに》の〔絵本・野山草〕五巻をたのしんでいる。この絵本は宝暦五年の出版で、二百種におよぶ草花を保国が丹念に描いたものだ。 (わしも年齢《とし》の所為《せい》か、ちかごろは、こんなものを見るのがたのしみになってきたわえ)  そこへ、秋山|大治郎《だいじろう》が何やら風呂敷包《ふろしきづつ》みを持ち、庭先へ姿をあらわした。 「父上。弁当を持ってまいりました」 「おお、そうか……」  座敷へあがった大治郎が、 「父上。妙な男が二人ほど、堤の上に……」 「ほう……来たな」 「よくは、わかりませぬが……」 「お前のほうは、大丈夫だろうな」 「御念にはおよびませぬ」 「なれど、帰りには気をつけるがよい」 「はい」 「坊主は、どうしている?」 「母上には、なついているようですな」 「そうか、ふむ……」 「母上が、すこしずつ、何やら聞き出そうとしておられます」 「ふむ、ふむ……」  二段重ねの重箱を開けた小兵衛が、 「ふむ、炒《い》り鶏《どり》に玉子焼か。こいつはいい。何しろ、大治郎。手裏剣の名人がこしらえた味噌汁《みそしる》には閉口したよ。お秀は毎朝、あんなに薄い味噌汁をやっているのかねえ」 「父上は、ちかごろ、贅沢《ぜいたく》になられましたな」 「三冬《みふゆ》は、どうじゃ」 「母上のお仕込みにて……」  にやり[#「にやり」に傍点]と笑った大治郎へ、 「こいつめ」  と、小兵衛が睨《にら》んだ。 「父上。四谷《よつや》の弥七《やしち》さんへは、不二楼《ふじろう》の若い者を使いに出しておきましたが……」 「それでよい」 「では、これにて……」 「ま、よいではないか。この弁当を、いっしょにやろう。待て、酒の仕度をして来る」 「なれど、父上……」 「何、三冬がおれば気づかいない。先ごろ、この庭先で曲者六名を相手にしたときの三冬がはたらき、見せたかったよ、お前に……」 「見なくとも、わかります」 「こいつ、ふざけるな」 「堤の上を見てまいりましょうか?」 「放《ほう》っておけ、放っておけ」      三  その日の夜になっても、飯富《いいとみ》の亀吉《かめきち》の熱は下らなかった。 (ち、畜生め……ひ、ひどい目に合わせやがって……)  芝《しば》の白金《しろがね》の外れにある常林寺《じょうりんじ》という小さな寺の、物置小屋を改造した住居《すまい》で、亀吉は呻《うめ》いていた。  昨日の夕暮れに、亀吉が押上《おしあげ》村の道で一人を殺し、残る一人……その小さな男の子を殺しかけた途端、何処からともなく飛んできた石塊《いしくれ》を鼻柱に受けたときは、 (もう、死ぬか……)  と、おもったほどだ。 (おれとしたことが……まあ、何てえことだ……)  金で人殺しを請け合うことを業《なりわい》にしている飯富の亀吉にとって、これは、ゆるされるはずもない失敗なのだ。  だが、顔面を撃たれ、さらに腕を撃たれて短刀《あいくち》を手放したとき、いい知れぬ恐怖が亀吉を抱きすくめてきたのだ。  目も暗み、鼻からほとばしる血汐《ちしお》にもあわてたが、何よりも、これまで何人もの血を吸ってきた短刀が自分の手から落ちたことに、亀吉は動転したのである。 (畜生め。どこのどいつだ、おれを、こんな目に合わしゃあがったのは……)  泣くにも泣けない。  夜の闇《やみ》にまぎれて、押上村から、この白金までたどりつく間に、亀吉は何度も気をうしないかけた。  亀吉は、小間物の行商をしているというふれこみ[#「ふれこみ」に傍点]で、常林寺の、この小屋を借りている。  人殺しを〔商売〕にしている男にとっては、絶好の隠れ家《が》といえよう。  昨夜おそく、この小屋へ帰って来てから、亀吉は物も食べず、激痛にさいなまれ、高熱に悩まされた。 (ともかくも、昨夜の始末を、元締へお知らせ申さなくてはならねえ)  熱にうなされる合間に、ふっと、そうおもうのだが、全身が自分のものではないようにちから[#「ちから」に傍点]を失い、寝床へ倒れこんだきり、起きあがれなくなってしまった。  一間《ひとま》きりの小屋の中に、激しい臭気がこもっている。  知らぬ間に亀吉は、大小の便を洩《も》らしていたのだ。  飯富の亀吉は、今度の〔殺し〕を金三十両で請け負った。  三十両といえば、そのころの庶民が家族そろって三年は楽に暮せる金高《きんだか》であった。  今度の〔殺し〕を亀吉にたのんだのは、白金一丁目の正蓮寺《しょうれんじ》門前に住んでいる香具師《やし》の元締、白金の徳蔵である。  目黒から渋谷《しぶや》へかけての、江戸南郊一帯には、目黒不動尊をはじめ著名な寺社も少なくない。それに付随する盛り場を舞台とする香具師が白金の徳蔵の支配下にあることはいうまでもなく、茶店、料理屋なども、徳蔵に睨《にら》まれては、 「何をされるか知れたものではない」  というので、 「一目《いちもく》も二目も、おいている……」  そうな。  しかし、そうした〔顔役〕の凄味《すごみ》は、平常の白金の徳蔵に、いささかも感じられない。  正蓮寺門前の茶店を古女房にやらせている徳蔵は、六十前後の痩《や》せこけた老爺《ろうや》にすぎないし、めったに人前へ顔を見せることもないのだ。  現に、飯富の亀吉も〔白金の元締〕の顔を見たことは一度もない。徳蔵の使いには、いつも、その片腕といわれている赤沼の儀平《ぎへい》があらわれる。  昨夜の〔殺し〕について、赤沼の儀平は、こういった。 「七ツ(午後四時)までに、押上の最教寺の門前にいてくれ。しばらく待っていると、四つか五つぐらいの男の子を背負《おぶ》ったこれこれ[#「これこれ」に傍点]の男がやって来る。いいかえ、この菅笠《すげがさ》をね、お前さんは手に持っていてくれ。ほれ、ここに赤い紐《ひも》がつけてある。これ[#「これ」に傍点]を見て、その男が目で合図をするから、後を尾《つ》けて行けばいいのだ」 「すると、その、子供をおぶった男は、こっちの味方《ひと》なんですね?」 「うむ。まあ、そんなところだが……」 「すると、殺《や》るのは子供のほうなんで?」 「嫌《いや》かえ?」 「いえ、かまやあしません」 「こっちの的は、その子供《がき》なのだが、男のほうも消してもらいたいのだ」  こういって赤沼の儀平は、半金の十五両を亀吉の前へ置いた。なるほど、子供ひとりの〔仕掛金《しかけがね》〕としては多かった。 「ですが儀平さん。子供をおぶった男は、こっちのほうの……?」 「かまわねえのだ」 「へい」 「向うは、まさかに殺《や》られるとはおもっていねえ。そこのところを、お前さんがのみ込んでいてくれりゃあいいのさ」 「わかりました」  人知れずに〔殺し〕を仕てのけるのだから、手引きをした男もついでに消してしまうことも、めずらしいことではない。  で、昨日……。  赤沼の儀平が指示したとおりに、事はすすめられた。  最教寺の門前の塀《へい》ぎわに屈《かが》み込み、飯富の亀吉が煙草《たばこ》を吸っていると、男の子を背負った四十がらみの男が通りかかり、亀吉が持っている笠を見ると、目で合図を送ってよこし、そのまま、十間川の方へ行く。  そして、あのときの木立の中へ入って行ったのである。  亀吉が追いつくのを木立の中で待っていた男が、 「約束のもの[#「もの」に傍点]を先にもらおう」  と、左手を出した。  右腕は背中の子供をささえていた。 (約束のもの[#「もの」に傍点]……?)  それは亀吉、前もって聞かされていなかった。  亀吉は、先《ま》ず子供を殺しておいてから、つぎに男を……と、おもっていたのだが、こうなれば仕方もない。それにまた、どっちを先にしようが同じことなのである。 「うむ……」  ふところへ手を入れて、うなずきつつ近寄った亀吉が、短刀を引きぬくや、物もいわずに男の左の胸下へ突き入れた。  男は唸《うな》り声をあげ、亀吉を突き飛ばし、子供を背負ったまま逃げ出したが、たまりかねて両膝《りょうひざ》をつき、 「逃げろ。早く、逃げろ」  と、子供を背中から振り落した。  そこへ、また、飯富の亀吉が躍りかかり、短刀で腹を突いた。  男は「畜生……」と、亀吉へしがみついた。  これを振り放し、木立の外の道へ突き飛ばしておいて、亀吉は、逃げまわる男の子を掴《つか》まえにかかった。  男の子は、小さく叫び、泣きながら、よちよち[#「よちよち」に傍点]と道へ逃げた。 (もう、こっちのものだ)  日中の、人の目がある場所でも、平気で〔殺し〕をやってのける亀吉だけに、落ちついてもいたし、余裕《ゆとり》もあった。相手は手向いもできぬ幼児なのだ。  ところが、亀吉のおもいもかけぬ事態となったのである。 (ああ、畜生……いつまでも、ここに寝ているわけにはいかねえ。このことを、早く、白金の元締へ知らせねえと……)  だが、どうしても起きあがれなかった。 (あ……あのとき、おれは、赤い紐のついた菅笠を、どこへ置いてきたのだろう……?)  そんなことが、ふっと、脳裡《のうり》をよぎって行く。 (ああ、畜生め。何で、こんなことになっちまったのか……)  高熱が、また、亀吉の意識を混濁させはじめた。  そのとき、小屋の中へ、だれか入って来た。  亀吉は起きあがろうとした。  黒い、大きな男の体が亀吉へのしかかり、ふとい腕が亀吉の喉《のど》へさしのべられた。  ほとんど、呻く間もなく、飯富の亀吉は締め殺された。      四  つぎの日も、夜に入ってから、四谷《よつや》の御用聞き・弥七《やしち》が、秋山小兵衛の隠宅へあらわれた。  小兵衛は、ひとりきりで酒をのんでいた。 「大《おお》先生。さぞ、御不自由でございましょう?」 「いまのところ、おはる[#「おはる」に傍点]を、よび返すわけにもまいらぬのでな」 「だれか、人をよこしましょうか?」 「なに、大丈夫さ。飯の仕度は、元長《もとちょう》の亭主にたのんだ」 「さようで……」 「ときに弥七。押上村のあたりを探ってみてくれたかえ?」 「はい。昨日、若先生にお目にかかり、くわしく、おはなしをうかがいましたので、さっそくに傘《かさ》屋の徳次郎をつれまして押上へまいりましたが、大先生。どうも、まだ、手がかりはございません」 「そうか。十間川沿いの道で殺された男の死体は?」 「それが、あのあたりの人たちは、見ていねえようでございますよ」 「ははあ……やはり、悪党どもが、どこかへ始末をしてしまったのじゃな」 「すると、やっぱり、他にも……?」 「見張っていたやつがいたのであろう。なればこそ、死体も隠し、お秀《ひで》の後をつけて、この、わしの家を見とどけたのじゃ」 「なるほど」 「だがのう弥七。わしとおはるが夜半《よなか》に、そっと、あの坊主《ぼうず》を大治郎の家へ舟で運んだことは気づいておらぬ。まだ、一昨日《おととい》は向うも、夜半の見張りまでは手がまわらなかったのだろうよ」 「いまも、どこかで見張っている奴《やつ》がおりますので?」 「さて、な……だが、子供がいないことだけはたしかめたろう。こんな小さな家じゃもの。それに、おはるの姿も見えぬし、わしには弁当が届くというわけじゃから、曲者《くせもの》どもも戸惑っているにちがいないわえ」 「大先生。明日も押上へ出かけますが、何しろ、あの辺りは出村《でむら》の長兵衛《ちょうべえ》という御用聞きの縄張《なわば》りでございまして、この男がその、なかなかに気むずかしい男なので、一応は念を通しておきませぬと、探りをかけるのにも不自由なんでございます。いかがでございましょう、この事件《こと》を長兵衛へ打ち明けてもようございますか?」 「さて……」  と、小兵衛が盃《さかずき》を弥七へわたし、酌《しゃく》をしてやり、 「ま、ゆっくりと相談をしよう。どうじゃ、泊って行かぬか?」 「私は、ちっともかまいません」 「よし。それなら、のみ直そう。食い物も元長からたっぷりと届いているからのう」  小兵衛は、昨夜のうちにも、この家へ曲者どもが押し込んで来るかと予想していた。  小兵衛を殺しにではない。何処《どこ》ぞへ誘拐《ゆうかい》して行くか、または、この場で拷問《ごうもん》にでもかけ、子供の隠し場所を吐き出させようとしてだ。  そうなれば、 (もっけ[#「もっけ」に傍点]のさいわいじゃ)  と、小兵衛は考えていた。  反対に、曲者どもを叩《たた》き倒し、そのうちの一人を引っ捕えて、泥《どろ》を吐かせてしまえばよいからである。  ところが昨夜は、この家へ近づく者の気配もない。 (では、今夜かな……)  と、小兵衛はおもっている。  昨日の朝、品川台町の道場へ帰って行った杉原《すぎはら》秀のことも気にかかるが、これは何といっても武道に達した女であるし、 「後を尾《つ》けられぬように、な」  と、小兵衛が念を入れてあるから、先《ま》ず、大丈夫だろう。  夜が更《ふ》けた。  のんで、食べて、秋山小兵衛は寝床へ横たわっている。  その腰を、弥七がもみほぐしていた。 「うまいな、弥七」 「こんなものでようございますか?」 「たまらないよ」 「え……?」 「まったく、たまらない。こたえられない」  と、目を細めた小兵衛が、さも、こころよげに、 「この年齢《とし》になると、もう、女より按摩《あんま》だねえ」 「大先生。そんなことを、おはるの御方《おんかた》へ申しあげてもいいんでございますか?」 「ああ、いってくれ。かまわぬとも」  なぞと、二人とも他愛《たわい》がない。 「のう、弥七……」 「はい?」 「お前なんぞは、まだまだ男の盛りゆえ、ときには女房と腰のもみっくら[#「もみっくら」に傍点]をしているのだろう、どうじゃ?」 「大先生……」  と、四谷の弥七が呆《あき》れ顔になって、 「むかし、仲町《なかまち》に道場を構えておいでのころとは、大先生も、まったく、お人がお変りになりました」 「人品が下落したかえ。うふ、ふふ……」 「それよりも大先生。明日のことを、どうなさいます?」 「その、出村の長兵衛とやらに、すべてを打ち明けて、ちからを貸してもらうという……?」 「はい」 「のう、弥七。いま、お前に腰をもんでもらいながら、ふと、おもいついたのじゃが……こんなのはどうだ?」  そして、しばらく、二人はいろいろと打ち合せをした。  それから枕《まくら》をならべて眠ったわけだが、ついに、この夜も隠宅へ近づく者の気配はなかったのである。  夜が明けて、 「こんな、小さな老いぼれを、まさか、曲者どもが怖がっているわけでもあるまいに……」  と、秋山小兵衛は不審げに洩《も》らした。  弥七が炊《た》いた朝飯を、二人して食べ終え、 「では大先生。これから一っ走り、お秀さんのところへ行ってまいります」 「すまぬな。駕籠《かご》を使っておくれよ」  そういっているところへ、当の杉原秀が庭先へあらわれた。 「おお、お秀さんか。ちょうどよかった。さ、あがっておくれ」 「先夜は、とんだ御迷惑をおかけいたしまして……」 「何の、かまわぬ。お前さんのほうに変りはなかったかえ?」 「はい」 「それならよい」 「秋山先生。その後、あの子供は?」 「心配はいらぬよ。すっかり、おはるに懐《なつ》いてしまったらしい」  今朝も、空は晴れわたっていた。  それから、しばらくして、お秀と四谷の弥七が連れ立ち、小兵衛の隠宅から出て行った。      五  その日の夜になって……。  白金《しろがね》一丁目の正蓮寺《しょうれんじ》門前にある、香具師《やし》の元締・白金の徳蔵の住居《すまい》で、徳蔵が赤沼の儀平《ぎへい》と共に密談をかわしていた。  この住居は、徳蔵の女房お吉《きち》がやっている茶店の裏手にあり、高い塀《へい》に囲まれた四|間《ま》ほどの小ぢんまりとした家だ。 「お前ともあろうものが、このざま[#「ざま」に傍点]は何だ。伊藤屋の子供《がき》が妙な女に助けられて、その鐘《かね》ヶ淵《ふち》の爺《じじ》いの家へ入ったのを突きとめていながら、子供の隠れ場所もわからなくなり、爺いの家へ出入りをする男や女の後を尾《つ》けるたびに、撒《ま》かれてしまうというのでは、はなし[#「はなし」に傍点]にもならねえ。たかが四つ五つの子供一匹を殺すのに、こんなにお前、日数《ひかず》と人手を増やしたのでは、百両の仕掛金をもらっても、間尺《ましゃく》に合うものじゃあねえ。こんなばか[#「ばか」に傍点]なまねをしていて、この白金の徳蔵の代人《だいにん》がつとまるとおもっているのか」  と、徳蔵は、こってり[#「こってり」に傍点]と餡《あん》をからませた大好物の団子《だんご》を食べながら、赤沼の儀平を叱《しか》りつけている。徳蔵は若いころから、一滴の酒も受けつけぬ体質なのだ。  叱りつけるといっても、別に大声をたてるわけではなし、ぼそぼそと低い声で儀平を責めているのだが、この小さな老人が上眼《うわめ》づかいにこちらを見る、その眼の色の凄《すご》さを儀平はだれよりもよく知っていた。  男ざかりの巨体を竦《すく》ませて、儀平は蒼白《そうはく》の顔をうつ向けたまま、一言もない。  今度の、〔伊藤屋勘次郎〕の息子で、四歳になる文太郎の暗殺を、金百両の仕掛金でたのんできたのは、これも香具師の元締で、芝から麻布《あざぶ》へかけての盛り場を縄張りにしている〔芝の治助〕であった。  白金の徳蔵と芝の治助は、双方の縄張りが隣接しているだけに、いろいろとその、悪事をはたらく面では協力をせざるを得ないところがある。  伊藤屋勘次郎は、日本橋・大伝馬町《おおてんまちょう》の木綿問屋で、四十三歳になる。先妻が亡《な》くなったのち、女中奉公に来ていたお絹《きぬ》というのへ手をつけて、お絹は文太郎を生んだ。  先妻との間に生れた二人の女の子が早世していただけに、伊藤屋勘次郎は、 「これで、伊藤屋の跡取りができた」  大よろこびだったそうな。  そこで伊藤屋は、お絹を正式の後妻に直すつもりでいたところ、急に、お絹が亡くなった。腹の激痛が三日つづき、呆気《あっけ》なく息絶えたのである。  その後、伊藤屋勘次郎は、芝の神明宮《しんめいぐう》前の大きな料理茶屋〔松屋|安右衛門《やすえもん》〕の姪《めい》で、これも前夫と死別れをしたおさい[#「おさい」に傍点]と再婚をした。  以前から商用の接待などにつかっていた松屋の主人《あるじ》・安右衛門と伊藤屋勘次郎は親しい間柄《あいだがら》だったし、それに、勘次郎は、 「これが、私の姪でございましてな。可哀相《かわいそう》に嫁いで間もなく死に別れをいたしましたので、いま、こちらへ引き取り、帳場の手つだいをさせているのでございますよ」  と、松屋安右衛門から引き合されたとき、一目で、おさいの美しさにひきつけられてしまったらしい。  そして、ついに……。  去年の春、おさいは伊藤屋勘次郎の後妻に入ったのであった。  おさいは、間もなく懐妊をし、この夏に、お小夜《さよ》という女の子を生み落した。  だが、白金の徳蔵は、そうした伊藤屋の内情などを、くわしく知っているわけではない。  ただ、芝の治助から、 「今度はひとつ、たのまれてくれねえか」  と、伊藤屋の幼い息子の〔殺し〕を依頼されただけである。  だが、白金の徳蔵は、芝・神明前の料理茶屋・松屋の主人が、芝の治助の兄だということはわきまえている。 「お前さんだからいうのだ。松屋の兄はね、腹ちがいの兄さ」  いつだったか、芝の治助が、そんなことを洩《も》らしたこともある。  ともかくも、 「子供一匹で金百両……」  の仕掛金は、悪くなかった。  ところが、これほどに面倒なことになると、百両もらっても、それこそ間尺に合わなくなる。現に一昨夜、〔殺し〕に失敗した飯富《いいとみ》の亀吉《かめきち》を殺すためには、別の男を十五両で雇ったりしているのだ。それにまた、鐘ヶ淵の老人の家を見張るための連中へも相応の手当を出さねばならぬ。 「どうして、その鐘ヶ淵の爺いを取っ捕まえ、泥を吐かせねえのだ?」  手指についた団子の餡を嘗《な》めとりながら、白金の徳蔵が、 「こうなったら、やって見るより仕方がねえのではねえか、どうだ?」 「ですが、元締……」  と、赤沼の儀平が、 「大野先生がいいなさるには、なんでも、その爺いは大変な、その、剣術の名人なんだそうで……」 「ふうむ。大野先生が、ね……」 「しかも、御老中の田沼様の息が、かかっているらしいので……」 「その爺いにかえ?」 「そうなんで。大野先生がそういっております。あの爺《じい》さんだけには手を出すな。出したら最後、白金の元締がひどい目に合うと……」 「ふうむ……」  どうも、徳蔵には納得ができないらしい。  飯富の亀吉の殺しの現場へ、配下の男ふたりを見張りに出してやったのは、さすがに徳蔵の念の入れ方がよかった。しかし、亀吉の手にかかった男の死体を始末したのはよいが、子供を背負って鐘ヶ淵の老人宅へおもむいた妙な女[#「妙な女」に傍点]を尾けて行った配下の一人が、何故《なぜ》、女の手から子供を奪い返さなかったのか……それが、いまさらに、残念でならぬ。  けれども、こうしたときの配下の男たちにとっては、 「よけいなことをするな」  が、鉄則である。  殺しは亀吉が請け負ったのだ。配下の男たちは、その現場を見とどけることだけが、白金の徳蔵から命じられた〔役目〕なのだ。  だから、むしろ、この二人が手分けをし、一人は死体の始末を、一人はお秀《ひで》の尾行をしただけでも、 「よくやった……」  ことになるのである。 「鐘ヶ淵の爺いの家の見張りは、いまも大丈夫なのだな?」 「ええ、それはもう……」 「そうだな……よし、明日はひとつ、おれが出張って見ようか。その爺いの面《つら》を白金の徳蔵が見てやろう」  と、徳蔵が団子の串《くし》を畳へ叩《たた》きつけた。  今朝、芝の治助が、この家へあらわれ、こういった。 「徳蔵どん。ありがとうよ。大伝馬町の伊藤屋では、文太郎が消えちまったというので大さわぎをしている。うまく仕てのけておくんなすったね」  それに対して白金の徳蔵は、白い眉毛《まゆげ》の一筋もうごかさず、 「いや、どうも……何とか、うまく始末をつけましたよ」  と、いい、残る半金の五十両を受け取ったのだ。  その手前、どうあっても、 「子供の行方を、突きとめなくてはならねえ」  のである。  白金の徳蔵ともあろうものが、同業の芝の治助から請け負った〔殺し〕に失敗はゆるされぬ。  それが知れたら、徳蔵の面目は、 「まるつぶれになる……」  のだし、そうなれば、おのずから、徳蔵の勢力にも減点が加えられることになるのだ。      六  翌朝になると、白金の徳蔵は、赤沼の儀平の案内で、秋山小兵衛隠宅の様子を見に出かけた。  二人は、大川橋をわたりきったところで駕籠《かご》を捨て、大川沿いの道を北へ向った。  寺嶋《てらじま》の白髭《しらひげ》明神の南の鳥居の前に〔伊勢清《いせきよ》〕という茶屋があり、見たところは小体《こてい》な店構えなのだが、奥行きが深く、木立を背にした離れ座敷も二つ三つある。  小兵衛隠宅を見張る白金一味は、この伊勢清の離れ屋の一つを借り切り、見張りの〔根城《ねじろ》〕にしていた。  なるほど、これでは、いろいろと、 「金が、かかる……」  わけである。  徳蔵と儀平が伊勢清の離れ屋へ着いたとき、四ツ(午前十時)をまわっていたろう。  見張りは二人ずつで、これが二刻《ふたとき》(四時間)で交替する。夜は五ツ(午後八時)ごろで見張りをやめ、翌朝は暗いうちから見張る。  此処《ここ》から、鐘ヶ淵の隠宅までは、わずか七、八町の近間《ちかま》である。 「あっ、元締……」  入って来た徳蔵を見て、見張りを交替したばかりの二人の手下が、あわてて坐《すわ》り直した。  二人のほかに、四十前後の浪人がひとり、床柱へ背をもたせかけ、茶わん酒をのんでいた。  この浪人が、赤沼の儀平いうところの〔大野先生〕であって、姓名は大野|庄作《しょうさく》。秋山|父子《おやこ》と同じ無外流《むがいりゅう》の剣客《けんかく》だ。  大野庄作は、父の代からの浪人暮しであったが、亡父は、こころがけのよい人物で、小金《こがね》をもっていたし、一人息子の庄作が、いつかは世に出られることもあろうかとおもい、年少のころから学問もさせたし、剣術の修行もさせた。大野庄作が、しだいに剣の道へ深入りをするようになったのは、このためである。  大野の剣術の師は、当時、芝の三田四国町に道場を構えていた矢部彦次郎《やべひこじろう》であった。  矢部彦次郎は、すでに亡《な》き人であるが、秋山小兵衛の師・辻平右衛門《つじへいえもん》に無外流をまなんだ剣客だから、小兵衛と同門なのだ。  矢部彦次郎は小兵衛より四、五歳の年上で、早くから独立し、小さな道場を構えていた。  秋山小兵衛が折にふれて、息・大治郎へ、 「矢部さんは、わしよりも尚《なお》、世わたりが下手だものだから、あんな小さな道場のあるじで一生を終ってしもうたが、剣術は、まさに、まね手[#「まね手」に傍点]のないものであったよ」  と、洩《も》らすほどで、無外流に鍛えられた上に、独自の剣法を生み出した。 「生きてあったら、ぜひとも、お前に会わせたい人《じん》であった」  小兵衛が、しみじみというほどの剣客だったらしい。  その矢部彦次郎の許《もと》で修行を積んだというのだから、大野庄作の剣術も、 「相当のもの……」  と、いってよい。  十五年ほど前、秋山小兵衛が四谷《よつや》に道場を構えていたころ、大野庄作が秋山道場へあらわれ、 「秋山先生に、一手《いって》の御指南をたまわりたい」  と、申し入れたことがあった。  当時の大野は、まだ、わが一剣をもって世に出ようとする夢[#「夢」に傍点]を捨て切ってはいなかった。  亡師・矢部彦次郎から、 「秋山小兵衛こそは、恐るべき男じゃ」  と、何度も聞かされていた大野庄作だけに、小兵衛を打ち破って、剣客としての箔《はく》をつけようという野心に、みちみちていたのだ。当時の小兵衛は、江戸在住の剣客として華ばなしい存在ではなかったけれども、その実力は、 「知る人ぞ知る……」  ものであった。  大野は、矢部門下だということをあきらかにしなかったが、小兵衛の門人三名を、たちまちに打ち倒した手練のほどは、まさしく無外流であったから、小兵衛も無下に断わりかね、 「では、お相手をしよう」  木太刀を把《と》って、大野と相対した。  ときに秋山小兵衛は四十八歳。剣客として脂《あぶら》の乗り切ったところであり、到底、大野庄作のおよぶところではなかった。 (なるほど、凄《すさ》まじい……)  と、大野は瞠目《どうもく》し、このときの敗北によって、 (ああ、おれなどは到底、秋山先生の足許へもたどりつけまい)  大形にいうならば、このときの自信喪失によって、大野は自分の野心を打ちくだかれ、それが原因となり、やがては、 「身をもちくずして……」  しまうことにもなったのである。  そしていまは、金で人殺しを請け負うことまでするようになった大野だが、さすがに、この男ほどになると、飯富《いいとみ》の亀吉《かめきち》がするような〔殺し〕はせぬ。 「年に一度か、二度……」  でよい。  大野庄作の剣が必要なほどの〔殺し〕でなければ引き受けもせぬし、また、白金の徳蔵だとて、たのみもせぬ。  しかし、今度は、赤沼の儀平のはなし[#「はなし」に傍点]を耳にはさんだ大野庄作が、 「元締には、おれもいろいろと義理がある。ま、ちょいと様子を見てやろう」  と、いい出た。  大野は、いまも、亡き両親が住み、自分が生れ育った芝《しば》の田町三丁目裏道の小さな家に独り暮しをつづけている。  近辺の人びとは、いまだに大野が剣術で、 「何とか食べている……」  と、看《み》ているらしいし、事実、江戸市中にある顔見知りの道場へおもむき、稽古《けいこ》を絶やしてはいない。  つまり、さほどに、大野庄作は、 「いま尚、剣術が捨てきれぬ……」  のであろうか。  年に一度か二度、大野が引き受ける〔殺し〕は金五十両が相場といってよい。  それだけあれば、大野庄作の一年は、酒にも女にも不自由をせぬ。      七 「いやあ、元締。あの秋山の爺《じい》さんだけはだめ[#「だめ」に傍点]だ。手を出さぬがいい。この大野庄作がいうことだ。間ちがいはない」  こういって、大野は茶わんへ冷酒を酌《く》み込み、 「さて……おれも、そろそろ引きあげるとするか。何とか子供の行方でもわかれば、手を貸してあげようとおもったのだが……まったく、いかぬわ。あの爺さんが何処《どこ》かに隠してしまったのだろうよ」 「だがね、先生。そんな老いぼれ一匹、どうして先生の手にあまるのか、わしにはわからねえ。引っ捕えて泥《どろ》を吐かせておくんなすったら、二十両出してもいいのだがね」  と、膝《ひざ》をすすめる白金《しろがね》の徳蔵へ、 「元締。夢を見ているようなことをいってもはじまらぬよ」  大野は一笑に付した。  いまだに、江戸の剣術界から足をぬけきれぬ大野ゆえ、秋山小兵衛のうわさ[#「うわさ」に傍点]だけは耳にしている。息・大治郎が江戸へ帰り、浅草の外れに道場を構えたらしいことも耳にはさんでいた。  実は、赤沼の儀平《ぎへい》から「鐘《かね》ヶ淵《ふち》に住む妙な老人」のことを聞いたとき、大野庄作は、 (もしや、秋山小兵衛ではないのか……?)  と、おもった。  果して、白金の手下に案内をされ、木蔭《こかげ》から隠宅を窺《うかが》って見ると、縁側へ出て空をながめている老人は、まぎれもなく秋山小兵衛ではないか……。 (これは、いかぬ……)  手の出しようがない、と、大野はおもった。 「ともかくも元締。いったん、おれは帰る。何かあったら知らせてみてくれ」 「まあ、まあ、先生。これから、わしがちょいと様子を見て来るから、それまでは此処《ここ》にいて下せえ」 「元締が出向いたところで、どうなるものでもない」 「ともかくも、白金の徳蔵が、この目でたしかめねえうちは納得も行かねえし、つぎの手段《てだて》も浮ばねえ」 「それも、もっともだが……」 「その爺《じじ》いの面《つら》を見てから、すぐに引っ返して来ますから、此処からうごかねえでいて下せえよ」 「わかった」  見張りを交替したばかりの手下のはなしによると、今朝も秋山小兵衛は一人きりだという。朝早く〔元長《もとちょう》〕の亭主・長次が酒や、食べものが入った三重《みつがさね》の重箱などを届けに来て、すぐに帰った後には、だれ一人、隠宅を訪れた者がないそうな。  白金一味は、すでに元長へも探りを入れ、そこに件《くだん》の子供が隠されていないことをたしかめている。 「よし、出かけよう。案内をしろ」  と、白金の徳蔵がいったとき、渡り廊下を走って来る見張りの足音が聞えた。  その見張りは、あの日、杉原秀《すぎはらひで》が子供を背負い、小兵衛の隠宅へ入るのを見とどけた松吉という男であった。 「来ました。来ましたぜ」  と、松吉がいった。 「何が来やがったのだ?」 「それが儀平さん。あの子供《がき》が女といっしょに、舟でやって来やがった……」 「何、舟だと?」 「へえ。それがね。あの家の庭へ、大川《おおかわ》の水が引き込んであるので……」 「その女というなあ、何か、飯富《いいとみ》の亀吉《かめきち》へ飛礫《つぶて》を食《くら》わした女か?」 「いんえ、そうじゃねえ。見たことのねえ女ですよ。図体《ずうたい》の大きい、何だか間のぬけたような、泥くせえ女だ」  松吉は、おはる[#「おはる」に傍点]を見ていなかった。  あの日の夜がふける前に、 (ともかくも、このことを白金の元締へお知らせ申さなくては、どうにもならねえ。なあに、この夜ふけに、あの子供《がき》を何処へやるわけがねえ)  と、松吉は目黒の白金の徳蔵宅へ走ったので、おはるが子供を舟に乗せ、大川をわたって秋山大治郎宅へ移ったことを、まったく知らなかったのである。 「では何か、子供と、その女だけが帰って来たというんだな」 「そうなんで……」 「元締。どうします?」  と、赤沼の儀平が白金の徳蔵をかえり見た。 「そうか、よし。わしが行って見よう。おい、松。案内しろ」 「合点《がってん》でござんす」 「こっちの見張りは気づかれていねえだろうな?」 「大丈夫でござんす、元締。あそこは、まわりの隠れ場所に困らねえので……」  うなずいた徳蔵が、大野庄作へ、 「先生。どうやら、うごき出しましたぜ」 「ふうむ……」 「手を貸しておくんなさるだろうね?」 「秋山の爺さんさえいなければ、な……」 「ここにいて下せえよ」 「よし」 「さ、行くぜ」  と、白金の徳蔵が赤沼の儀平へ声をかけ、先に立って渡り廊下へ出て行った。  そのころ……。  大治郎宅から鐘ヶ淵の隠宅へもどって来たおはるが、小兵衛に、 「先生。私がいなかったので、さびしかった?」 「ああ、さびしかったよ」 「やっぱり、私がいないと困るねえ?」 「ああ、困る。それよりも、その坊主《ぼうず》は、すっかり、お前に懐《なつ》いてしまったそうじゃないか」 「ええ、ほんとに……」  子供は、おはるの膝に乗り、小兵衛へ笑いかけている。 「この子はねえ、先生……」 「うむ?」 「すこし、頭のはたらきが鈍いようですよう」 「そうか、ふうん……」 「私のことをおっ母《か》さんのようにおもっているらしいんですよう」 「ふうん……」 「私も、こんな子がほしい……」 「わしには、もう、生ませる能力《ちから》がない」 「また、そんなこという」 「だって、そうだろう?」 「知りませんよう」 「この子から何か、聞き出せたかえ?」 「それが、あんまり……」 「よく、わからぬか、身もとが……」 「あい。何でも、婆《ばあ》やのところにいて、その婆やのところにいる小父《おじ》さんにおんぶ[#「おんぶ」に傍点]をして、何処かへ行く途中で、ひどい目に合ったらしい……若先生も、そういってましたけど」 「それだけかえ?」 「あい」 「ときに、おはる。これから、お前がすることを知っていような?」 「あい。若先生から聞きましたよう」 「大丈夫かえ?」 「おもしろい」 「え?」 「おもしろいよう、先生」  と、おはるが目をかがやかせた。      八  その日の七ツごろであったろうか……。 〔ぶんたろ〕を背負ったおはる[#「おはる」に傍点]が、隠宅から堤の道へあらわれたのである。  ついで、秋山小兵衛があらわれた。  小兵衛は笑顔で、二言三言、おはるに何かささやき、子供の頭を撫《な》でてやってから、堤を下り、家の中へ入ってしまった。  おはるは背中の子に語りかけつつ、堤の道を南へ向って、ゆっくりと歩みはじめた。  朝空は晴れていたのだが、いつの間にか灰色の雲におおわれ、風が冷たい。  その空高く、渡り鳥が群れをなしてわたって行くのが見えた。  木母寺《もくぼじ》の門前を過ぎたおはるは、大身《たいしん》旗本の下《しも》屋敷の間の細道を左へ切れ込んだ。  早くも、白金一味は、おはるの尾行を開始している。  白金の徳蔵は、大野|庄作《しょうさく》と共に伊勢清《いせきよ》の離れ屋にいて、駆けつけて来た松吉の報告を聞いていたが、 「どうだね、大野先生。お前さんが怖《おそ》れていなさる爺さまは出て来ねえようだ。女が子供《がき》をおぶって何処かへ行くらしい」 「ふうむ……」  秋山小兵衛は隠宅へもどったきり、二度と外へは顔を見せぬという。 「そうだな……これは、もう、こっちの見張りがないと見きわめをつけたものか……?」 「それにきまっているとも。さあ、出かけて行って、女と子供を殺《や》って下せえ」 「その百姓女と子供だけなら、何も、おれが手を出すまでもないだろう、元締」 「いや、今度こそは手落ちなくやらねえといけねえ。せっかく、この場にいなさるのだから、ぜひとも先生に引き受けてもらいたいのだ。三十両出しますぜ。悪くはねえとおもうがね」  舌打ちをして大野が大刀をつかみ、立ちあがった。 「殺っておくんなさるか?」 「仕方がない」  そのころ、おはると子供は寺嶋《てらじま》村の畑道へ出て、依然、ゆっくりとした足取りで東南の方へすすみつつあった。  曇り空に夕日もさえぎられ、どこかの木立で椋鳥《むくどり》がけたたましく鳴いている。  彼方《かなた》に見える長崎采女《ながさきうねめ》という旗本の下屋敷の、塀《へい》沿いの道へ、荷車が一つあらわれた。  大きな布に包まれた荷物を積んだ車を挽《ひ》いているのは、頬《ほお》かぶりをした老爺《ろうや》である。  別に一人、これは菅笠《すげがさ》をかぶった百姓姿の若者が荷車の傍へ結びつけた挽綱《ひきづな》を肩にかけ、老爺をたすけている。この老爺も、このあたりの百姓であろう。  そのほかに、日暮れも間近いこの辺り[#「この辺り」に傍点]には人影も見えぬ。  白金一味の三人の手下たちは、たくみに木蔭《こかげ》から木蔭へつたわりながら、おはると子供の尾行をつづけている。  先へまわった赤沼の儀平は、白髭《しらひげ》明神社の東方三町ほどのところにある松林に潜んでいた。  遠い畑道を歩む、おはるの姿が儀平の目にとらえられた。  そこへ、手下の松吉を先導に、白金の徳蔵と大野庄作が駆けつけて来た。 「あ、元締。あれ[#「あれ」に傍点]でござんす。こっちへ向ってやって来る、あの女なんで……」 「ふむ、ふむ……よし。先生、やっつけておくんなさい」 「いや、待て」 「え……?」 「あの女のうしろから、荷車がやって来る」 「なるほど……」 「気に喰《く》わぬな、どうも……」 「なあに、あんなものは、かまうものじゃあねえ」 「どうする?」 「先生は、女と子供だけ殺《や》っておくんなさりゃあいい。あの二人の百姓どもは、こっちで片づけてしまおう。なあ、儀平」  うなずいた儀平が、 「わけもねえことで」  と、ふところの短刀《あいくち》をつかみしめた。 「だが、元締。いますこし、様子を見たらどうだ?」 「いや、此処《ここ》がいい。この松林へさしかかったら、やっつけるのだ。ここならば人目につかねえ。この先へ行くと、家もあれば寺もある。人の行き来もある。ね、そうじゃないかえ、先生……」 「そうだな……」  大野が殺すとなれば、すれちがいざまの一太刀で、女と子供を始末できる。 「よし」  と、大野庄作が編笠の中でうなずき、 「荷車の二人を同時に仕とめろ。いいな」  儀平と松吉へ念を入れた。  うなずいた二人は、松林の中を屈《かが》み込んで走り出した。荷車の背後へまわろうというのである。  大野が、ふらりと、松林の外の道へ出て行った。  向うから、子供を背負ったおはるがやって来る。  大野庄作は、おはるに向って歩む。  と……。  おはるが、足をとめ、近づいて来る大野を見た。  そのうしろから荷車が近づき、荷車の背後へ、赤沼の儀平と松吉があらわれた。二人の手に、早くも短刀が光っている。 (これで、よし)  松林の中から、これを見とどけた白金《しろがね》の徳蔵が、にんまり[#「にんまり」に傍点]とした。 (それにしても、まったく手数《てかず》のかかった殺しだわえ。わしが手には二十両も残らねえ)  足をとめ、おはるがこちらを凝視したのを見て、 (いまだ!!)  大野庄作は、足を速め、見る見るうちにおはるへ接近しつつ、左手が大刀の鯉口《こいぐち》を切り、右手は、ふところから抜き出され、いまや、刀の柄《つか》へかかろうとした。  このとき……。  急に、雨の幕が松林の道を包んだ。  時雨《しぐれ》である。  小走りに迫って来る大野浪人を見つめたまま、おはるは蒼《あお》ざめ、立ちすくんだ。  大野が大刀を抜きはらった。  その瞬間であった。  背後の荷車の傍の挽綱から飛びはなれた百姓の若者が、道へ片膝《かたひざ》をつき、大野めがけて何かを投げつけたものである。  得体の知れぬ堅くて鋭くて小さな物体が若者の手から疾《はし》って来て、大刀を引き抜いたばかりの大野の右腕へぐさ[#「ぐさ」に傍点]と噛《か》みついた。 「う、う……」  激痛が大野の脳天までつらぬいた。  大刀を手放さなかったのが精一杯のところで、つぎの瞬間には、またしても若者が投げ撃ってよこした鋭利な物体が、大野庄作の喉笛《のどぶえ》へ喰い込んでいた。  おはるが悲鳴を発した。  荷物を挽いていた老爺が、駆け寄って来るおはるを抱きとめ、 「しっかりしろ!!」  と、叫んだ。  この老爺の声は、まぎれもなく、おはるの父親で関屋村の百姓・岩五郎のものである。  同時に……。  とまった荷車の上の荷物の中から、布をはねのけてあらわれた秋山大治郎が道へ飛び下りざま、背後へ迫った儀平と松吉を、抜き打ちに叩《たた》き倒した。  いうまでもなく、これは峰打ちであったから、この二人は死んだわけではない。  二人を打ち倒した大治郎が振り向きざま、 「秀《ひで》どの……」  と、声をかけた。  百姓の若者に変装していた杉原《すぎはら》秀が左手に菅笠をぬぎ、大きくうなずいて見せた。  大野庄作は大刀を手から放し、両手を、わが喉のあたりへあてがい、白く眼《め》をむき出し、がっくりと両膝をついた。  すべては、一瞬の間に終った。  おそらく、荷車の背後へまわった儀平と松吉は、何が起ったのかわからぬうち、大治郎の一刀に叩き伏せられてしまったにちがいない。  お秀が大野浪人を仕止めたのは、根岸流《ねぎしりゅう》の手裏剣術《しゅりけんじゅつ》で使う〔蹄《ひづめ》〕と称する小石ほどの鉄片であった。  大野庄作が倒れ伏し、息絶えるのを、彼方の松林の中に潜んでいた白金の徳蔵は茫然《ぼうぜん》と見まもったが、そのうちに、 「こ、こうしてはいられねえ……」  よろめきつつ、逃げ去った。  おはると文太郎を尾行していた三人の手下たちは、遠巻きに警戒の輪をせばめて来た四谷《よつや》の弥七《やしち》や傘《かさ》屋の徳次郎以下三名の手先に捕えられた。  時雨が去った後の夕空が、いくらか明るみを増してきている。 「母上。怖かったでしょう?」  まだ、岩五郎の腕の中にいるおはるへ、大治郎が笑いかけると、 「うち[#「うち」に傍点]の先生なら、安心だけど、若先生では、ちょいとたよりないよう」 「これはどうも……恐れ入った」  気をうしなっている儀平と松吉に縄《なわ》をかけ、四谷の弥七へ引き渡した秋山大治郎は、あらためて、杉原秀に、 「秀どのの手練のほど、まさに感服しました」  と、頭を下げた。  お秀は、謙虚に顔《おもて》を伏せている。  文太郎は、ようやく生色を取りもどしたおはるの背中で、ぐっすりと眠っていた。      ○  捕えられた白金の徳蔵配下の五人のうち、それでも赤沼の儀平《ぎへい》のみは、いかに責めつけられても口を割らなかったが、松吉以下四人の者の自白によって、すべてがあきらかになった。  木綿問屋・伊藤屋勘次郎の後妻おさい[#「おさい」に傍点]は、自分が生んだ子のお小夜《さよ》に行く行くは養子を迎え、伊藤屋の跡をつがせようとしたが、 「いや、それはなりません」  と、伊藤屋勘次郎が、このことだけは断固として承知をせぬ。  勘次郎は、お絹が生んだ文太郎という長男がいるのに、 「何も、そのように、面倒なことをせぬでもよい」  いかに、おさいが掻《か》きくどいても、うなずかなかったという。  つまりは、それだけ、亡《な》きお絹の温順な人柄《ひとがら》を追慕していたのであろうか。  おさいは、なかなかにあきらめず、ついに、叔父の松屋|安右衛門《やすえもん》へ相談をもちかけ、安右衛門と共謀の上で、 「文太郎を亡きものに……」  することにしたらしい。 「まだ、くわしい御調べがすすんでおりませんが……芝神明前の料理茶屋のあるじの松屋安右衛門というのは、どうもその、おさいの叔父ではないらしゅうございますよ」  と、四谷の弥七が、秋山小兵衛へ告げた。 「ほう……そうかえ。すると松屋安右衛門、おのれが手をつけた[#「手をつけた」に傍点]女を姪《めい》に仕立てて、伊藤屋の後妻へ送り込んだとでもいうのかえ?」 「そんなところでございましょうか」 「なるほどのう……なれど、弥七。今度の事件《こと》では、伊藤屋勘次郎も、お上《かみ》のおとがめを受けねばなるまい」 「そのことでございますよ」  四谷の弥七の声がくもった。  この事件では、何の罪科《つみとが》もない善良な女が一人、殺されている。  それは文太郎の乳母だった、おみね[#「おみね」に傍点]という四十女だ。  杉原秀にたすけられた文太郎が「婆《ばあ》や」とよんだのは、このおみねのことであった。  おみねは、二十年も伊藤屋に奉公をしていた女である。その途中で嫁に行ったが不縁となり、また伊藤屋へもどって来た。伊藤屋勘次郎の先妻にも、また、お絹《きぬ》にも、おみねは信頼されてい、なればこそ、お絹亡きのちの文太郎は、この婆や[#「婆や」に傍点]によって育てられたわけだ。  後妻に入って来たおさいを、おみねは警戒した。 「とんでもない女《もの》を、旦那《だんな》さまはおもらいなすった。あれは徒《ただ》の女じゃあない」  と、洩《も》らしていたそうな。  おさいもまた、おみねを警戒した。  そこで、伊藤屋勘次郎をそそのかし、おみねを追い出してしまったのである。 「そこのところが、大《おお》先生……」  と、四谷の弥七が妙な笑いを浮べ、 「伊藤屋の旦那は、ちょいと、二度か三度でございましょうが、その婆やを抱いたことがあるようなので……」 「むかしのことだろうな、それは……だから伊藤屋も、その婆やを追い出すことに同意したのじゃ」  おみねは、本所《ほんじょ》の小梅代地《こうめだいち》に住む瓦《かわら》職人の兄・辰蔵《たつぞう》の許《もと》へ身を寄せていたが、伊藤屋にいる文太郎の身を案ずること、ひととおりではなかった。  すると、十日ほど前に、伊藤屋の女中が文太郎を連れ、辰蔵の家へやって来た。  文太郎が、おみねを慕って泣き叫ぶものだから、おさいもうるさがり、 「顔を見せに行っておやり。向うがかまわないというのなら、そのまま、置いて来たらいい」  と、いった。  文太郎を抱きしめたおみねは、 「もう帰したくない。いっそ、このまま、婆やと暮したら、どんなにいいか……」  と、口走ったそうな。  おみねの兄・辰蔵が、白金の徳蔵から半金十五両をもらい、文太郎殺しに一役買ったのは、それから二日か三日のちのことであったろう。  酒と博奕《ばくち》に身をもちくずし、近ごろは、めったに中ノ郷の瓦焼き場へも出かけぬ辰蔵は、どこかの博奕場で、白金一味の罠《わな》にかかってしまったらしい。  女房も子供も持ったことがない辰蔵だが、自分が文太郎を連れ出した後で、妹のおみねまでが白金一味の手にかかって殺されようとは、おもってもみなかったろう。  まして自分が、子供と引きかえに残る半金十五両をもらうのではなく、おのれのいのちを奪われようなどとは、それこそ、 「夢にも、おもわぬ……」  ことであったに相違ない。  この時代《ころ》の犯罪は、すべて連帯の責任によって処罰される。犯人だけの処刑ではすまないのだ。  となれば、後妻の悪行に気づかず、家内を治められなかった伊藤屋勘次郎の責任《せめ》は、 「大きい……」  のである。 「さて、どんなお裁きになるかのう。伊藤屋の始末しだいで、あの文太郎坊ずも、またまた可哀相《かわいそう》なことになるわえ」 「まったくで……」 「ときに、白金のなんとやらいう悪党は、まだ、見つからぬか?」 「おそらくは、江戸を脱《ぬ》け出したにちがいございません。まさかに、あんなやつが絡《から》んでいようとはおもいませんでしたので……」 「それにしても……お秀の蹄に打ち殪《たお》された浪人が、大野|庄作《しょうさく》とはなあ……あの男は、わしの古い友だちの門人で、剣術のすじ[#「すじ」に傍点]はよかったのじゃ。人間も、しっかりしていたのに……」 「さようでございますか……」 「そうとも。今度のことに、わしが一枚加わっていることを知っていたなら、おそらく大野は手を引いていたろう。こんなことなら、あのとき、お秀のかわりにわしが荷車へ付きそっておればよかった。それにしても……それにしても弥七。どいつもこいつも、大人《おとな》どもがたわけたまね[#「たわけたまね」に傍点]をするおかげで、ばかを見るのは子供たちじゃな。いつの世にも、このことは変らぬ。呆《あき》れ果てて物もいえぬわえ」  雨音が、部屋にこもっている。  まるで、冬が来たように寒い朝であった。 「おはる[#「おはる」に傍点]。これ、おはるよ……」  と、小兵衛が台所へ呼びかけた。 「すこし早いが炬燵《こたつ》をいれておくれ。それに、早く酒をもってこぬか、何をしているのじゃ」  いつになく、小兵衛の声が荒々しかった。  四谷の弥七は、黙って、小兵衛の銀煙管《ぎんぎせる》へ煙草《たばこ》をつめ、小兵衛へ差し出した。     解説 [#地から2字上げ]常盤新平 『剣客商売』八冊目の『狂乱』には悪い女が出てくる。「毒婦」のおきよ、「女と男」のお絹、「秋の炬燵《こたつ》」のおさい。『剣客商売』の作者はこういう女を描くのがじつにうまい。小説家ならどんな女でも描いてみせて当然であるが、池波さんは毒婦や悪女、妖婦《ようふ》を知りつくしているかのようである。池波さんの新作を読むとき、どんな女が登場するかということも愉《たの》しみの一つだった。  この八冊目では秋山|小兵衛《こへえ》の世界はほぼできあがっていて、小兵衛はその世界に悠々《ゆうゆう》と暮している。じつに羨《うらやま》しい身分だ。晴れわたった秋の朝空のもと、軽袗《かるさん》ふうの袴《はかま》に脇差《わきざし》ひとつを帯した小兵衛は愛妻おはるにおくられて、舟着き場のあたりに真菰《まこも》が小さな花をつけている鐘《かね》ヶ淵《ふち》の隠宅をあとにする。竹の杖《つえ》をついている。  小兵衛は親交ある牛堀九万之助《うしぼりくまのすけ》を彼の道場に訪ねようというのである。この剣の達人は早くも『剣客商売』第一話の「女武芸者」に登場していた。『鬼平犯科帳』で鬼平こと長谷川平蔵《はせがわへいぞう》とごく親しい岸井|左馬之助《さまのすけ》のような存在である。  小兵衛はのんびりと大川《おおかわ》(隅田川《すみだがわ》)の堤の道を行く。赤|蜻蛉《とんぼ》が飛ぶ堤には、曼珠沙華《まんじゅさげ》が群がり咲いている。彼岸花《ひがんばな》ともいうこの花を、おはるは見るのも嫌《いや》だし、亡妻のお貞《てい》も花の色が赤すぎて薄気味悪く感じていた。おはるの里の関屋村では、幽霊花《ゆうれいばな》とも捨子花《すてごばな》ともいうそうだ。しかし、初秋の大川堤を歩く老剣客の姿が目に見えるようで、読んでいる私は豊かな気分になる。束《つか》の間、秋山小兵衛にでもなったつもりになれる。  小兵衛は浅草・元鳥越《もととりごえ》町にある牛堀道場へ行く前に、道場近くの酒屋〔よろずや〕で牛堀|九万之助《くまのすけ》の大好物である〔亀《かめ》の泉《いずみ》〕を柄樽《えだる》につめさせる。筒井ガンコ堂編による「〔剣客商売〕年表」によると、天明元年(一七八一年)であり、小兵衛六十三歳である。鐘《かね》ヶ淵《ふち》に隠棲《いんせい》してから六年が経過している。  その朝の秋山小兵衛は私などから見れば、その姿がまことにゆったりとしていて、老後の理想像である。自ら「世捨人《よすてびと》」と称し、俗事に無関心であるが、この老人、好奇心はますます旺盛《おうせい》で、退屈しのぎということもあろうか、われから血なまぐさい事件にまきこまれてゆく。その元気には私も励まされる。  小兵衛は牛堀道場の見所《けんぞ》で、あまりにも風貌《ふうぼう》の冴《さ》えぬ剣士を見かける。無敵流を名乗るこの剣客、石山|甚市《じんいち》は牛堀九万之助の高弟五人を打ち負かす。これが「狂乱」の冒頭である。小兵衛は石山甚市を(この後、二度と見ることもあるまい)と思うのだが、その日のうちに再び会うことになり、石山甚市の生涯《しょうがい》に深くかかわることになる。江戸という世界は狭く小さいと思ってしまう。 『狂乱』に収められた六編は表題作をはじめとして異色の作品である。いずれもなにげない題名であるが、そのものずばりであって、読みおわってみると、うまい題名であることに気がつく。「秋の炬燵」というのは、池波さんの小説にしかない題名に思われる。そして、秋山小兵衛が老境にはいったことにあらためて気がつくのである。  もっと早く題名のうまさに気がつくべきだったろう。しかし、私の場合は折にふれて読みかえしているうちに、ようやくわかってくるのである。そして、作者が「毒婦」という題名に決めたとき、にやりとしたのではないかと想像したものだ。  池波正太郎の「毒婦」であれば、どうしても読んでみたくなる。池波さんが彼女に類する女たちを数多く書いてきたからだ。また、秋山小兵衛を少なくとも私は作者の分身とみているからだ。だから、事件が落着したあとで、小兵衛が〔元長《もとちょう》〕の主人、長次とかわす会話が興味深い。江戸の女性論である。〔元長〕は浅草|駒形堂《こまかたどう》の裏河岸《うらがし》にある小体《こてい》な料理屋だ。小兵衛の行きつけの店だった橋場《はしば》の〔不二楼《ふじろう》〕にいた料理人の長次と座敷女中のおもとが夫婦になって、はじめた店である。  毒婦とは、小兵衛によれば、「毒をもった女」であるが、小兵衛から見ると、おきよという毒婦は、どこがよかったのかわからない。「何人もの男が現《うつつ》をぬかすほどの美形《びけい》でもなし、陰気で無口で、酒の相手にもなるまいし、抱いて寝たところで、つまらぬような……」という女なのである。  しかし、女にかけては長次のほうが小兵衛より上手かもしれない。「大《おお》先生は、あの女を知らねえから」と言い、小兵衛もまた「わしだって、この年齢《とし》になって、まだ、女のことはちっともわからぬのさ」。  小兵衛のこういう話を聞くのが私は好きだ。「うち[#「うち」に傍点]のおはるのような女でも、ときどき、こいつ、肚《はら》の中で何を考えているのかと、おもうことがあるわえ」と小兵衛が言うのを聞くと、剣の奥義《おうぎ》をきわめた秋山小兵衛にしてそうなのかと感心してしまい、あらためてこのシリーズの第一話で小兵衛がもらした言葉を思い出す。  小兵衛は息子|大治郎《だいじろう》の道場を訪れて、「下女のおはる」に手をつけてしまったことを打明け、「実は、な。このごろのおれは剣術より女のほうが好きになって……」、また「あるとき、豁然《かつぜん》として女体《にょたい》を好むようになって、な」などと言う。「諮然として」という表現を私は記憶していた。老剣客秋山小兵衛にしてはじめて言える言葉だと思ったのである。しかも、そのあとに「女体を好むようになって、な」である。  最初に「女武芸者」を読んだときには、この台詞《せりふ》のおもしろさがわからなかった。三度目か四度目かで笑いを誘われたのだった。その上、小兵衛が語った相手は、二十四歳になっても一度として女体に接したことのない息子である。ただ、大治郎は「開いた口がふさがらなかった」。  佐々木三冬を好きな読者が圧倒的に多いだろう。彼女が登場するから『剣客商売』を読むという人が多いはずだ。私も彼女が好きだということにかけて人後に落ちないつもりであるが、なんども読むうちに、のちに〔元長〕主人長次の女房となるおもとが言う「お孫さんのようなむすめさん」であるおはるがだんだんに好きになってきた。そして、本書において、おはるのような娘に手をつけた秋山小兵衛を女もわかる男だと思うようになった。小兵衛には、女というより人間を見抜く目がある。 『剣客商売』にはおはるや三冬、手裏剣《しゅりけん》の名手、杉原秀《すぎはらひで》のような女たちがいて、もう一方におきよやお絹、おさいといった悪女がいて、くっきりと描きわけられている。毒婦をどのように作者が書いているかという点にも瞠目《どうもく》せざるをえない。 「秋の炬燵」では、おはるは悪人どものひとりにこう言われている。「図体《ずうたい》の大きい、何だか間のぬけたような、泥《どろ》くせえ女だ」。しかし、杉原秀がたすけた子供はおはるをおっ母《か》さんのように思って、彼女に懐《なつ》く。小兵衛はおはるの前で安心していられる。  大治郎も三冬もいわば模範生だが、小兵衛は年齢の功か融通無礙《ゆうずうむげ》であり、剣をとれば無敵だが、私生活ではとぼけたところがある。弱点があって、それを息子の前でも平気でさらけだす。それがこの老剣客のゆとりというものだろうか。天衣無縫なところがなんともいえない。小兵衛はおはるに言う。「女という生きものはな、むかしのことなぞ、すぐに忘れてしまうのさ」。 『剣客商売』の作者はたしか『鬼平犯科帳』でも長谷川平蔵に同じことを言わせている。小兵衛は好色でありながら、同時に女をこのように冷やかな目で見ている。ただし、女を単純には見ていない。複雑で、ひと筋縄《すじなわ》ではいかない。 『剣客商売』がたんなる老剣客の物語だったら、私も繰り返し読むことはなかったろう。秋山小兵衛に作者の生き方や考え方、感じ方が投影されているからこそ、読みつづけてきたのである。  実は『狂乱』を新しく出た全八巻別巻一、それに付録つきの『剣客商売全集』で読んだ。豪華本であり、布製の一巻一巻がずっしりとした重みがある。このシリーズを文庫で読むのもいいが、『全集』で読むと、贅沢《ぜいたく》な感じがした。たとえば、作者は小兵衛が訪れる料理屋や蕎麦《そば》屋を〔不二楼〕や〔浦島蕎麦〕とたいてい固有名詞をしるすのだが、それも理由のないことでないと納得できるのである。  付録の筒井ガンコ堂編による「〔剣客商売〕料理|帖《ちょう》」によると、蕎麦屋だけでも二十数軒をかぞえる。菓子屋の名前もいくつか出てくる。小兵衛の好きな嵯峨落雁《さがらくがん》や淡雪煎餅《あわゆきせんべい》などは食べてみたくなる。食べものについて池波さんがじつにおいしそうに書いているのは衆知の事実だ。  おそらく、池波さんは秋山小兵衛や大治郎、おはるや三冬、弥七《やしち》や徳次郎を愛情を込めて書きながら、池波正太郎の江戸を創《つく》りあげていったのである。小兵衛の行きつけの店を江戸の『食卓の情景』として丹念に書きこんでいった。江戸の町を書く以上は、作者としては根深汁《ねぶかじる》も八千代饅頭《やちよまんじゅう》も甘酒も亀の泉もゆるがせにできなかったのだろう。それにしても、みごとなフィクションだ。 『剣客商売』は、はじめのころは秋山小兵衛が六十を過ぎながら、死からはるかに遠いように感じられた。事実、小兵衛は九十何歳かまで長生きすることになっている。けれども、『狂乱』の巻末の一編、「秋の炬燵」では小兵衛は不機嫌《ふきげん》である。もちろん、それは老いとは無関係で、「大人どものたわけたまね[#「たわけたまね」に傍点]」を怒っているのだ。  しかし、読みおわってみると、そればかりではないような気がする。秋でも冬が来たように寒い朝とはいえ、おはるに炬燵と酒を用意させる小兵衛は年齢相応になったと思いたくなった。これは、おはるがあまりにも天真爛漫《てんしんらんまん》であるからか。「私も、こんな子がほしい……」と言うおはるに、小兵衛は答える。「わしには、もう、生ませる能力《ちから》がない」。滑稽《こっけい》で哀《かな》しい。そして、この老剣客に孫娘のようなおはるがいてよかったと一読者として祝福したくなるのだった。 [#地から2字上げ](平成四年八月、作家) [#地付き]この作品は昭和五十二年五月新潮社より刊行された。 底本:剣客商売八〈新装版〉 狂乱 新潮社 平成14年12月15日 発行 平成16年2月5日 5刷 [#改ページ] このテキストは、 (一般小説) [池波正太郎] 剣客商売 第08巻.zip 涅造君VcLslACMbx 31,878,020 2db0220c1d52a3130a89299846c440416d443261 を元にe.Typist v11と読んde!!ココ v13でテキスト化し、両者をテキストエディタのテキスト比較機能を利用して差異を修正した後、簡単に目視校正したものです。 画像版の放流者に感謝。 3074行  艫《ろ》から竿《さお》へ持ち替えようとするおはるへ、 3712行  おはるが、たくみに艪《ろ》をあやつり、 艪・櫓・艫 「艪」と「櫓」は舟を漕ぐ道具という意味があるのですが、 「艫」自体にはそういう意味がありません(広辞苑調べ)。 なので、「艫」は「艪」の間違いではないかと思われます。